古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-43

朝日カルチャーセンター 現地講座 H23.12.15

八尾市の古墳①

 八尾市の東部、高安山のふもと一帯に高安古墳群が広がっているが今日はその北側に広がる楽音寺(がくおんじ)・大竹古墳群をめぐる。

 近鉄信貴線服部川駅から北へ30分ほどで心合寺山(しおんじやま)古墳につく。八尾市教育委員会発行の「国指定史蹟心合寺山古墳2005」によると古墳は南に開く前方後円墳で全長160m、後円部径約92m、高さ約13m、前方部幅約90m、高さ約12mで古墳時代中期(5世紀前半)築造とされている。同じような規模をもつ中期の古墳には藤井寺市の仲津姫陵の南西にある古室山古墳(周濠無し)、前期では京都府の椿井大塚山古墳があって全国で60番ほどの大きさになる。

この古墳は1993年本格的な発掘調査を開始している。
 1997年8月:墳丘長さ160m以上で大王陵に次ぐ規模の墓と分かった。23個の円筒埴輪列が出土。
 1998年9月:前方部で底面が縦7m、横6mの台形状の方形壇を検出した、方形壇が前方部で確認されたのは全国初。遺構に接して約30mにわたる円筒埴輪列がほぼ完全な形で出土。

 2005年5月:八尾市は「心合寺山古墳」の整備事業を完成し、古墳時代中期(5世紀初頭)の前方後円墳の外観を復元した。「しおんじやま古墳学習館」も新たに新設した。
 まず学習館で勉強してから古墳を見学する。
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中央に心合寺山古墳、遠景は生駒山地(主峰の生駒山や信貴山を経て大和川に至る山系)高安山付近。

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左:*心合寺山古墳資料館の館長さんに案内していただいた。中:*後円部下段の埴輪列。右:*前方部の埴輪列、後円部より、前方先端に方形壇。

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心合寺山古墳。左手ー後円部、右手ー前方部。

 1999年8月:「三つ木棺 並ぶ埋葬施設跡」を発掘。後円部の頂上で木棺の周囲を粘土で固めた粘土槨が3か所見つかった。南北11m、東西8mの範囲に南北方向に50㎝の間隔で整然と並んでいた。

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*後円部墳頂。発掘された3つの粘土槨の位置が明示されている、それぞれに木棺が埋葬されていた。

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前方部で検出された底面7m×6mの台形状の方形壇。方形壇が前方部で確認されたのは全国初。

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左:後円部墳丘。右:周濠、南東部から後円部を見る。

 高安山山麓の古墳めぐりには「しおんじやま&高安古墳群散策マップ」がわかり易いので「古墳学習館」で手に入れて散策してほしい。
 心合寺山古墳の北東、大阪経済法科大学構内に高句麗の第19代「好太王碑」のレプリカがあるので見ていこう。414年に息子の長寿王が好太王(=公開土王:在位391~412年)の功績を称えて建立したものである。約1800字からなる碑文は純粋漢文で記されており、4世紀末から5世紀初の朝鮮半島の歴史だけではなく倭が登場することから古代日朝関係史を知る上での貴重な史料となっている。
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高句麗好太王碑レプリカ

 愛宕塚古墳は心合寺山古墳の東南東に位置して、神立(こうだち)の墓地の西になる。愛宕塚古墳について「八尾市文化財情報」によると「古墳時代後期(6世紀後半)に造られた円墳で、墳丘の大きさは直径約22.5m、高さは約9m。埋葬施設は、石材を積み上げた両袖式(左袖が極端に短いので片袖式とも見える)の横穴式石室で全長15.7m、玄室長7m、玄室幅3.1m、羨道長8.7m、羨道幅2.1m。石室内部の広さは畳約11畳分もの大きさがあり、奈良県の明日香村にある石舞台古墳石室(全長19.15m、玄室長7.7m、幅3.5m、羨道長11.6m、幅2.2m)に匹敵する。大阪府下では最大級の横穴式石室で、有力な人物のお墓であったと考えられる。昭和41(1966)・42年の発掘調査では、凝灰岩(二上山の白色凝灰岩)と竜山石製の2種類の石材の組合式の家形石棺の破片や、ねじり環頭大刀、龍の模様が施された飾り金具をもつ大刀、鉄地金銅張りの馬具、ガラス玉の首飾り、須恵器など古墳の規模にふさわしい出土品が見つかっている。」

1996年3月の毎日新聞には愛宕塚古墳を物部氏の墓とする記事がある。「愛宕山古墳は飛鳥の石舞台古墳に匹敵する巨大な石室をもつ。安井良三さん(八尾市立歴史民俗資料館長)は『朝鮮半島の百済に渡り、新羅を攻めた物部氏の一族』と結論した。信貴・生駒山地の西側が物部氏の拠点であること、朝鮮系の舶来の馬具一式を持つことに着目したもので、朝鮮派遣の軍事氏族・物部氏なら、舶来品を入手しやすいと考えられる。」
物部氏は河内国の氏族で元々は兵器の製造・管理を主に管掌していたが、しだいに大伴氏と並ぶ有力軍事氏族へと成長し、雄略朝には最高執政官を輩出するようになっていた。物部守屋の時587年、用明天皇崩御後の次期天皇選定に際して蘇我馬子らの連合軍に破れて、守屋は河内国渋川郡(現・東大阪市衣摺)の本拠地で戦死している。次期天皇には蘇我氏の推薦する崇峻天皇が即位し、以降物部氏は没落する。そして蘇我氏は権勢をふるい、592年10月崇峻天皇を暗殺してしまう。

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愛宕塚古墳①。左:開口部。右:解説碑。

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愛宕塚古墳②。左:石室奥壁。右:床、石が敷きつめられている。

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愛宕塚古墳③。玄室から。左:玄門部見上げ石。右:羨道。

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愛宕塚古墳④。羨門部から、羨道部左右。

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愛宕塚古墳⑤。左:西方大阪市方面遠景。右:同左、中央右手に梅田のハービスOOSAKA。


<写真はクリックすると拡大します>、お断り:朱雀のカメラが入院中のため、掲載の写真は*印以外のものは事前調査時点のものを使用しました。
by yumeoijyuku | 2011-12-24 23:03 | 古墳めぐり案内