古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告9/9

2013.05.29日、辺山半島→扶安→扶余→仁川空港 その2
23、国立扶余文化財研究所
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①左:対応してくれた所長。中:蓮華文椽木瓦・観音寺址。右:銀製舎利壺・扶余王興寺。

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②出土瓦の分類標本。左:出土瓦。右:瓦の陳列に対応した分類表。左の瓦は右の表の上段左から2~4列目と2段目2~4列目。

24、帰国へ
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① 左:「天安」サービスエリア。中・右:途中の水田風景。
 

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② 左・中:仁川大橋を渡って仁川国際空港へ。右:空港構内

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③ 左:搭乗手続。中左:搭乗口へ。中右:搭乗機。右:関西空港着。
 仁川国際空港を19時35分発、関空到着20時59分であったが、JR線ダイアの乱れで空港から大阪の自宅まで帰った時には日付は30日になっていました。


最後まで閲覧いただきありがとうございました。
ご案内の田中先生、㈱国際交流サービスさんにはお世話になりました。

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2013-06-24 14:07 | 現地説明会、講演会

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告8/9

2013.05.29日、辺山半島→扶安→扶余→仁川空港 その1

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①左・中ホテル前。右:高速「扶安」サービスエリア。

19、百済最後の都の「扶余」の羅城発掘現場
 羅城は中国式で街全体を囲む城壁のこと。百済最後の王都・扶余では全長8kmを超える羅城があったとされている。この羅城の一部が(財)扶余郡文化財保存センターによって調査されている。

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① 左:扶余案内図。中:発掘現場、左手から奥にかけて羅城跡が発掘されている。右:発掘調査担当の(財)扶余郡文化財保存センター調査チームの先生に説明してもらった。中央左は田中先生と右・担当の先生。

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② 説明に使った発掘写真、石積の基礎などが出土している。

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③ 左:寺院調査区、中央左右に寺院の石積が見える。中:石積の中央部にある基壇。右:伽藍配置図。

20、陵山里東下塚(模型)、羅城発掘現場のすぐ東に複製展示されている。
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① 左・中:羨門。右:説明板。


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② 左:羨門。中:玄門。右:石室内部。


21、莘岩里古墳(実物)
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① 左:墳丘、右奥は東下塚。中:奥壁と右側壁。右:床面。

22、王墓
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① 左:扶餘隆の墓。中:百済義慈王の墓。右:説明板。
・義慈王・・第31代百済王、唐に滅ぼされる最後の王、599~660年。隆は義慈王の子で、後に唐に取り立てられるが新羅の勢力が強く百済の回復はできなかった、682年没。1920年に中国・洛陽で墓誌が発見されている。

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② 左:扶余陵山里古墳群、百済王代々の墓、。中:陵山里古墳群展示館。右:この墓域の谷間から出土した「金銅大香炉」。

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2013-06-24 14:06 | 現地説明会、講演会

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告7/9

2013.05.28日、光州→咸平郡→辺山半島→辺山泊 その2

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光州市内

16、月桂洞古墳(光州広域市光山区)・・・都市開発地の中に公園化して、保存されている。2基の前方後円形古墳が近接して築かれている例は他に例がない。

1号墳・・・西北西に開く前方後円形古墳。現状の墳長36.6m、後円部径16m、高さ4.8m、くびれ部幅約10.4m、高さ3.3m、前方部幅27m、高さ4.9m。調査結果では墳頂45.3m、後円部径25.8m、前方部幅31.4M、高さ5.2mあったと推定された。写真はパノラマ合成しているので歪んでいるが平面は一般的な前方後円墳形である(以下同)。
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① 前方部南西から後円部を見る。後円部の横穴式石室がくびれ部側に開口している。

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② 前方部北西から後円部を見る。

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③ 前方部北から墳丘北面を見る。

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④ 後円部北東から前方部を見る。

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⑤ 左:説明写真。中:月桂洞古墳・長鼓墳説明板。右:2号墳、1号墳より南西に約50離れている。西南西に開く前方後円形古墳。墳長約28m、後円部径13.9m、高さ2.3m、前方部幅11.9m、高さ2.0m。

