古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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古墳めぐり案内ーブログ掲載日:目次

 これは朝日カルチャーセンター現地講座の様子を、講師が私的にブログで公開したもののうち2008年11月から2012年9月の間に実施した1クルー分のリストです。

 この間に案内した内容については
①目的の「テーマ・実施日」を下記1~45上段から探し出して。
②下段の「ブログ見出しと掲載日」から得られた年月によって、このブログ「朱雀の夢ものがたり」の左欄に表示されている年月をクリックして該当年月を参照し、該当記事を選んでご覧ください。

 「古墳めぐり案内」は現在も継続して実施しています。講座の案内はウエブで「朝日カルチャーセンター梅田」を検索して「現地」-「歴史探訪」-「古代のロマン・古墳をめぐる」を参照してください。
                2013年7月5日  古代夢追塾 主宰
上段:テーマ・実施日
下段:ブログ見出しと掲載日      

1、奈良市北部の佐紀古墳群①,08.11.20
  奈良の古墳めぐり・・その2-7 2008-11-20 古墳めぐり案内
2、奈良市北部の佐紀古墳群②,08.12.18
  奈良の古墳めぐり・・その2-8 2008-12-18 古墳めぐり案内
3、大安寺(癌封じ祭り)から奈良市西部の古墳,09.01.23
  奈良の古墳めぐり・・その2-9 2009-01-24 古墳めぐり案内
4、奈良市南部の古墳,09.02.19
  奈良の古墳めぐり・・その2-10 2009-02-21 古墳めぐり案内
5、近鉄奈良駅周辺の古墳,09.03.19
  奈良の古墳めぐり・・その2-11 2009-03-22 古墳めぐり案内
6、葬送の地に太安万侶が眠る田原地区へ,09.04.16
  奈良の古墳めぐり・・その2-12 2009-04-17 古墳めぐり案内
7、奈良市最北端柳生の里の古墳へ09.06.18
  奈良の古墳めぐり・・その2-13 2009-06-19 古墳めぐり案内
8、箸墓古墳に続く大型古墳から後期古墳の石棺に触れる,09.07.16
  奈良の古墳めぐり・・その2-14 2009-07-21 古墳めぐり案内
9、桜井市東部の山間部に眠る古墳を訪ねる,09.08.20
  奈良の古墳めぐり・・その2-15 2009-08-21 古墳めぐり案内
10、橿原神宮から新沢千塚へ,09.09.17
  奈良の古墳めぐり・・その2-16 2009-09-18 古墳めぐり案内
11、飛鳥の古墳① 飛鳥西部真弓丘陵の古墳,09.10,15
  大和の古墳めぐり・・その2-17 2009-10-16 古墳めぐり案内
12、 飛鳥の古墳② 古都飛鳥に眠る終末期古墳の主達,09.11.19
  大和の古墳めぐり・・その2-18 2009-11-19 古墳めぐり案内
13、飛鳥の古墳③ 石舞台古墳から古代飛鳥の宮殿跡へ,09.12.17
  大和の古墳めぐり・・その2-19 2009-12-18 古墳めぐり案内
14、飛鳥の古墳④ 孝元天皇陵から飛鳥寺、亀形石遺跡へ,10.01.21
  大和の古墳めぐり・・その2-20 2010-01-22 古墳めぐり案内
15、葛城山麓の古墳①,10.02.18
  大和の古墳めぐり・・その2-21 2010-02-19 古墳めぐり案内
16、葛城山麓の古墳②,10.03
  大和の古墳めぐり・・その2-22 2010-03-19 古墳めぐり案内
17、御所市の古墳①,10.04.15
  大和の古墳をめぐる・・その2-23 2010-04-15 古墳めぐり案内
18、御所市の古墳②,10.05.20
  大和の古墳をめぐる・・その2-24 2010-05-20 古墳めぐり案内
五条市の古墳,10.06.17
  大和の古墳をめぐる・・その2-25 2010-06-18 古墳めぐり案内
19、馬見丘陵と周辺の古墳①,10.07.15
  大和の古墳をめぐる・・その2-26 2010-07-21 古墳めぐり案内
20、馬見丘陵と周辺の古墳②,10.08.
  大和の古墳をめぐる・・その2-27 2010-08-20 古墳めぐり案内
21、馬見丘陵と周辺の古墳③,10.09.
  大和の古墳をめぐる・・その2-28 2010-09-18 古墳めぐり案内
22、馬見丘陵と周辺の古墳④,10.10.21
  大和の古墳をめぐる・・その2-29 2010-10-24 古墳めぐり案内
23、斑鳩の古墳,10.11.18
  大和の古墳をめぐる・・その2-30 2010-11-22 古墳めぐり案内
24、大和郡山市の古墳,10.12.16
  大和の古墳をめぐる・・その2-31 2010-12-16 古墳めぐり案内
25、平群谷の古墳,11.01.20
  大和の古墳をめぐる・・その2-32 2011-01-23 古墳めぐり案内
26、大阪府・河内磯長谷の古墳,11.02.17
  大和の古墳をめぐる・・その2-33 2011-02-18古墳めぐり案内
27、大阪府・古市古墳群①,11,03.17
  大和の古墳をめぐる・・その2-34 2011-03-21古墳めぐり案内
28、大阪府・古市古墳群②,11.04.21
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-35 2011-04-21 古墳めぐり案内
29、堺市の古墳群,11,05,19
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-36 2011-05-19 古墳めぐり案内
30、摂津の古墳①茨木市・高槻市,11.06
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-37 2011-06-17 古墳めぐり案内
31、長岡京と付近の古墳,11.07
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-38 2011-07-22 古墳めぐり案内
32、摂津の古墳②宝塚市,11.08
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-39 2011-08-21 古墳めぐり案内
33、摂津の古墳③神戸市,11.09
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-40 2011-09-17 古墳めぐり案内
34、摂津の古墳④尼崎市・伊丹市,11.10.20
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-41 2011-10-20 古墳めぐり案内
35、竜山石採石場見学,11.11.17
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-42 2011-11-18古墳めぐり案内
36、八尾市の古墳①,11.12.15
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-43 2011-12-24 古墳めぐり案内
37、八尾市の古墳②,12.01.19
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-44の1/2 2012-01-21 古墳めぐり案内
                       2/2 2012-01-22 古墳めぐり案内
38、京都市嵯峨の古墳,12.02.16
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-45の1/2 2012-02-16 古墳めぐり案内
                        2/2 2012-02-16 古墳めぐり案内
39、京都府木津川市の古墳,12.03.15
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-46  2012-03-15 古墳めぐり案内
40、山の辺の道添いの古墳①,12.04.19
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-1 2012-04-19 古墳めぐり案内
41、山の辺の道添いの古墳②,12.05.17
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-2 (1/2) 2012-05-17 古墳めぐり案内
                     (2/2) 2012-05-30古墳めぐり案内
42、天理教本部と周辺の古墳から石上神宮へ,12.06.21
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-3   2012-06-22 古墳めぐり案内
43、開口した前方後円墳から金象嵌の大刀を出した古墳へ,12.07.19
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-4 2012-07-20 古墳めぐり案内
44、山の辺の道添いの古墳③,12.08.30
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-5 2012-09-01 古墳めぐり案内
45、山の辺の道添いの古墳④,12.09.20
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-6 2012-09-21 古墳めぐり案内

