古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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「05Mの会」中部大会 参加報告 その3

「05Mの会」中部大会(’14.5.15~16)参加報告 その3

⑩一路名古屋城へ、名古屋高速小牧線を行く
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左:県営名古屋空港。中:途中の標識。右:名古屋市街。

⑪名古屋城。途中、尾張徳川家のお宝を展示している徳川美術館(国宝9件、重文59件など展示)内の「宝善亭」で昼食、見学の後、名古屋城へ向かう15分ほどで到着。 
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左:天守閣。中:同左、記念写真撮影スポットから。右:案内図。

⑫天守閣からの眺望
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⑬天守閣
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左:天守閣。右:天守閣断面図。

⑭金の鯱
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左:天守閣の金の鯱、中:展示ケースの中・左は千両箱、右は3千両箱(一両は約16.5gとある)。右:金の鯱に使用された金は慶長小判17、975両とある。
 今の金の相場をグラム約4,400円慶長小判の純度85%でみると約111万円になる。対ではこの倍になる。


⑮城郭の主要部分を占める本丸御殿の復元工事が行われている。
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左:加工中の資材。中:本丸御殿復元工事図。右:今回工事部分を明示してある。

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左:工事中の屋根。中・右:完成部分。

 この後バスで名古屋駅への移動中に今後の予定の打ち合わせと幹事さんからの挨拶があって、次回は来年「四国」で開催することになりました。四国の会員に関西地区のメンバーが協力することとなりました。

 中部大会は名古屋駅で解散。中部大会幹事さんありがとうございました。
 「05Mの会」の皆さんお元気で、来年四国で会いましょう。

⑰名古屋駅と駅ビルからの眺望
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左:名古屋駅ホーム。中:西方面の夕景。右:中の写真の右部分の拡大

朱雀より・・訪問先は初めてのところばかりでした。コメント内容に間違いや不備の点があると思いますが、ご容赦ください。

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2014-06-11 17:48 | お勉強

「05Mの会」中部大会 参加報告 その2

「05Mの会」中部大会(’14.5.15~16)その2

① 長良川橋すぐ下流の旅館「十八楼」からの眺め
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②岐阜城とお別れ
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左:長良橋通りを南へ。右:岐阜城がお見送りしてくれている。

③小牧城へ向かう。
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左:先ずは名古屋方面へ。中:途中の風景。右:小牧市役所。

④小牧城大手口から小牧城へと昇る。
 小牧山城は信長が斎藤氏攻略のため築いた城で、永禄10年美濃攻略後信長は岐阜城に移ったため廃城となった。1584年(天正12年)、豊臣秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いでは、家康がいち早く小牧山に目を付けて本陣を置いた、とされていて、この時には天守閣はなかったと思われる。現在の天守閣の建物は1967年に民間人が作って寄付されたもので、「小牧市歴史館」になっている。
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左:大手口から昇る。中:平成18年の調査で堀、土塁、土橋が調査されている。右:説明版。

⑤主郭地区の巨石石垣。平成16~21年に発掘調査された石垣の延長部分の発掘調査が行われていた。
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左:現在の調査現場。中:左の写真の右手この上が城郭。右:以前の調査の説明版。

⑥発掘担当者は奈良大の千田先生にはお世話になっているということで、熱心に説明していただいた。
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左:発掘担当者からの説明。中:上の写真⑤中とほぼ同じところ。右:発掘された石。

⑦本丸下の斜面にあった上下2段の石垣跡。
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左:石垣の石。中:城郭への道。右:説明版。

⑧天守閣跡の資料館からの眺め
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左、中:小牧市内。右:天守閣跡の説明。

⑨小牧山の麓にある説明版
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左、中、右:説明版

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2014-06-10 23:47 | お勉強

「05Mの会」中部大会 参加報告 その1

「05Mの会」中部大会(’14.5.15~16) 参加報告・その1

 奈良大学通信教育部開設最初の入学生で「05M***」の学生番号を持つ者の集まり「05Mの会」は通信教育生の特徴として北は北海道苫小牧市、南は福岡県対馬市を含む60人を超える会員の内毎年30人前後の会員が集まって親睦の場を設けている。今年は中部地方在住の方々が幹事となってお世話していただいた。