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⑥ 日本で言う三角点

17、礼徳里新徳古墳群(咸平郡月也麺礼徳里)
 北に開く前方後円形の1号墳とその北17m離れて2号墳、円墳がある。1号墳は総長51m、後円部径30m、高さ5m、前方部幅24m、高さ4mで周濠があった可能性が高い、墳丘長軸に直交して長さ約2.9m、幅約2.3m、高さ約2.4mの横穴式石室があって、木簡を置いたとみられる棺台があった。 2号墳は径15m、高さ1.5mで横穴式石室を持つ。

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① 左:古墳へ。中:1号墳後円部。右:説明板:。

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② 左:新徳2号墳、手前は1号墳前方部裾。右:1号墳前方部。

18、万家村古墳群
 内洞里古墳群と同じように、墳頂の長い古墳が密集している。14基の古墳は東西軸並行3基と南北軸並行とする2つのグループに分かれている。
 新徳古墳群の南方すぐにある古墳群で、埋葬主体は多数の大型甕棺を持つ。
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① 左:長い古墳が集中している。中:説明板。右:近くのバス停。

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② 各古墳には数基から10基程度の甕棺が埋葬されている。
by yumeoijyuku | 2013-06-24 14:04 | 現地説明会、講演会

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告6/9

2013.05.28日、光州→咸平郡→辺山半島→辺山泊

光州新陽パークホテルの朝
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左:部屋から・・・裏山だった。中:外観:。右:ロビー。

15、国立光州博物館
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① 左:正面入り口。右:同左。

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② 本館

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③ 支石墓1 左:基盤式支石墓・青銅器時代。中:下部構造。右:同左。

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④ 支石墓2 左・中:下部構造。右:屋外展示の様子。

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⑤ 左:左側は日光鏡(銅鏡)、中央と右は銅鏡とある。中:銅鏡。右:磨製石器・青銅器時代

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⑥ 甕棺。左:埋葬状態。右:内部の様子。

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⑦ 左:円筒型土器、光州・月桂洞、三国時代(5~6世紀)。中:倭系土器、三国時代。右:母子曲玉。

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⑧ 左:鉄造如来座像仏(高麗時代、高95㎝)。中:国宝・金銅冠(新村里9号墳乙棺、高さ25.5㎝)。右:ロビー。


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by yumeoijyuku | 2013-06-24 14:01 | 現地説明会、講演会

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告5/9

2013.05.27日、木浦→羅州→潘南→霊岩郡→光州  その2

11、羅州潘南面古墳群(羅州市潘南面大安里他)・・・小さい山を囲んで古墳群がある。潘南面の小山(紫微山)周辺の低い丘陵地に、大安里、新村里、徳山里など7支群にまたがって分布する三国時代百済の墳墓群。大小30基以上が,七つの支群に分かれる。そのうち,円形または方台形の一つの墳丘内に,1個ないし7~8個の甕棺を埋葬施設とするものが多い。栄山江流域の代表的な甕棺古墳群。
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① 左:説明図。右:日本語解説。

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② 左:説明板・・新村里古墳群とある。中:大安里8号墳。右:徳山里10号。  

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③ 左・右:小円墳・方墳群が見られる


12、沃野里古墳群(霊岩群始終面)・・・甕棺墓を有する古墳群

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① 左:説明板。中・右:古墳群。  

13、内洞里古墳群(霊岩群始終面)   

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① 左:馬韓文化公園。中:説明板。右:標識。

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② 手前が南で、左の2号墳の墳頂部の直径は15m。、右の1号墳は長軸35m、短軸15m。1・2号墳ともに低丘陵の先端部分に位置する。2つの古墳は南北に長い長円形で東に1号墳、西に1号墳があって隣り合わせて立地している。2号墳の墳頂は北に、1号墳は南と互いに墳頂部を逆にしている。1号墳では周囲に幅60〜90㎝、高さ約1mの周溝が検出されている。1号墳には甕棺5基、土壙墓3基。2号墳には甕棺1基、土壙墓2基が確認されている。

14、チャラボン古墳(霊岩郡始終面泰潤里)
 チャラボンは前方後円形古墳の平面形がスッポン=チャラに似た形から由来する。丘陵のない東南側は、干拓事業で埋め立てられる前までは海水が古墳の近くまで入っていたといわれる。西南西に開く古墳の規模は、全長35.6m、後円部径23.3m、高さ5m、前方部幅8m、高さ2.25m。後円部のほぼ中央に古墳の長軸線に直交して、長さ3.2m、幅2.2m、の堅穴式石槨があった。石槨の築造技術は未熟な水準とされた。
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① 左:説明板。右:後円部より、東側くびれ部から前方部。

