古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


by yumeoijyuku

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奈良の古墳めぐり・・その2-3

近鉄文化サロン現地学習 H20.6.19
山の辺の道添いの古墳③
大和古墳群(1)

今日は「山の辺の道」を中心に分布する大和(おおやまと)古墳群を散策した。大和古墳群は5月に訪問した景行天皇陵、崇神天皇陵を含む柳本古墳群の北に位置する古墳群になる。大和古墳群は西殿塚古墳(手白香皇女(たしらかのひめみこ)衾田陵(ふすまだのみささぎ))を中心として、全長100mをこえる前方後円墳や前方後方墳で形成されているが、これらの古墳は西殿塚古墳に引き続いて築造されたものとみられ、ほとんどが古墳時代前期から中期のものである。ただし西山塚古墳だけは6世紀に位置づけされている。
 JR「柳本駅」を東に出るとすぐに上ツ道に出会うのでこれを左(北)へとる。上ツ道は飛鳥と奈良平城京を結ぶ古代の幹線で上、中、下の内一番東の道にあたる。間もなく右手に屋根と太い柱だけのお堂「長岳寺五智堂」がある。五智堂は鎌倉時代の建物で国の重要文化財になっている。ここから東へ1km弱で弘法大師が大和神社(おおやまとじんじゃ)の神宮寺として創建したという長岳寺がある。

五智堂
奈良の古墳めぐり・・その2-3_e0080110_20254118.jpg


広い道を右(東)へ行くと県道に出るので左へ行きすぐの細い道の所を斜め右(北東)に入る。すぐ交差する道を右に行くと山の辺の道に出会うのでこれを左(北)へ行く。すぐ右手に歌碑がある
衾道乎 引手乃山尓 妹乎置而 山徑徃者 生跡毛無
「ふすまじを 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば い生けりともなし」
柿本人麻呂の歌で万葉集に納められている。東に見える龍王山は死者を埋める山で「引手の山」と言われている。人麻呂は我が妻を失い龍王山の麓に葬った後、とりとめのない心を「生けりともなし」と歌ったという。この歌碑は故犬養孝阪大名誉教授の筆によるもので「孝」の銘がある。

歌碑の解説、後は中山大塚古墳
奈良の古墳めぐり・・その2-3_e0080110_20242718.jpg


そのまま山の辺の道を行き坂を上ると中山公民館がある、ここの右手が広場になっていて祠が並んでいる。このあたりが中山大塚古墳の前方部前面で祠は古墳を削り取ったかたちになっている。ここを右手に廻った土堤の外れに小道が有って墳丘に登れる。1993年の調査では後円部の墳頂から内部長7.5mにおよぶ長大な竪穴式石室が発掘された。この時期の古墳では最大級のもので、成立間もない大和政権の有力者の墓の可能性が強い。また94年の調査では後円部の墳頂以外ほぼ全面に10~30㎝大の石で覆った特異な構造であることが分かった。前期の主だった前方後円墳では墳丘上面には葺石を施さず、墳丘斜面の葺石も一重かせいぜい二重である。後円部墳頂の竪穴式石室の有った場所には植木で区画されていて分かりやすい。
先ほどの中山公民館の前を西へ坂を下ると左にカーブしている内側が「小岳寺古墳」にあたる、墳丘は裾部分が道路で削られているようである。

坂の下で交差する小道を右に行き県道を横断してさらに西へ向かうと上ツ道に出会う。ここを左(南)へ、すぐの道を水路に沿って右(西)へ曲がる、すぐに右手に新池、左手に古池が有るところに出るので、右(北)へ新池を左に見て池の縁を伝う道を行きそのまま池沿いに堤防に出ると池の西の堤に出られるが、この堤の中程の所に祠があってその外(西)のJR桜井線との間に「弁天塚古墳」がある。古墳を観察するには池沿いの道を堤防に上らずにJRの方へ行き廻りこむとよい。前方後円墳の後円部が残っており前方部は削平されて耕作されている。
上ツ道に戻り左(北)へ行く左手に柿園がある、前方後円墳「ヤハギ塚古墳」である。古墳の北側の道が墳丘に沿ってきれいにカーブしている。
上ツ道を北へ取りすぐ中村電気店が有る所を右(東)に入るとすぐ左に全長約110mの前方後方墳「フサギ塚古墳」がある、墳丘上からは崇神天皇陵、その先に三輪山が望める。この古墳は東側から北へ回り込むとまわりは田でよく観察できる。

墳頂から南を見る:左は三輪山、その手前は5月にめぐった崇神天皇陵
奈良の古墳めぐり・・その2-3_e0080110_20263631.jpg

フサギ塚古墳:北より
奈良の古墳めぐり・・その2-3_e0080110_2027956.jpg


上ツ道をさらに北へと行くと大和神社の鳥居のすぐ横が鳥居池であるがこの池が「馬口山(ばくちやま)古墳」の周濠の一部になっている。この古墳から採取された特殊器台や埴輪の破片から築造年代が分かり、大型前方後円墳の元祖のように言われている桜井市の箸墓古墳よりさらに古く2世紀後半から3世紀にかけての年代と判定された。大型前方後円墳が突然出現する前の段階のものはほとんど知られておらず注目された。
この古墳の前方部と後円部の間あたりにある小道で古墳を横断すると西へ向かう道に出るので、そのまま行くとゲートボール場に突き当たる、ここを左に行くとすぐ小山に突き当たる、ここは大和(おおやまと)神社の境内になっていてこの山が「星塚古墳」で星山として祀られている。この山を右手に回り込むと大和神社の社殿に出られる。祭神は「大和大国魂大神(おおくにたまのおおかみ}」「八千戈大神(やちほこのおおかみ)」「御歳大神(みとしのおおかみ)」とある、大和大国魂大神は神代の昔から我が国土の守護神として国民に幸福を与え国威を輝かし給える国の御魂という、八千戈大神は大国主神の別名、御歳大神は穀物を守護する神。すなわち大和神社は日本最古の神社で日本の大地主神と言うことになる。太平洋戦争の末期に戦局打開を期待されながら華々しく散った戦艦「大和」にはここの分霊が祀られていたと言う。

帰りは先ほどのゲートボール場の横をそのまま北へ人家のあいだを行くと通りへ出るので、ここを左(西)へ行くと朝出発したJR「長柄駅」に出る。


〇 <写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2008-06-19 20:50