① 初日の5月15日にはJR岐阜駅前に12時集合、出席者31名。
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駅前にあるの金ピカの信長像前に集合。宿泊予定の旅館「十八楼」へ出発。

②JR岐阜駅
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左:駅ビル、中:駅中の「駅市場」、集合前に腹拵えをした。右:この2階に改札がある。

③旅館に荷物を置いて、近くの岐阜城へ出かけた。
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左・右:麓から岐阜城を望む。城は昭和31年に再建されたもので3層4階、鉄筋コンクリート製

④信長居館跡
宣教師ルイス・フロイスが「壮麗なもの」として紹介したものとされている。
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左:冠木門跡は発掘されていないが、想定したもの。中:発掘された石組み。右:説明板。

⑤ロープウェイ山上駅のすぐ東で、信長公居館跡の一部がH25年に発掘された。④とは別の場所
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左:発掘箇所、右手奥の電柱の向こうに庭の一部である岩盤が見える。中:発掘結果の説明版1。右:同左2。

⑥ロープウエイ・・・往復980円
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左、中、右:長良川方面

⑦天守閣(昭和31年再建、鉄筋コンクリート製)
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⑧ロープウェイ山下駅
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左:山下駅。中:道三信長時代の岐阜城。右:旅館前から案内していただいた東山さん。

⑨鵜飼舟で夕食
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左:若い姉さんたちが踊りで歓迎。中、右:鵜飼の実演。

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by yumeoijyuku | 2014-06-09 22:42 | お勉強

皇大神宮遷御 2013.10.02  

伊勢・皇大神宮では10月2日の夜に新しい宮への「遷御」が行われたのを機に以前に参拝したときの「遷宮準備」の記録を採録した。

お木曳:地元の旧神領の人々が工事の初期に用材を運搬する行事、領民の参加は他に新社完成目前の「お白石持ち」がある。(2006.5.5撮影)
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宇治橋架け替え(2009.4.18撮影)
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新宇治橋(2012.6.15)
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案内図と奉加の御願い
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「お白石持ち」については8月13日のブログを参照してください。

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by yumeoijyuku | 2013-10-03 23:09 | その他

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告9/9

2013.05.29日、辺山半島→扶安→扶余→仁川空港 その2
23、国立扶余文化財研究所
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①左:対応してくれた所長。中:蓮華文椽木瓦・観音寺址。右:銀製舎利壺・扶余王興寺。

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②出土瓦の分類標本。左:出土瓦。右:瓦の陳列に対応した分類表。左の瓦は右の表の上段左から2~4列目と2段目2~4列目。

24、帰国へ
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① 左:「天安」サービスエリア。中・右:途中の水田風景。
 

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② 左・中:仁川大橋を渡って仁川国際空港へ。右:空港構内

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③ 左:搭乗手続。中左:搭乗口へ。中右:搭乗機。右:関西空港着。
 仁川国際空港を19時35分発、関空到着20時59分であったが、JR線ダイアの乱れで空港から大阪の自宅まで帰った時には日付は30日になっていました。


最後まで閲覧いただきありがとうございました。
ご案内の田中先生、㈱国際交流サービスさんにはお世話になりました。

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by yumeoijyuku | 2013-06-24 14:07 | 現地説明会、講演会

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告8/9

2013.05.29日、辺山半島→扶安→扶余→仁川空港 その1

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①左・中ホテル前。右:高速「扶安」サービスエリア。

19、百済最後の都の「扶余」の羅城発掘現場
 羅城は中国式で街全体を囲む城壁のこと。百済最後の王都・扶余では全長8kmを超える羅城があったとされている。この羅城の一部が(財)扶余郡文化財保存センターによって調査されている。

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① 左:扶余案内図。中:発掘現場、左手から奥にかけて羅城跡が発掘されている。右:発掘調査担当の(財)扶余郡文化財保存センター調査チームの先生に説明してもらった。中央左は田中先生と右・担当の先生。

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② 説明に使った発掘写真、石積の基礎などが出土している。

