古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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明日香村牽牛子塚古墳見学報告  2010.09.11

 今日11日は明日香村教育委員会の牽牛子塚古墳の現地見学会に行った。明日香村が以前から調査していたもので周囲に八角形の石敷が発掘されて天皇陵の可能性が高いということで9月9日の在阪各新聞の朝刊トップ記事として掲載された。

 明日香村教育委員会の資料によると、
①舌状に伸びた丘陵上に築かれた対辺約22mの八角形墳である。
②墳丘裾部には二上山の凝灰岩切石やバラスを敷きつめ、墳丘部も凝灰岩で表面を装飾していた。
③埋葬用の石槨を構成する凝灰岩の周囲には石英安山岩の切石を積み上げていた。その間には漆喰が充填されていた。
④築造年代は石槨構造などから7世紀後半と考えられる。

以上牽牛子塚古墳を解明する上で多くのデータが得られて、今後飛鳥地域の終末期古墳を考える上で重要な資料となるとしている。

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朝10時から開始と聞いていたので30分前に行ったが、現地では見学者が多いので9時から始めたとのことであった。

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斜面にはタラップが用意され、人数を区切って上り、見学した。

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墳丘:版築で築かれた対辺約22m、高さ4.5mの八角墳と言うが円墳としか見えない。

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説明版

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飛鳥村が一望できる、手前は老人ホーム「あすかの里」

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南に面する石槨入口、今日は開口部まで下りられなかった。左:開口部、右:石槨の周囲には石英安山岩で囲まれている。

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石槨入口、左右に部屋があって各々に棺台が設えられている。2006.3.11撮影。

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左:墳丘北西部背面、右:石槨を覆う石英安山岩の切石、奥に見えるのは石槨の外側。切石と石槨の間には漆喰が厚く詰められていた。牡蠣の貝殻を使ったものと思われ、和歌山方面から大量に持ち込まれてものと思われている。

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左:バラスと凝灰岩石敷き、右:石敷き、奥へ延びている部分が八角形の北西辺にあたる。手前は西辺。

当日配布の解説書は部数が限られているとのことで、必要な人は郵便で「明日香村役場」へ送料140円切手を同封して請求してほしいとのことであった。

今日の見学には古墳めぐりのメンバーの方も数人来られていた。こちらの勉強が追いつなくなりそうに思われてきた。

なお、前回「大和の古墳をめぐる」で訪問した模様はこのブログの2009.10.15を参照されたい。
by yumeoijyuku | 2010-09-13 01:01 | 現地説明会、講演会

植山古墳見学会 2010.5.1

5月1,2日と橿原市による現地見学会が行われた。定員以上の申し込みがあって参加者は抽選で決められた。我々は11時15分近鉄「橿原神宮前」集合のグループで、市のマイクロバスで現地に向かった。
配布された橿原市教育委員会「史蹟植山古墳」によると200年と2001年に発掘調査が実施されており、その成果をもとに2002年には国史蹟に指定されている。現在史蹟公園整備中。
植山古墳は地山を削り出して整形された約40m×30mの方墳で高さは約3~6m。南に面しており東・西・北には上幅約10m、底幅1.6~3mの堀が巡っていて、底には結晶片岩と花崗岩を用いた石敷きが施されていた。

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整備中の公園を通って墳丘へ

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古墳全体をシートでカバーして保護している。北側の壕、右手が南になる。

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右手に石室への見学路が見える

南に開口する2基の横穴式石室があって東石室は両袖式で、全長約13m、玄室長約6.5m、幅約3~3.2m、玄室残存高さは約3.1mあった。玄室には熊本県の阿蘇溶結凝灰岩(阿蘇ピンク石)で造られた刳抜式家型石棺が遺存していた。蓋の長さ2.52m、幅1.53~1.58m、棺身を含めた高さ約1.7m。

