古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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古代のロマン・古墳をめぐる・・その2ー46 

23年度最終月で全員参加のもと、朝から天気がおかしくて小雨が降ったが、その後回復してマズマズの古墳めぐりとなった。

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集合、出発はJR奈良線「棚倉駅」。左:棚倉駅、無人駅だが地域の方が駅の世話をしてくれている。中:まず駅前の「湧出宮」で参拝、常時は無人、称徳天皇の御代に御祭神をお招きしたとき一夜にして森が湧き出したという。右:駅西北にある「アスピア山城」の図書館に椿井大塚山古墳出土の銅鏡のレプリカが展示されている。
 三角縁神獣鏡については発掘調査を担当した京都大学の小林行雄講師(当時)が早くも1955年に「古墳発生の歴史的意義」を発表している。趣旨はそれまでに各地で出土している三角縁神獣鏡の同范鏡との関係から『弥生時代から古墳時代へ変転するなかに、権威の革新があった。それは(画文帯神獣鏡のような)伝世の宝鏡の保管によって象徴される「在来の司祭的権威」から「大和政権から承認を受けることによって、その地位と権力を保証されるものに変化した。その証が地方首長に分与した三角縁神獣鏡である。」』というものである。
「アスピア山城」の前の府道を南へしばらく歩いて鳴子川の手前でJR線を左(東)へ亘る。すぐ東の階段を上るとお稲荷さんの社に至る。ここの境内が「北河原稲荷山古墳」の上になる。「直径約33mの円墳で葺石、鰭付円筒埴輪が存在した。古墳時代前期後葉のもの。この先にある城山古墳の次世代の首長墓とされている。規模が小さくなっており、勢力が衰退していることがわかる。注1(平成23年4月の奈良県立橿原考古学研究所友史会報による、以下同)」。

平尾城山古墳は「南西に主軸を持つ前方後円墳で全長110m、後円部径70m、高さ11.5m、前方部幅約38m。後円部に竪穴式石室1基と粘土槨2基があった。石室はほぼ南西に主軸をとり、北向きの頭位とされている。竪穴式石室に割竹形木棺があったと推測されている。注1」。墳丘特に後円部は大きく破壊されていて形態は判然としない。。4世紀初頭。
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左:北河原稲荷山古墳。右:平尾城山古墳。

元の府道に戻って南へ行き右手に「中井建設」の小さな建物がある先のところを左へ水路を渡って入ってゆくとすぐ左前方に大塚山古墳の標識がみえる。ここのT字路の角が前方部端にあたる。ここを左に行き、JR奈良線を潜った所の右が後円部墳丘なのでこれを昇る。
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左:左手奥に後円部。中:正面の標識が前方部西北端。右:この先のJRをくぐってすぐ右手の後円部を上る。

椿井大塚山古墳は「全長約175m、後円部直径約110m、前方部長約80m、前方部墳端幅約76mと推定される前方後円墳である。後円部四段前方部二段の段築で、前方部から庄内~布留移行期(三世紀中~四世紀初)の土器が出土した。明治27年に前方部と後円部を分断して鉄道が敷かれて墳丘が破壊された。昭和28年には京都大学が発掘調査を行った。後円部中央にある南北軸の竪穴式石室は全長6.9m、高さ約3m、幅1.15m~1.03mを図り、内部には割竹形木棺が北向き頭位で安置されたと推定された。これまでに37面の青銅鏡が採取されて、古代国家形成論上不可欠の資料として評価されてきた。他に鉄製の刀・剣、槍・鏃の武器冑・甲の武具類、鎌・斧などの農耕具類、漁具類等が出土している。注1」。
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墳頂から西方を望む。右手から左手へJR奈良線が走る。左が奈良方面。中央の大きい家が前方部に建っている。

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左:墳頂の説明板。右:同左拡大。・・・落書きされているので前回調査時点のものを使用。

大塚山古墳の奈良側には同様に線路によって分断された椿井天井山古墳、椿井御霊山古墳がある。

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近くの光明寺に天井山古墳の竪穴式石室の天井石が有る。左:光明寺山門。右:天井石。

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左:山城中学校に残る大塚山古墳の堅穴式石室に使われていたという天井石。中:山城古道の標識。右:マンホール。

JR上狛駅を南に行き、墓地のところを左(東)に行くと高麗寺跡がある。「南面する法起寺式伽藍配置をとる。寺域は東西約190m、南北約180mと推定される、中枢部は史跡である。注1」。7世紀初頭(飛鳥時代)に創建された国内最古の寺院跡のひとつで、高句麗からの渡来氏族狛(高麗)氏の氏寺として創建されたと考えられている。
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左:高麗寺跡の標識、整備工事が行われていた。中:塔礎石。右:京都府山城郷土資料館へ。

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左:資料館入口。中:上狛駅で解散。右:駅前の標識。
by yumeoijyuku | 2012-03-15 22:46 | 古墳めぐり案内