                                 古代夢追塾
by yumeoijyuku | 2013-07-05 17:14 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-5  

朝日カルチャーセンター・現地講座案内
古代のロマン・古墳をめぐる その3-5  2012.8.30

JR「柳本駅」を東に出るとすぐに上ツ道に出会うのでこれを左(北)へとる。間もなく右手に屋根と太い柱だけのお堂「長岳寺五智堂」がある。五智堂は鎌倉時代の建物で国の重要文化財になっている。
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左:五智堂。右:説明板。

 ここから東へ1km弱で弘法大師が824年に淳和天皇(H23.7向日市の火葬塚訪問)の勅願により大和神社(おおやまとじんじゃ)の神宮寺として創建したという長岳寺がある。

 長岳寺の山門から西へ戻り山の辺の道を北(奈良市方面)へ行くと右手に歌碑があるところを通る。
    衾道乎 引手乃山尓 妹乎置而 山徑徃者 生跡毛無
「ふすまじを ひきての山に いもを置きて やまじを行けば いけりともなし」・・柿本人麻呂
 この歌碑は故犬養孝阪大名誉教授の筆によるもので「孝」の銘がある。故犬養名誉教授は毎年2月11日に開催される「毎日ラジオウオーク」でお馴染みの万葉集の権威であった。1998年2月4日の毎日新聞ラジオウオークのページにメッセージを寄せられたが参加することなく、この年にお亡くなりになった。