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② 全景、西から

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④前方部、南から

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⑤ 後円部、北西から


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by yumeoijyuku | 2013-06-24 14:00 | 現地説明会、講演会

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告4/9

2013.05.27日、木浦→羅州→潘南→霊岩郡→光州 その1


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ホテルの部屋からの眺望

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左:ホテルロビー。中:調度品。右:正面車寄せ。

8、咸平群馬山里杓山古墳
 前方後円形古墳を主墳に周囲に12基の小円墳が築造されている古墳群。掘削調査中の古墳が見学できるというので期待したが、あいにくの雨の中での見学であった。後円部頂から放射状に3本のトレンチが掘られていて、防護シートの隙間から石室材?を垣間見することができた。

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① 左:古墳説明板。中:朝から雨の中黙々と上る。右:主墳。
主墳を挟んで、12基の小円墳が確認されている。

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② 調査中、左:後円部頂にあるトレンチのシートから見えた石材、石室天井石か?。右も掘削調査箇所。

9、羅州伏岩里古墳群
 4基からなる古墳群で1号墳は直径約18m見当の円墳で幅2mほどの周濠が巡る。他の3基は不成形な方墳。1号墳には墳頂中心から西にずれて南に開口する横穴式石室があって甕棺4基が検出されている。3号墳には約20基の横穴式石室と別に20基前後の甕棺墓があった。
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① 左:説明板。中左:1号円墳、向こうに方墳。中右:1号円墳の向こうに方墳2基、右奥の3号墳には多数の甕棺が埋葬されていた。右:説明板の後方向に3号墳その右に低い4号墳。

10、国立羅州博物館
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① 左:甕棺の埋葬状態。中・右:接合部拡大。

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② 左:入口と5日間お世話になったバス。中:甕棺焼成窯の地層剥ぎ取り展示。右:レストラン「羅州コムタン」にて昼食

11、羅州錦城館・・・昼の食堂の近くに有ったので見て回った。羅州牧の客舎の建物で、高麗~朝鮮時代に地方宮室として造られた。中央から来る官吏たちを両側の翼舍に泊めた。錦城館の正門である望華楼は復元されたもの。
① 
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左:解説板、客舎、軍器庫、訓練庁の文字が見える。中:囲いの塀が続く。右:説明板拡大。

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② 左:望華楼。中:太鼓楼。右:?塀に囲まれた中にある。


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by yumeoijyuku | 2013-06-24 13:59 | 現地説明会、講演会

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告3/9

2013.05.26日、光州→海南→木浦 その2

5、大興寺
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① 左:海南郡旅行者用地図。中:同左。右:大興寺説明板

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② 浮屠殿。左:浮屠は僧侶の舎利を奉安したもので、・・・とある。中:浮屠群への入口(入れない)。右:浮屠群。

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③ 左:大雄宝殿の仏様。中左:大雄宝殿。中右:人生訓。右:山門

6、海南長鼓山古墳(海南郡北日面方山里)
 韓国の前方後円形古墳では最南端にある単独墳。南約1kmで現在の海岸線がある。当時は海岸がもっと近く、海上交通と密接に関係していたと思われている。全長77m、後円部径44m、高さ10.1m。前方部幅36m、高さ9.4m。くびれ部幅31m、高さ6.3m。墳丘形状に乱れがなく良好に保たれている。

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① 左:説明板。中左:前方部。中右:前方部から後円部を見る。右:前方部。

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② 後円部

7、龍日里龍雲古墳群
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① 左:説明板。中左・右:2号墳。右:向こうに1号墳


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by yumeoijyuku | 2013-06-24 13:55 | 現地説明会、講演会

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告2/9

2013.05.26日、光州→海南→木浦 その1

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ホテルの朝、部屋からの眺め。

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ホテルの出たところで車同士の事故直後で、お互い路上で言い争っていた。