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③ 左:寺院調査区、中央左右に寺院の石積が見える。中:石積の中央部にある基壇。右:伽藍配置図。

20、陵山里東下塚(模型)、羅城発掘現場のすぐ東に複製展示されている。
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① 左・中:羨門。右:説明板。


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② 左:羨門。中:玄門。右:石室内部。


21、莘岩里古墳(実物)
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① 左:墳丘、右奥は東下塚。中:奥壁と右側壁。右:床面。

22、王墓
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① 左:扶餘隆の墓。中:百済義慈王の墓。右:説明板。
・義慈王・・第31代百済王、唐に滅ぼされる最後の王、599~660年。隆は義慈王の子で、後に唐に取り立てられるが新羅の勢力が強く百済の回復はできなかった、682年没。1920年に中国・洛陽で墓誌が発見されている。

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② 左:扶余陵山里古墳群、百済王代々の墓、。中:陵山里古墳群展示館。右:この墓域の谷間から出土した「金銅大香炉」。

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by yumeoijyuku | 2013-06-24 14:06 | 現地説明会、講演会

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告6/9

2013.05.28日、光州→咸平郡→辺山半島→辺山泊

光州新陽パークホテルの朝
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左:部屋から・・・裏山だった。中:外観:。右:ロビー。

15、国立光州博物館
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① 左:正面入り口。右:同左。

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② 本館

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③ 支石墓1 左:基盤式支石墓・青銅器時代。中:下部構造。右:同左。

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④ 支石墓2 左・中:下部構造。右:屋外展示の様子。

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⑤ 左:左側は日光鏡(銅鏡)、中央と右は銅鏡とある。中:銅鏡。右:磨製石器・青銅器時代

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⑥ 甕棺。左:埋葬状態。右:内部の様子。

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⑦ 左:円筒型土器、光州・月桂洞、三国時代(5~6世紀)。中:倭系土器、三国時代。右:母子曲玉。

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⑧ 左:鉄造如来座像仏(高麗時代、高95㎝)。中:国宝・金銅冠(新村里9号墳乙棺、高さ25.5㎝)。右:ロビー。


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by yumeoijyuku | 2013-06-24 14:01 | 現地説明会、講演会

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告5/9

2013.05.27日、木浦→羅州→潘南→霊岩郡→光州  その2

11、羅州潘南面古墳群(羅州市潘南面大安里他)・・・小さい山を囲んで古墳群がある。潘南面の小山(紫微山)周辺の低い丘陵地に、大安里、新村里、徳山里など7支群にまたがって分布する三国時代百済の墳墓群。大小30基以上が,七つの支群に分かれる。そのうち,円形または方台形の一つの墳丘内に,1個ないし7~8個の甕棺を埋葬施設とするものが多い。栄山江流域の代表的な甕棺古墳群。
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① 左:説明図。右:日本語解説。

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② 左:説明板・・新村里古墳群とある。中:大安里8号墳。右:徳山里10号。  

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③ 左・右:小円墳・方墳群が見られる


12、沃野里古墳群(霊岩群始終面)・・・甕棺墓を有する古墳群

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① 左:説明板。中・右:古墳群。  

13、内洞里古墳群(霊岩群始終面)   

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① 左:馬韓文化公園。中:説明板。右:標識。

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② 手前が南で、左の2号墳の墳頂部の直径は15m。、右の1号墳は長軸35m、短軸15m。1・2号墳ともに低丘陵の先端部分に位置する。2つの古墳は南北に長い長円形で東に1号墳、西に1号墳があって隣り合わせて立地している。2号墳の墳頂は北に、1号墳は南と互いに墳頂部を逆にしている。1号墳では周囲に幅60〜90㎝、高さ約1mの周溝が検出されている。1号墳には甕棺5基、土壙墓3基。2号墳には甕棺1基、土壙墓2基が確認されている。