ここの坂を上ると中山公民館がある、ここの右手が広場になっていて祠が並んでいる。このあたりが中山大塚古墳の前方部前面で祠は古墳を削り取ったかたちになっている。ここを右手に廻った墳丘の裾から小道が有って墳丘に登れる。この古墳は1985年以来数次にわたり発掘調査されていてる、後円部の墳頂から内部長7.5mにおよぶ長大な竪穴式石室が発掘された。また、後円部の墳頂を除く平坦部、墳丘斜面、全面に10㎝~30㎝大の石を何重にも60㎝の厚さに積み上げられた特殊な構造であることが分かっている。この時期の古墳では最大級のもので、成立間もない大和政権の有力者の墓の可能性が強い。
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左:正面に中山大塚古墳。右:後円部墳頂の堅穴式石室があった位置、垣根で示されている。

 先ほどの中山公民館の前を西へ坂を下る。坂の下で交差する小道を右に行き県道を横断してさらに西へ向かうと上ツ道に出会う。ここを左(南)へ、すぐの道を水路に沿って右(西)へ曲がる、すぐに右手に新池、左手に古池が有るところに出るので、右(北)へ新池を左に見て池の縁を伝う道を行きそのまま池沿いに堤防に出ると池の西の堤に出られるが、この堤の中程の所に祠があってその外(西)のJR桜井線との間に「弁天塚古墳」がある。前方後円墳の後円部が残っており前方部は削平されて耕作されている。
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弁天塚古墳。左:東の新池から。右:JR側に降りて、北東から。

上ツ道に戻り左(北)へ行くと左手の柿園が前方後円墳「ヤハギ塚古墳」である。古墳の北側の道が墳丘に沿ってきれいにカーブしている。

 上ツ道をさらに北へ行って水路沿いの道を左(西)へ入ると右手に平べったい感じで「平塚古墳」がある、削平されて果樹園になっており更に東側が直線的に削られていて、古墳の面影はほとんど無い。

 上ツ道を北へ取りすぐ中村電気店が有る所を右(東)に入るとすぐ左に全長約110mの前方後方墳「フサギ塚古墳」がある、墳丘上からは崇神天皇陵、その先に三輪山が望める。この古墳は東側から北へ回り込むとまわりは田でよく観察できる。
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フサギ塚古墳。左:北から、左が前方部。右:墳丘にある説明板。

上津道に戻ると向かいが大和神社の参道で、鳥居がある。すぐ北が鳥居池であるがこの池が「馬口山(ばくちやま)古墳」の周濠の一部になっている。この古墳から採取された特殊器台や埴輪の破片から築造年代が分かり、大型前方後円墳の元祖のように言われている桜井市の箸墓古墳よりさらに古く2世紀後半から3世紀にかけての年代と判定された。大型前方後円墳が突然出現する前の段階のものはほとんど知られておらず注目された。
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馬口山古墳。左:墳丘、西から、左手が後円部。右:くびれ部東側にある説明板。

この古墳のくびれ部を通る小道で古墳を横断すると西へ向かう道に出るので、そのまま行くとゲートボール場に突き当たる、ここを左に行と大和神社の社殿に出られる。日本書紀によると、崇神天皇のときそれまで天照大神・大和大国魂の二神を天皇の御殿内に祀っていたが、その神の勢いを畏れ天照大神は大和の笠縫邑に祀り、その後伊勢に祭られた。大国魂神は皇女に預けられ、その後垂仁天皇の時に神地をここ穴磯邑に定められている。太平洋戦争の末期に戦局打開を期待されながら華々しく散った戦艦「大和」にはここの分霊が祀られていたと言う。丁度この8月に慰霊碑が落慶されていた。
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大和神社。左:上ツ道の鳥居。中:本殿。右:説明板。

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説明板。

帰りは先ほどのゲートボール場の横をそのまま北へ人家のあいだを行くと通りへ出るので、ここを左(西)へ行くとJR「長柄駅」に出る。


 <写真はクリックすると拡大します>

〇 この「古代のロマン・古墳をめぐる その3-5  2012.8.30」は以前にアップした「奈良の古墳めぐり・・その2-3 H20(2008年).6.19とほぼ同じコースを巡ったものです。左欄にある
「2008年6月」をクリックして9.18のブログと合わせてご覧ください。