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左:光州市内。右:栄山江。

3、ヨンパリ(康津郡康津邑永波里)古墳:案内の田中先生が最新情報を入手されて、韓国の前方後円形古墳の14番目と認定された古墳を急遽コースに組み入れられて見に行くことになった。詳細は不明。
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① 左:詳しい地図がないので農作業者に聞きながら探して回った。中:付近の地図にももちろん出ていない。右:中の地図があった村の施設。

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② ついに発見。左右とも同じ古墳、左:古墳の左手が前方部で、この土手からアプローチできる。右:後円部へのアプローチ。

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③ 左:後円部から、くびれ部がよくわかる。中:墳丘上部、前方部。右:同左後円部。

4、、龍頭里古墳(マルムドン古墳、海南郡三山面昌里)
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左:説明板。中:標識。右:付近にあった現代の富裕層の墓、有力者の墓が中央奥にあって、一族の墓が集まっている。

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古墳全景、後円部北から。

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同上、北西から。左が後円部、南南西に開く。


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by yumeoijyuku | 2013-06-24 13:49 | 現地説明会、講演会

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告1/9

 2013.05.25日、出発・関空→釜山→光州

はじめに:今回の訪韓目的は韓国南西部の全羅北道、全羅南道を流れる栄山江流域に散在する前方後円墳と、あわせてこの地域の史跡をたずねることである。旅行計画は主催した「㈱国際交流サービス」によるもので、ご案内・解説は滋賀県立大学教授田中俊明先生による。

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①左:国際線へ。中:搭乗手続き。右:搭乗ゲートへ。

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②左:搭乗機。中:離陸。右:淡路島北部、上は明石海峡。

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③左:小豆島北東部。中:岡山県玉野市・剣山、上部(北)は岡山市。右:右手は中海、島は大根島、左下は宍道湖・松江付近。

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④左:洛東江、右方向に釜山市街がある。中、右:釜山・金海国際空港着。


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⑤左:入国。中:空港建物。右:西へ出発。


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⑥左:高速道路を西へ「順天」を目指す。中・右:途中の田園風景、日本の田園によく似ている、田植え時期もほぼ同じ。

1、順天雲坪里古墳(順天市西面雲坪里)・・・山の中段にあって、2号墳(半径約20m)の墳丘は中心部は盛土状に残っているが他は削平されて畑になっている。墳丘には10基以上の土壙墓の終わり頃のものが残っていた。2号墳のすぐ下に1号墳、上約100mのところに3号墳がある。いづれも円墳。
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① 左:2号墳、畑になっている、左の小高いところが墳丘残存部。中・右:2号墳から少し登ったところにある1号墳、見晴が良い。

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② 左:2008年に発掘調査を担当した順天大学校博物館の李東煕先生(中央の野球帽)に説明してもらった。中:遠景、手前に鉄道、向こうに高速道路が走っている、すぐ左手に西順天インターチェンジがある。右:釜山からソウルまで5日間お世話になった観光バス、ガイドは案内のため全コースを事前に実地調査していた。

2、潭陽聲月里月田古墳(潭陽郡古西面)・・・東西主軸、西に開く前方後円墳で単独で存在する。大部分は盛土によって造成されている。1986年の調査で、墳丘長40.5m、後円部径23m、高さ5.1m、前方部幅16.7m、高さ3.3m。前方部幅16.7m、高さ3.3m、くびれ部幅15m。発掘調査はされていなかった。
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① 左:後円部より墳丘南面。中・右:後円部、北東から右手前方部

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② 左:前方部西から、古墳南面。中:前方部調査中、シートもかかっておらず立ち入り禁止にもなっていない。右:栄山江。

◎参考<前方後円墳の主は誰か>
・在地首長説:5世紀の末から6世紀のなかばにかけて、栄山江流域で百済領有化が進むなかで、それを全面的に受け入れることに抵抗のある在地の勢力が、倭の勢力とも通じていることを可視的に表現したのが、倭の墓制に通じる前方後円形古墳の築造であった。・・・滋賀県立大学教授田中先生他日韓の研究者
・倭人説:被葬者は独立的に割拠した勢力ではなく、土着勢力の権勢と対倭、対大伽耶攻略のために、王侯制のような支配方式の一環として百済王権によって、一時的に各地に派遣された倭系百済官人である。・・・韓国慶北大学朴天秀教授他日韓の研究者

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by yumeoijyuku | 2013-06-24 13:44 | 現地説明会、講演会