14、チャラボン古墳(霊岩郡始終面泰潤里)
 チャラボンは前方後円形古墳の平面形がスッポン=チャラに似た形から由来する。丘陵のない東南側は、干拓事業で埋め立てられる前までは海水が古墳の近くまで入っていたといわれる。西南西に開く古墳の規模は、全長35.6m、後円部径23.3m、高さ5m、前方部幅8m、高さ2.25m。後円部のほぼ中央に古墳の長軸線に直交して、長さ3.2m、幅2.2m、の堅穴式石槨があった。石槨の築造技術は未熟な水準とされた。
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① 左:説明板。右:後円部より、東側くびれ部から前方部。

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② 全景、西から

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④前方部、南から

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⑤ 後円部、北西から


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by yumeoijyuku | 2013-06-24 14:00 | 現地説明会、講演会

韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告4/9

2013.05.27日、木浦→羅州→潘南→霊岩郡→光州 その1


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ホテルの部屋からの眺望

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左:ホテルロビー。中:調度品。右:正面車寄せ。

8、咸平群馬山里杓山古墳
 前方後円形古墳を主墳に周囲に12基の小円墳が築造されている古墳群。掘削調査中の古墳が見学できるというので期待したが、あいにくの雨の中での見学であった。後円部頂から放射状に3本のトレンチが掘られていて、防護シートの隙間から石室材?を垣間見することができた。

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① 左:古墳説明板。中:朝から雨の中黙々と上る。右:主墳。
主墳を挟んで、12基の小円墳が確認されている。

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② 調査中、左:後円部頂にあるトレンチのシートから見えた石材、石室天井石か?。右も掘削調査箇所。

9、羅州伏岩里古墳群
 4基からなる古墳群で1号墳は直径約18m見当の円墳で幅2mほどの周濠が巡る。他の3基は不成形な方墳。1号墳には墳頂中心から西にずれて南に開口する横穴式石室があって甕棺4基が検出されている。3号墳には約20基の横穴式石室と別に20基前後の甕棺墓があった。
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① 左:説明板。中左:1号円墳、向こうに方墳。中右:1号円墳の向こうに方墳2基、右奥の3号墳には多数の甕棺が埋葬されていた。右:説明板の後方向に3号墳その右に低い4号墳。

10、国立羅州博物館
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① 左:甕棺の埋葬状態。中・右:接合部拡大。

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② 左:入口と5日間お世話になったバス。中:甕棺焼成窯の地層剥ぎ取り展示。右:レストラン「羅州コムタン」にて昼食

11、羅州錦城館・・・昼の食堂の近くに有ったので見て回った。羅州牧の客舎の建物で、高麗~朝鮮時代に地方宮室として造られた。中央から来る官吏たちを両側の翼舍に泊めた。錦城館の正門である望華楼は復元されたもの。
① 
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左:解説板、客舎、軍器庫、訓練庁の文字が見える。中:囲いの塀が続く。右:説明板拡大。

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② 左:望華楼。中:太鼓楼。右:?塀に囲まれた中にある。


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by yumeoijyuku | 2013-06-24 13:59 | 現地説明会、講演会

朝日カルチャーセンター・現地講座案内 その3-8 

古代のロマン・古墳をめぐる その3-8  2012.11.15
桜井市南部の後期の開口した古墳をめぐる

 今日は10月に続いて桜井市南部のいずれも小形の前・中期古墳から横穴式石室が開口した後期後半の古墳を巡る。
JR・近鉄桜井駅をJR側に降りて、正面のきれいに整備された広い通りを南へ、国道165号線を渡ってどんどん南へ行く。先月訪問した艸墓古墳の所を右(西)へ行くと坂の向こうすぐに文殊院の北入口になる。
 ここを入ってすぐの駐車場の東の方に石室が開口している「文殊院東古墳」で、ここの入り口は石の重みで左右の石が割れていて危険なため中には入れない。中に井戸があって「閼伽井(あかい)の水」が湧いているということで、寺務所で売られている。閼伽とは「仏前に供えるもの」と言う意味で特に水またはその容器のことを言う。安倍文殊院は華厳宗に属している、現在ではあまり聞きなれない宗派だが奈良東大寺が本山で、その別格本山となっている。
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文殊院東古墳。左:開口部。中:羨道より玄室を見る、手前に閼伽井の井戸。右:説明板。