〇 朝日カルチャーセンターホームページ:ウエブで「朝日カルチャーセンター 梅田」をクリック
by yumeoijyuku | 2012-09-01 23:39 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-2 (1/2)  

朝日カルチャーセンター・現地講座案内
古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-2   2012.5.17 (1/2)  

 今日の古墳めぐりは4月にめぐった桜井市纏向地区の北の部分になる。JR巻向駅から古代の国道「上ツ道」を北上する。桜井市と天理市の境界をこえると間もなく右手に小さい美容室「カットサロン和」がある,ここの裏手に「柳本大塚古墳」がある。径39.7㎝の内向花文鏡が出土している。後漢の鏡をモデルに作った国産品(仿製品)で後から行く天神山古墳より若干遅い時期とされた。前方部上は果樹園になっている、後円部は区画が異なり雑草が繁っていて入れない。次に行く「石名塚古墳」と「ノベラ古墳」と共に100m前後の前方後円墳で同じころ共通の企画で造られたとされている。
 上ツ道を北へ行くと、すぐ左の池の向こうに石名塚古墳がある、この古墳は西側から観察する方が見やすい、古墳を越えたところの道を左(西)へ入って墳丘を外れたあたりの「森モータース」の西の小道をはいると後円部が見られる。

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左:「柳本大塚古墳後円部。中:石名塚古墳、左手池の向こう。右:同、後円部、西から。


 「森モータース」の西の小道をはいるところか北にノベラ古墳が見える。前方後円墳であるが墳丘は削平されている。民家の裏になるので声をかけてから古墳に入ろう。一旦上ツ道にでて北から回り込む。
 上ツ道を少し南に戻り、左手に入り県道に出ると、左手南に「上の山古墳」がある。全長125m、後円部径86m、前方部幅60mの前方後円墳であるが、次に行く景行天皇陵の陪塚とされている。
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左:ノベラ古墳、南から。中:上の山古墳。右:同左説明板。

すぐ南に景行天皇陵(渋谷向山古墳)があって、県道側に拝所がある。全長約300m、後円部径168m、前方部幅170mの周濠を持つ大型の前方後円墳で、県下では橿原市の丸山古墳に次いで二番目の規模を誇る。山の辺の道ならびに県道天理桜井線沿いでは北にある崇神天皇陵(行燈山古墳)と並んで大型古墳として威容を誇っている。
 南側の周堤を後円部に廻る、周濠は渡り堤で区切られていて後円部や前方部には水が貯えられているが、空堀となっている部分もある。前方部の周濠は南側のものが異常に出っ張っている、幕末の陵墓改修で灌漑用に拡張されたものかと思われる。陵墓改修には領民を使って周濠を拡幅して灌漑用に利用できるようにする例が多い。
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左:景行天皇陵後円部、左奥に耳成山、その左に畝傍山が見える。中、右:説明板。

昼食後龍王山古墳群に向かう。ろ号陪塚を経て渋谷町公民館の所を右に行って崇神天皇陵に向かう。途中防火水槽のある辻を右に山の方へ行き、龍王山古墳群を目指す。
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左:右に景行天皇陵後円部。中:龍王山への途中の池の堤の端に「オカタ古墳」がある。右:ここの池の岸部に昼間からフクロウが居てこちらを監視していた、よく見ると・・・。

龍王山には総数1,000基におよぶといわれる古墳・横穴の密集地として有名な奈良県下最大の龍王山古墳群がある。この古墳群は標高586mの龍王山の西南斜面の標高150m~450mの間に分布している。
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左:途中崇神天皇陵から上る道との合流点。中、右:古墳群へ。

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登山道の両側に小円墳が無数にある。

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左:登山道脇に何気なく置かれている石仏、元来六体彫られていたものが、上部がなくなっているらしい。右:古墳開口部。
 古墳群はここの先にもたくさんあるが、今日は時間の都合で引き返し、崇神天皇陵へ向かう。→その3-2 (1/2)  へ
by yumeoijyuku | 2012-05-17 21:14 | 古墳めぐり案内

