古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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大和の古墳めぐり・・その2-21

朝日カルチャーセンター 現地学習 10.02.18
葛城山麓の古墳①

葛城山麓は古代豪族で襲津彦を祖とする葛城氏の根拠地で、仁徳天皇妃磐之姫が有名。
先ず葛城市歴史博物館で勉強していこう。忍海(おしみ)駅北西すぐにある市の施設で、今日訪れる屋敷山古墳出土の石棺蓋他、古墳からの出土品も多く展示されている。出土した屋敷山古墳の石棺は古墳近くの新庄中学校にあった石棺部材と組み合わせられるもので、溝を掘り込んだりした手の込。
博物館内、左は屋敷山古墳の石棺蓋
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 ここから北へ近鉄線路沿いに行くと北花内大塚古墳(飯豊天皇陵)に至る。天皇として在位した天皇ではないが2代に亘る天皇の姉で、短期間であるが朝政を見たことから天皇と称された。『日本書紀』では飯豊皇女の弟にあたる顕宗・仁賢天皇は父の皇子(履中天皇の子)が雄略天皇に殺された時、難を逃れて播磨国明石郡縮見屯倉(しじみのみやけ)に身を隠していた。時の清寧天皇には子がいなくて後継者を探していた時、名乗り出て皇統を認められた。兄弟が譲り合って皇位に就かないので、姉の飯豊皇女が朝政を見ることになり、忍海飯豊青尊と称したため天皇と呼ばれるようになった。全長約90m、後円部径約50m、前方部幅約70mの前方後円墳で古墳の周辺部から得られた円筒埴輪、象形埴輪、笠形木製品から5世紀末から6世紀前半の築造と思われていて、葛城氏系の皇女に時代、『日本書紀』にいう場所に矛盾しないという。
 屋敷山古墳へは北花内大塚古墳の北を西へ行くと広い県道山麓線にでる。ここが屋敷山公園で古墳はじめ葛城市の一大文化施設群があって市民の憩いの場となっている。全長約135m、前方部、後円部の高さがほぼ同じの前方後円墳で前方部を北に向けている。中世から近世初頭にかけて、豪族が居館や、陣屋として改変された。そのため埋葬施設は破壊されていたが発掘調査によって、長さ2.4mの長持形石棺の蓋石が出土した。今日訪問した市の資料館に展示されていたものである。竪穴式石室の天井石も一枚残っていたものが現地に展示してある。縄掛け突起が付いたもので、御所市室大墓古墳や奈良市の野神古墳と同じものであまり例が無い。
 屋敷山古墳の北の道を西へ行く。県道を過ぎて右手に水路が並行するところから少し先で右手に入って二塚古墳に行く。
二塚古墳へ、前方は葛城の山々
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全長約60mで前方部を北に向けた前方後円墳である。標高200m付近の尾根上に有って、前方部、後円部共に高さは10mある。
二塚古墳全景、左が後円部
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この古墳には三基の石室があって後円部のものが開口している。全長16.4m、玄室長6.7m、幅3m、高さ4.1mを測る。凝灰岩の破片が有って石棺が有ったらしい。

前方部と西側作り出しにも石室がある。前方部のものは南西方向に向いていて全長9m、玄室長3.9m、幅1.7m、高さ1.9m。玄室中央には凝灰岩の組合式石棺の底石があった。西側造り出しのものは全長7.8m、玄室長4.5m、幅1.4m、高さ1.3mで埋葬施設があったかどうかは分かっていない。この古墳の作り出し部の石室から出土した多量の須恵器は後期古墳の編年上の基準資料となっている。6世紀中頃の古墳とされている。この古墳は民有地で後円部の石室には錠がかかっていて鍵がないと中に入れない。横穴式石室を持つ後期前方後円墳はあまり無い。
後円部石室開口部
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石室奥壁
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石室より羨道部を見る
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前方部石室奥壁
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石室より羨道部を見る
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次は東へ、今度は少し北へ振って戻る。

神明神社古墳へ、中央に畝傍山、左の塀際に耳成山
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浄願寺の所を東へ、県道を渡って更にやや北へとると左手の住宅の裏に奈良県社会教育センターの森が見える。この住宅の裏の森に神明神社古墳がある。墳丘はかなり削平されているが径約20mの円墳で墳丘の中央に開口する花崗岩の切石を使用した南面する横穴式石室が有名。玄室と羨道の区別がほとんど無い無袖式に近い、側壁に立てに幅10cmの溝が刻まれていてここに木製の扉がはめ込まれて玄室と羨道を区切ったようである。羨門付近の側壁にも溝があってここにも扉があったと考えられている。石室内部から扉に付けられていた取手の銀張りの環金具が出土している。棺、副葬品は不明。切石造りで、唐尺による単純化されたプランの石室形式から、飛鳥駅すぐ北にある岩屋山古墳を基準にした岩屋山式石室系でも最も新しいもので、築造は7世紀中頃かそれ以降が推定されている。
神明神社古墳の前でパチリ
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ここから東へ県道山麓線を渡って東へ行くと新庄小学校の西に法林寺がある屋敷山古墳にあったという凝灰岩製の刳抜式石棺の身が手水鉢として使用されているので寄っていこう。
前日まで雨を心配していたが、天気がよく、少し風が有ったが冬としてはまずまずの天候であった。ここを南に出て東へ行くと近鉄新庄駅に出る。
by yumeoijyuku | 2010-02-19 23:01 | 古墳めぐり案内