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東石室:古墳全体を覆う屋根の支持材のためみにくい。

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2001年の現地説明会で撮影したもの

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西石室

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2001年撮影

西石室は全長約13m、玄室長約5.2m、幅約2.5m、玄室残存高さは約4.5mあった。玄門部には兵庫県高砂市産の凝灰岩(竜山石)製の閾石(しきみいし)が残っていて石製扉が有った、他の古墳では例がない。石棺は遺存していなかった。
橿原市の資料では東石室は古墳築造と同時の6世紀後半に、西石室はその後7世紀前半に築かれたもので当時の人々にとって特別な古墳だったとしている。
『日本書紀』には628年に亡くなった推古天皇は死後には竹田皇子の墓に葬ってくれるように遺言し、そのようにされたとあるので先ず植山古墳に埋葬され、その後大阪府太子町の現推古天皇陵に改葬されたという説も取りざたされているが、未確認なので市の資料は被葬者については言及していない。

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今日案内していただいた橿原市教育委員会の西坂さん、ありがとうございました。

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西に五條野丸山古墳、西北に畝傍山

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西南西約600mの「八咫烏神社」の踏み石:扉石の一部とされている
by yumeoijyuku | 2010-05-02 17:20 | 現地説明会、講演会

甘樫丘東麓遺跡現地見学会の報告

奈良文化財研究所の現地見学会 2010.03.20

蘇我蝦夷・入鹿の邸宅があった甘樫丘で以前から調査していたシリーズの調査現地の見学会があった。2008年度の調査区の南東に隣接した箇所が調査された。

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調査地の位置:この看板のある場所のすぐ後ろの広い谷間部分が調査されている。右の赤い部分が今回の調査地

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調査地平面図、左が北、突き出ている区画が斜面でその先端部に柱列がある

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前回157次(2008年度)調査地。この右手が今回の調査地。

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今回の調査区全体:中央部斜面上部に柱列が見つかった

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建物と柱列

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後世に耕作された畝が検出されている

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石敷左:南東から。中:西から。右:左の石敷きの奥に「焼土遺構」とあるが時期は確定されていない

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左:斜面上部の囲いの柱列。右:柱列の模式図。ここの後ろの平坦地に建物がある可能性が出てきた。

報告資料「まとめ」の概略は「これまでの調査に引き続き、谷は7世紀から大規模な造成を繰り返しながら土地利用を行っている。丘陵の中腹に区画施設があることがわかり、今までの谷間だけでなく、丘陵の上にも遺跡が広がる可能性が広がってきた。」というものである、これは蘇我氏の邸宅が見つかる可能性に言及していると理解したい。
by yumeoijyuku | 2010-03-21 23:50 | 現地説明会、講演会

飛鳥寺西方遺跡現地見学会報告

飛鳥寺西方遺跡調査現地見学  2010.3.20

今日は明日香村教委の飛鳥寺関係と奈文研の甘樫丘東麓遺跡現地見学会があった。先ず明日香村の見学会の報告をする。

飛鳥寺の西門付近では今までに石組溝110m、敷石遺構70m、土管暗渠が南北160mに亘って有ることが調査で分かっていた。今回の調査地点は入鹿の首塚南へ約70mの地点で、それらが西方地域のより南側にも広がっていることがわかった。
飛鳥寺西方地域は中大兄皇子中臣鎌足が出会った場所と言われている。

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左:石組溝(奥)と土管暗渠(西より)。右:土管暗渠

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石敷遺構とバラス敷(奥)、遠景は甘樫丘(白いテントの左に見える車の列の辺りが奈文研の調査地の甘樫丘東麓遺跡。北東より

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同上南西より、左奥に飛鳥寺

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現地遠景、甘樫丘見学会場の前より

明日香村教委の西光さん、相原さんにお会いできた。相原さんは奈良大学の元学長水野先生の秘蔵っ子。
by yumeoijyuku | 2010-03-20 23:02 | 現地説明会、講演会

