古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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2012年 09月 01日 ( 1 )

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-5  

朝日カルチャーセンター・現地講座案内
古代のロマン・古墳をめぐる その3-5  2012.8.30

JR「柳本駅」を東に出るとすぐに上ツ道に出会うのでこれを左(北)へとる。間もなく右手に屋根と太い柱だけのお堂「長岳寺五智堂」がある。五智堂は鎌倉時代の建物で国の重要文化財になっている。
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左:五智堂。右:説明板。

 ここから東へ1km弱で弘法大師が824年に淳和天皇(H23.7向日市の火葬塚訪問)の勅願により大和神社(おおやまとじんじゃ)の神宮寺として創建したという長岳寺がある。

 長岳寺の山門から西へ戻り山の辺の道を北(奈良市方面)へ行くと右手に歌碑があるところを通る。
    衾道乎 引手乃山尓 妹乎置而 山徑徃者 生跡毛無
「ふすまじを ひきての山に いもを置きて やまじを行けば いけりともなし」・・柿本人麻呂
 この歌碑は故犬養孝阪大名誉教授の筆によるもので「孝」の銘がある。故犬養名誉教授は毎年2月11日に開催される「毎日ラジオウオーク」でお馴染みの万葉集の権威であった。1998年2月4日の毎日新聞ラジオウオークのページにメッセージを寄せられたが参加することなく、この年にお亡くなりになった。

ここの坂を上ると中山公民館がある、ここの右手が広場になっていて祠が並んでいる。このあたりが中山大塚古墳の前方部前面で祠は古墳を削り取ったかたちになっている。ここを右手に廻った墳丘の裾から小道が有って墳丘に登れる。この古墳は1985年以来数次にわたり発掘調査されていてる、後円部の墳頂から内部長7.5mにおよぶ長大な竪穴式石室が発掘された。また、後円部の墳頂を除く平坦部、墳丘斜面、全面に10㎝~30㎝大の石を何重にも60㎝の厚さに積み上げられた特殊な構造であることが分かっている。この時期の古墳では最大級のもので、成立間もない大和政権の有力者の墓の可能性が強い。
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左:正面に中山大塚古墳。右:後円部墳頂の堅穴式石室があった位置、垣根で示されている。

 先ほどの中山公民館の前を西へ坂を下る。坂の下で交差する小道を右に行き県道を横断してさらに西へ向かうと上ツ道に出会う。ここを左(南)へ、すぐの道を水路に沿って右(西)へ曲がる、すぐに右手に新池、左手に古池が有るところに出るので、右(北)へ新池を左に見て池の縁を伝う道を行きそのまま池沿いに堤防に出ると池の西の堤に出られるが、この堤の中程の所に祠があってその外(西)のJR桜井線との間に「弁天塚古墳」がある。前方後円墳の後円部が残っており前方部は削平されて耕作されている。
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弁天塚古墳。左:東の新池から。右:JR側に降りて、北東から。

上ツ道に戻り左(北)へ行くと左手の柿園が前方後円墳「ヤハギ塚古墳」である。古墳の北側の道が墳丘に沿ってきれいにカーブしている。

 上ツ道をさらに北へ行って水路沿いの道を左(西)へ入ると右手に平べったい感じで「平塚古墳」がある、削平されて果樹園になっており更に東側が直線的に削られていて、古墳の面影はほとんど無い。

 上ツ道を北へ取りすぐ中村電気店が有る所を右(東)に入るとすぐ左に全長約110mの前方後方墳「フサギ塚古墳」がある、墳丘上からは崇神天皇陵、その先に三輪山が望める。この古墳は東側から北へ回り込むとまわりは田でよく観察できる。
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フサギ塚古墳。左:北から、左が前方部。右:墳丘にある説明板。

上津道に戻ると向かいが大和神社の参道で、鳥居がある。すぐ北が鳥居池であるがこの池が「馬口山(ばくちやま)古墳」の周濠の一部になっている。この古墳から採取された特殊器台や埴輪の破片から築造年代が分かり、大型前方後円墳の元祖のように言われている桜井市の箸墓古墳よりさらに古く2世紀後半から3世紀にかけての年代と判定された。大型前方後円墳が突然出現する前の段階のものはほとんど知られておらず注目された。
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馬口山古墳。左:墳丘、西から、左手が後円部。右:くびれ部東側にある説明板。

この古墳のくびれ部を通る小道で古墳を横断すると西へ向かう道に出るので、そのまま行くとゲートボール場に突き当たる、ここを左に行と大和神社の社殿に出られる。日本書紀によると、崇神天皇のときそれまで天照大神・大和大国魂の二神を天皇の御殿内に祀っていたが、その神の勢いを畏れ天照大神は大和の笠縫邑に祀り、その後伊勢に祭られた。大国魂神は皇女に預けられ、その後垂仁天皇の時に神地をここ穴磯邑に定められている。太平洋戦争の末期に戦局打開を期待されながら華々しく散った戦艦「大和」にはここの分霊が祀られていたと言う。丁度この8月に慰霊碑が落慶されていた。
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大和神社。左:上ツ道の鳥居。中:本殿。右:説明板。

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説明板。

帰りは先ほどのゲートボール場の横をそのまま北へ人家のあいだを行くと通りへ出るので、ここを左(西)へ行くとJR「長柄駅」に出る。


 <写真はクリックすると拡大します>

〇 この「古代のロマン・古墳をめぐる その3-5  2012.8.30」は以前にアップした「奈良の古墳めぐり・・その2-3 H20(2008年).6.19とほぼ同じコースを巡ったものです。左欄にある
「2008年6月」をクリックして9.18のブログと合わせてご覧ください。

〇 朝日カルチャーセンターホームページ:ウエブで「朝日カルチャーセンター 梅田」をクリック
by yumeoijyuku | 2012-09-01 23:39 | 古墳めぐり案内