古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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奈良の古墳めぐり・・その2-10

近鉄文化サロン 現地学習 09.02.19

奈良市南部古市、帯解の古墳へ
 
 奈良公園のある春日地区からその南の山裾に沿った帯解地区、地理的には護国神社の北を流れる岩井川から天理市との境界付近の菩提仙川に至る丘陵が西に迫り出した一帯にかけても、佐紀の地域と共に古代和珥氏の勢力範囲であったと考えられている。先ず古市、帯解地区から始めよう。
 
近鉄奈良駅からバスで護国神社へ行く。バスが南へ奈良教育大学を過ぎて住宅地になると間もなく「護国神社」で、10分ほどで着く。護国神社古墳は本殿に向かって左側の奥にある、説明板があったが、古くて読み難いからか撤去されて社殿の軒下に放置されていた。古墳時代後期の横穴式石室を持つ不整形な円墳とあった。古墳時代後期(6世紀)の馬具、須恵器、壺、鉄鏃などが出土している。 
この神社の前の南側の池は新池または島池と呼ばれていて中心部の島も古墳の可能性が有る。神社造営の時かなり削られており、南西に主軸を持つ立派な前方後円墳とも考えられている。

 神社のすぐ南には古市方形墳が有る。前期または中期(4世紀末~5世紀初)と思われる一辺27mの方墳で、住宅地の中で頑張っている。史跡として奈良市文化財に指定されている。墳頂部で円筒埴輪が円形に配置されていたことから円墳であった可能性もある。中央に東西に並んだ粘土槨があった事が分かっていて、7.9m四方の東槨には長さ6.2mの割竹形木棺が有ったようで、他に内向花紋鏡等5面の銅鏡、玉類他が検出されている。

 先ほどのバス道をどんどん南へ行くと、「八島」のバス停の先の角に戦没者記念碑があって、崇道天王社と書かれた常夜灯が2基置かれている。ここを左(東)へ入るとすぐに池があって道を隔てて崇道天皇八嶋陵が有る、この陵は古墳ではないらしい。崇道天皇は即位した天皇ではなく第49代光仁天皇の第3皇子で平安京遷都を実施した桓武天皇の同母弟の早良親王のことで、謀反計画の巻き沿いで淡路島へ島流しの途中京都府の乙訓寺で自ら断食して命を断つ。後に祟りがあったとして霊を慰めるために天皇の名称を贈り遺骨を大和に改装したと言い、その場所がここと言うことで明治18年に整備された。

 崇道天皇陵のすぐ前の道路敷内に柵があって中の水溜りに大きな石がある。八嶋陵前石室古墳で、自然石の大型天井石が4個南北7mに亘って露出している。

 もとのバス道に戻って南へ行くとすぐに右手(西)の田の中、といっても住宅が迫っているが「帯解狐塚古墳」が見える。後期(6世紀後半)の古墳で横穴式石室が開口しており後部も崩れている。1959年の調査で須恵器、土師器、鉄鏃、馬具類と鉄釘が出土し、木棺が使用されていたことが分かった。
左:田圃の中を行く、以前は本当に田圃の真中にあった。左:開口部、奥壁側から
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 バス道に戻ると「円照寺」バス停があって円照寺の入り口がある。進入禁止であるがどんどん入って行くと、かなり歩いたところで山門に至る。一般の人は入れない。この右手の山へ昇る小道を入って突き抜けると池に出る。龍王池でここの道を左(東)へ行くと五ツ塚古墳に着く。後期の群集墳で東西にきれいに5つ小円墳が並んでいる。真ん中の3基は各々4m強四方、高さ2.5m~2.8mの横穴式石室が南に向かって開口していたが今は土砂で埋まってしまっている。
向こうから1号~3号、続いて4号、5号墳がある
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 次の古墳へは少し距離があるので県道の「下山」からバスに乗る、その前に下山の交差点の南東に小高い岡があってお稲荷さんがある。これがベンショ塚古墳で、前方部は破壊されているが中期後半の周濠を持つ全長約70m、後円部径25m、高さ5mの前方後円墳である。

 「下山」からバスに乗ると10分くらいで「高樋中町」に着く。高樋町弁天塚古墳の開口部は比較的大きく開いていて中に入りやすい。後期の円墳であるが削り取られていて大きさは不明、横穴式石室は4.1m×2.5m、羨道長4.2m。敷地は丘の上にあるレストラン「粟、清澄の里」の所有地なので心して見学したい。
左:奥壁、右:奥壁より羨道部を見る、下:墳丘進入路
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 さっきのバス道を戻って柳茶屋へ出る、ここを左(西)へ行き精華学院前をそのまま広いバス道を西へ行くと、すぐに左手に栗塚古墳がある。後円部の一部が削り取られているが回りを歩いてみると、前方部はかなり低いが前方後円墳であることが分かる。このあたりでは珍しく全長約100m、径50m、高さ5mとかなり大きな規模を持つが詳細は不明。栗塚古墳の西南に割塚古墳が見える、周りが削られていて方墳に見えるが径約30m、高さ3mの円墳と言うことである。いずれも中期の古墳。

 先ほどの精華学院に戻って左手(北西)に入る。左手に池を見て暫く行くと住宅地があるのでその中の道を左へ行く。道はすぐ細くなって竹やぶの中を行くと黄金塚古墳に出る。榛原石といわれるレンガ状の割石を積み上げた磚槨式石室を持つ古墳で陵墓参考地になっていた中に入れない。終末期の古墳で一辺26mの方墳、玄室長3.0m、幅3.3mと横長で、高さ2.6m。羨道長9.6m、巾1.6m。『日本書紀』の編纂にかかわった舎人親王の墓といわれている。以前この前の道を拡幅する計画があって、宮内庁が皇室の先祖の墓として管理する陵墓を一部提供するかどうかの判断材料とするため、拝所の前の部分を調査したところ人頭大の敷石が検出された。このため御陵の一部であるとして用地提供は拒否された経緯がある。今回訪問したところ周囲の空堀が発掘調査されていた。近いうちに説明会があるという、期待したい。
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 帰りは「山村」のバス停で解散し各々近鉄・JR奈良駅まで帰った。
by yumeoijyuku | 2009-02-21 20:38 | 古墳めぐり案内