飛鳥京跡発掘調査報告会の報告

飛鳥京跡第164次調査by橿原考古学研究所、2010.2.14

 今日は朝から別の用事を済ませて近鉄橿原神宮前駅に着いたのが14時でバスは40分後しかなかったので飛鳥まで歩くことにした。歩いているうちに汗をかきだしたので途中でジャンパーを脱いで14時40分頃の到着となった。
 現地では1時間ごとの説明ということでこれも待ち時間が有ったので先に現場を見て回った。現場は飛鳥寺の南方150mの1区とその西方の2区であった。今回の調査は飛鳥京跡の北限はじめ飛鳥京跡外郭北部の様相を調べるもので、世界遺産登録に向けた「世界遺産登録推進事業」の一環と位置付けされている。
調査地:「飛鳥寺」と書かれた北に飛鳥寺が有って、その150m南付近になる
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調査掘り方、右:1区、左:2区
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先ず1区では堀り方の南端で飛鳥京跡最大となる幅3mの石組溝が検出された。これは以前の調査で東西に走る溝の延長線上にあって、西の飛鳥川への排水溝であろうとされている。この溝の北の壁は壊されていて大量の土師器、須恵器が捨てられていた。これらの土器から7世紀末に溝が埋められたと分かった。
左:1区掘り方、(北より)南端に東西石組溝。右:石組溝
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出土した須恵器
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2区の掘り方では以前の調査で分かっていた飛鳥寺南の石敷広場の一部が検出された。そしてその南には一段下がってテラス、さらにその南には幅90cmの石組溝が東西に走り、そこへ南から南北石組溝が取りついていた。
左:北に石敷広場手前にテラス、東西石敷溝、南北石敷溝、向うの山は甘樫丘北端。右:東西石敷溝(東から)
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すぐ北に飛鳥寺
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華々しい成果ではないが飛鳥京での調査は164次となっている。当初は1期~3期にわたる飛鳥の宮殿遺跡の発掘が主であったが、その中心主要部はほぼ明らかになってきており最近では周囲の様子を探ることに力を入れられるようになってきている。
帰りに飛鳥寺からバスに乗るとnagiwiさんが乗っていた、以前にも飛鳥の現説でばったり会っていて世間は狭い。
by yumeoijyuku | 2010-02-15 22:44 | 現地説明会、講演会

水瀬離宮跡想定地の調査現地説明会

大阪府島本町の現場2010.1.24

今日はいよいよ水無瀬離宮跡候補の「広瀬遺跡」現地説明会の日、10時前に余裕を持って行ったが沢山の人が集まっていた、飛鳥京の一日に何回も区切って行われる説明会の2~3回分くらいの人出であった。
 以下島本町教育委員会の「広瀬遺跡(国木原:くぬぎはら)発掘調査現地説明会資料」による。
この付近では弥生時代から近世に至るまでの長い期間の遺物が見つかっている。今回の調査では鎌倉時代のものと推定される時期に造られた石敷き溝や礎石建物が検出された。屋根の棟に瓦が使われた桧皮葺で、柱間隔が4.2mの巨大な建物が考えられるという。
 後鳥羽上皇の水無瀬離宮は最初に造られた水無瀬神宮を中心とした下御所が1216年に洪水に逢い、山側に造られたのが上御所で、この上御所と水無瀬神宮の中間に位置している。「今まで実態の分からなかった後鳥羽上皇の院の御所であった水無瀬離宮跡について、関連する大規模な施設の一部をはじめて確認した可能性は極めて高いと思われる」。

現地:左はJR京都線島本~山崎のほぼ中間、中央は島本第一小学校
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町教育委員会生涯学習課 久保さんからの説明
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発掘現場第2トレンチ
根石で固められた柱跡と建物配置想定線
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雨受け溝跡、右手前から左奥へ伸びている
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第2トレンチ概観:右手が雨落ち溝。右は建物想定図
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第1トレンチでの説明、見学者がギッシリ
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出土した瓦片
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後鳥羽上皇がたたえた風景、左:水無瀬川上流部の山々、手前に名神高速道路。右:右手が天王山
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左:大正時代に大阪府が建てた離宮の碑、もとは空き地の真ん中にあったが、隅っこにひっそりと建っている。朱雀は右手のマンションの向こうあたりに住んでいるノダ。右:左の碑から今回の発掘現場を望む、JR線の向う中央の小学校付近
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by yumeoijyuku | 2010-01-24 22:08 | 現地説明会、講演会

