古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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奈良の古墳めぐり・・その2-5

近鉄文化サロン現地学習 H20.9.18

天理市の中心部
天理教施設群周辺の古墳


 天理市の市街地杣之内町を中心とする大小の古墳は「杣之内古墳群」として知られる。前期の古墳としては西山古墳、後期では後期の前方後円墳としては屈指の規模をもつ西乗鞍古墳、東乗鞍古墳があり更に円墳では明日香村の石舞台古墳と同じくらい大きい規模の石室をもつ塚穴山古墳、切石の整備な石室をもつ峯塚古墳がある。東乗鞍古墳・峯塚古墳はその石室をじっくり観察できる。この地域は石上神宮と関係の深い物部氏の一族が葬られている可能性が高い。
 天理高校の南、中学校との間にある西山古墳は古墳時代前期の前方後方墳でこの形では我が国最大の規模を誇る。墳丘には木立が無く雑草もきれいに刈り取られていたが、今回は雑草が茂っていて墳丘に登れなかった。

西山古墳左が後方部、右手に天理大の馬場がある
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 西山古墳の前方部からすぐ北の墓地との間に「塚穴山古墳」が有る。この古墳は削平されているが大きな横穴式石室が露出している、天井石も無くなっているが明日香村の石舞台と同様な作りをしている。ここも学校本部が管理している。
 もとの教会本部からの道に戻り先に進むとT字路になっていて左(東)に向かう広い道があるので、この道を行くと道は大きくカーブして北方の石上神宮へ向かってゆく、この外側に小さな円墳「保昌塚古墳」が有るが詳細不明。その先の右手の小道を入り塀に沿って左へ曲がっていくと墓の入り口となる。右手に地蔵さんが並んでいるのでこの手前の畦道を50~60m程入り、更に左の山へ入る畦道を入るとすぐに竹薮の中に横穴式石室の開口部が目につく。「峯塚古墳」である。大きな花崗岩の切り石を使用しており、岩屋山式の美しい石室で7世紀中頃の築造と考えられる。墳丘には凝灰岩の切り石を使用した葺石が今もよく観察できる。葺石と整美な石室の古墳として有名。

峯塚古墳入口
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峯塚古墳の石室
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 先程の広い参道をT字路まで戻り左(南)へ曲がりしばらく行くと広い道との交差点に出る、この交差点のすぐ右(西)に南に入る細い道がある。この先に浄水場が見え、隣に「小墓古墳」が有る、詳細不明。この古墳を回り込んで突き当たりの小道を左(東)にとると、正面に前方後円墳「西乗鞍古墳」の山が目につく、道路沿いの一段高い所が公園として整備されている。この続きの山が古墳になっている、前方部と後円部が接近していて馬の鞍の様に見えるところから乗鞍の名が付いたという。麓の公園には桜の木が植えられていて小さい木もあるが花見には格好の場所となる。

突き当りが西乗鞍古墳、左手が後円部
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 次に西乗鞍古墳とほぼ同じ頃築造された「東乗鞍古墳」に向かおう。西乗鞍古墳のすぐ南のグランドの南の道を左(東)に入って行くとグランドを過ぎたあたりにビニールハウスが有って小道に突き当たる。この小道が「山の辺の道」になっているが、この道を左にとるとすぐに右にカーブしている、ここの電柱を目印に左の畦道に入ると、その先の左手が東乗鞍古墳になっている。前方部をほぼ西に向けている、古墳の後円部の南側を歩くとくびれ部に近いところに横穴式石室が開口している。入り口にお地蔵さんが祭られているが失礼して石室に入る。花崗岩の巨石を積み上げたもので、石棺が2つ有る、手前のものは組み合わせ式石棺の底板が割られて半分だけ残っている。奥には刳抜式家形石棺が安置されている、この石棺は蓋の一部が欠かれているが、縄掛突起が斜め上方に向かって付く古い形の家形石棺として有名。奥の石棺は土砂で大半は埋まってしまっているがよく観察できる。後期前方後円墳としては比較的古い6世紀前半の築成と推定されている。

東乗鞍古墳入口
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左手前は組立式家形石棺の底の一部、右奥は家形石棺、内部は朱色がよく残っている。
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今日はここから山の辺の道に入り、天理市の歴史を語るとき避けて通れない石上神宮を訪ねよう。
 途中、内山永久寺跡を訪ねる。内山永久寺は今では本堂池と萱御所跡の碑が残り、説明板に江戸時代末期まで40有余坊の伽藍があったことを示す絵図があるだけになっている。永久2年(1114年)に鳥羽天皇の勅願により創立され、江戸時代には五町四方の広大な地域を占め大和の日光と言われるようになったが、明治の廃仏棄釈によってボストン美術館が所蔵している仏画「四天王図」はじめ国宝級の仏像ほかの美術品の散逸と共に混乱の内に廃絶した。

芭蕉の句碑、23,4才ころ、永久寺全盛時に訪れている。
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 石上神宮は日本書紀に垂仁天皇年間に大和朝廷の武器庫となって物部氏が管理するに至った経緯が書かれている。石上神宮で有名なのは「七支刀(しちしとう)」である、日本書紀神功皇后(じんぐうこうごう)摂政(せっしょう)52年に百済から献上された「七支刀」にあたるとされている。この刀には金象嵌の銘文があることでも知られていて、明治初期に宮司をしていた菅政友が刀の錆を静かに落とすと始めて文字が現れたと著書で発表している。銘文の解釈は色々あって定説とはなっていないが、年号の解釈によって4世紀後半または5世紀後半に朝鮮半島の百済王から倭王に渡ったと言うのはほぼ間違い無さそうである。石上神宮にはほかに2枚の鉄盾が知られている。石上神宮の拝殿、すぐ南にある摂社出雲建雄神社拝殿と七枝刀は国宝。

石上神宮の鶏
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 石上神宮からの帰りは通りへ出て右(北)へすぐの布留交差点を左(西)へ行き、朝来た天理本通りを天理駅に向かう。

写真はクリックすると拡大します
by yumeoijyuku | 2008-09-18 23:14 | 古墳めぐり案内