駐車場の西手、本堂との間に文殊院西古墳が開口している。墳丘は円墳でかなり変形されている。石室の壁は綺麗に磨き上げられた花崗岩製で上部に行くに従って僅かにせり出していて石室の断面はゆるい台形になっている。天井石は1枚で、中央部を削って綺麗な曲線を出している。優美な石室を持つ後期の古墳として有名である。側壁には花崗岩の切石が綺麗に積み上げられているが2つ分の石に疑似の目地が線刻されている物が4か所ある。石室内には願かけ不動が祭られていて参拝者が絶えない。
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文殊院西古墳。左:開口部。中:玄室奥壁と右側壁。右:説明板。

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花壇には来年の干支の巳の絵馬が造られていた。

文殊院を西へ出て左(南)へ行くと右手に大化の改新前後に建立された安倍寺跡が「安倍寺史跡公園」となっている。金堂跡、塔跡が盛り土で示されている。中大兄皇子を助けて大化の改新の推進に力を尽くした阿倍倉梯麻呂が建立したと伝えられている。
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左:文殊院本堂。中:安倍寺跡の塔基壇。右:次に行った奈良農業大学校。(大学校とは、学校教育法による大学とは異なる教育訓練施設等が用いる名称で、「大学校」を規定する法令はない)。

 奈良農業大学校の中に池ノ内古墳群がある。8基のうち5基の古墳が観察できる。いずれも4世紀後半から5世紀始めの古墳時代前期から中期のもので1970年に調査されている。2号墳の粘土槨に割竹形木棺が、また3号墳には同様に箱形木棺が収められていたが他は木棺直葬の簡単な埋葬施設であった。5号墳からは長方形板皮綴短甲が出土した、皮綴短甲の一歩進んだ様式という。同じく5号墳から三角縁神獣鏡はじめ銅鏡が計5枚出土しており、磐余地域で中央政権に属した豪族の墳墓群と見られている。
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左:1,2号墳がつながって築かれている、左手に1号墳。中:説明板。右:3,4,5号墳がつながって築かれている、3号墳から2号墳を見る。

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農業大学校のすぐ北に神功皇后、履中天皇ゆかりの稚桜神社がある。左:鳥居。中:本殿。右:説明板。

2011年12月にここの西で万葉の「磐余池」の有力地で堤跡が検出されたと橿原市教育委員会が発表したところがある。6世紀ころのもので大阪府の狭山池より古いと言われてるて。
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左:昨年の発掘現場に立つ、後の田地が磐余池とされている。右:磐余池傍に橿原市が建てた歌碑、大津皇子が二上山に行くとき読んだとされる歌。

  ももつたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲かくりなむ
  (百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見哉 雲隠去牟)

ここから近鉄「大福駅」に行くまでの東に吉備池がある。ここにも大津皇子とその姉大来皇女の歌碑(がある。ここは桜井市が建てたもの。
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左:大津皇子の歌碑。右:大来皇女の歌碑、うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山を いろせとわが見む(宇都曽見乃 人尓有吾哉 従明日者 二上山乎 弟世登吾将見)。

 奈良国立(当時)文化財研究所(奈文研)飛鳥藤原宮跡発掘調査部は1997年2月に、この池の南東隅から飛鳥時代に天皇が造営したとされる「百済大寺(くだらのおおでら)」と推定される寺院金堂の基壇が見つかったと発表した。遺跡の名称としては「吉備池廃寺(きびいけはいじ)」と命名され、東西36m、南北27m以上の巨大な建物基壇で、出土した瓦が山田寺式軒丸瓦で640年頃造られたと推定された。飛鳥時代の寺としては群を抜く規模で日本書紀に記述のある舒明天皇(じょめいてんのう)11年(639年)に天皇が詔(みことのり)して造らせた大寺すなわち百済大寺であると奈文研では断定している。
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左:吉備池の南東部、金堂があったあたり、遠景中央は三輪山。中:説明板。右:右に金堂、左に塔があった。

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by yumeoijyuku | 2012-11-16 23:51 | 古墳めぐり案内