古いブログの削除予告

2006年投稿のブログは2月に削除します。
by yumeoijyuku | 2010-01-23 21:19

水瀬離宮跡調査

10.1.23

今日の朝、毎日新聞を見てビックリ!島本町の記事が第1面に載っている。「後鳥羽上皇「水無瀬離宮」か」とあって後鳥羽上皇ほか2天皇を祀る水無瀬神宮の西約600mで「大規模遺構発見」とあって写真も掲載されている。
 こんな調査が実施されていることさえ知らなかった。24日に現地説明会があるということであるが、待ち切れずに行ってみた。

3時頃に行ったが、今日も現場では遺物の計測作業が行われていて、説明会の準備らしいことは何もしていなかった。
案内板
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作業中
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南から
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北から、付近は小規模であるが住宅建設が進んでいる。
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現場は町立第一小学校のすぐ西でJR京都線の近くだった(電車からは見えない)

後鳥羽上皇が承久の変で島流しにされるまでよく利用していて、水無瀬の山々を歌に詠んでいたという。
「見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となにおもひけん」が有名。
水瀬の山々、手前はJR京都線
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明日の説明会に期待。
by yumeoijyuku | 2010-01-23 21:07 | 現地説明会、講演会

纏向遺跡発掘調査現地説明会

09.11.15(日)

事前に見学したが都合をつけて説明会に行った。
概略は事前見学のとおりであるが、シートを取り外した現場を近くで見学できた。

大型建物、西南角から。右奥はJR桜井線、すぐ右手が「巻向駅」
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同上東から
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同上北西から
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南に箸墓古墳、左の建物の向こうが後円部、右手が前方部
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巻向駅ホームより天理方面
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復元案をもとに作られた模型、前回調査を合わせて、これらの建物跡が検出された。
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一番東の大型建物
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現地説明のまとめとして、「方位や軸線を揃えた建物が東西に4棟連続して構築されていた。・・・このように複雑かつ整然とした企画に基づいて構築された建物群の確認は国内でも最古の事例となるもので、これまでに判明している弥生時代の大型建物などとは一線を画する構造を持つもの」として、卑弥呼の居館であったと言った説明はなく、同時代ということだけだった。また周辺地区の調査はさらに続けられる。

翌日16日の毎日新聞によると、「2日間の入場者は約11,300人、説明の最終は4時過ぎ」となっている。朱雀はその最終組に滑り込んでの見学でした。15分刻みの見学予定だったが、最終組の余得として退場を急かされず十分見学できた。
by yumeoijyuku | 2009-11-15 23:36 | 現地説明会、講演会

纏向遺跡発掘調査現地事前見学

現地説明会の日は都合がつきにくいので12日に念のため事前に見学した。3月も都合がつかず事前見学だけだった。

現場は今年3月に発掘調査説明会があったすぐ東側で、JR桜井線との間が調査された。前回結果と合わせて卑弥呼級の建屋が見つかって、桜井市はじめ関西の考古学界は邪馬台国大和説に弾みがついたと認識している。しかし、九州派はまだまだ「吉野ヶ里が横綱」と胸を張っている。

調査現場:左は3月の発掘発表場所、右が今回でその右(東)はJR桜井線なので続きの発掘は難しそう。
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柱跡:」太い柱の間に床を支える細い根太があった。柱の太さから一層と判定されている。
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現場の西から東のJR線路側を見る。このすぐ右がJR「巻向駅」。14,15日の説明会に向けて準備中。
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俳優で考古学協会員の刈谷俊介さんは以前から纏向の調査に関係してきた。
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by yumeoijyuku | 2009-11-13 15:05 | 現地説明会、講演会