古いブログの削除予告

2006年投稿のブログは2月に削除します。
by yumeoijyuku | 2010-01-23 21:19

奈良の古墳めぐり・・その2-16

近鉄文化サロン 現地学習 09.09.17

橿原神宮から新沢千塚へ

今回は橿原市にある古墳をめぐる。まず橿原神宮に向かう。しかし目的は深田池南古墳群、橿原神宮の参道を左(南)へそれると深田池があってその南の林に古墳群があるが、実態はよく分かっていない。
 次に新沢千塚へ行こう。深田池を西へ出て南へ近鉄南大阪線の踏切を渡ってすぐ右(西)へ行く。橿原神宮西口駅を右に見て、しばらく歩いて歩道のある道路を左(南)へ行くと左手の丘にボコボコした感じの千塚が見えてくる。まもなく橿原市千塚資料館があるので先ずここで勉強してから千塚を見ることにしよう(入場料100円)。丘陵北端部、千塚資料館付近の通称千塚山地区に立地する約350基の古墳を「史跡 新沢千塚古墳群」に国が指定している。古墳群全体としては広い範囲に590基あまりの小古墳が確認されている。5世紀前半からで、6世紀後半まで約150年間続く。他の群集墳の時期より約半世紀早い。築造時期の早いものは木棺直葬、後期古墳で横穴式石室は全部で18基と少ない。
 
千塚の中を行く
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史跡指定地内は遊歩道が整備されていて歩きやすく、説明板も整備されている。1962年からの調査で有名になった。126号墳は5世紀後半の古墳群形成の最盛期に築造されたと見られていて、割竹形木棺が直葬されていた、中からガラス製の椀と皿、金製の耳飾、金・銀製指輪、金銅製帯金具、冠飾りとみられる竜紋のある金製方形板、青銅製熨斗(ひのし)など朝鮮半島や中国大陸、中近東主にサマルカンドとの関連を伺わせる品物が出土した。これらの古墳群出土品の主なものは東京国立博物館に有って出土地にはレプリカが展示されているだけである。

126号墳の前で
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一部復原されている上:横穴式石室。下:墳頂に内部の石棺の位置を示してある
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千塚を散策した後は宣化天皇陵へ向かう。新沢千塚から東西に走る県道を東へ行き、案内に添って右(南)へ入ると宣化天皇陵(ミサンザイ古墳)となる。前方後円墳で周濠が残っているが東側は改変されていて鳥屋池となっている。古墳時代中期後半の築造とされ、539年に没した宣化天皇とは時期的なずれがある。宣化天皇は継体王朝本命の第29代欽明天皇が即位するまで中継ぎの役割を担った。
宣化天皇陵
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橿原ニュータウンの古墳と益田の岩船
次は橿原市の南部近鉄吉野線の西部に広がる橿原ニュータウンの西の山際にある小谷古墳に向かう。この古墳は新沢千塚古墳群の範囲に位置し、方墳あるいは円墳であったと考えられている。巨石を用いた両袖式の横穴式石室で、玄室は羨道より一段高くなっていて、明日香村の岩屋山古墳と共通している。玄室には蓋があき、傾いた状態で家形石棺が残されているが、墳丘には石室を取り巻いて鉄柵があって錠がかかっている。出土遺物はないものの、石室の形状から終末期に築かれた古墳と考えられている。
小谷古墳
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橿原ニュータウンを南北に貫通する通りを南に行くと、右手の住宅街が途切れたあたりの山手に益田岩船への上り口がある。坂を上るが時間はそれほどかからない。県史跡益田岩船は、頂部平坦面の中央には東西方向に幅1.6mの浅い溝があり、その中に一辺約1.6m、深さ約1.3mの方形の穴が彫られている。用途については弘法大師の益田池の顕彰碑の台座、古墳の石槨(せっかく)、占星台、拝火教の祭壇などの諸説があるが飛鳥の酒船石同様はっきりした事は判らず、謎の石造物である。
上:益田の岩船。下:説明版
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今日の最後は沼山古墳になる。益田岩船のすぐ南、白橿小学校の東向かいにある近隣公園内にある。北東に丸山古墳、少し南には明日香村の牽牛子塚古墳、鑵子塚古墳がある位置にある。

上:石室入り口。中:石室内。下:説明版
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径約18mの円墳で横穴式石室は片袖式で花崗岩を積み上げている、6世紀後半の築造とみられている。石室には錠がかかっていて中に入れない。帰りは岡寺駅で解散。
皆さんに馴染んでいただいた「近鉄文化サロン 奈良の古墳めぐり」は今回で終了します。今後は別の形で引き続き古墳案内を続けるのでご安心ください。
by yumeoijyuku | 2009-09-18 00:01 | 古墳めぐり案内

奈良の古墳めぐり・・その2-15

近鉄文化サロン 現地学習 09.08.20
煉瓦状の磚を積み上げた後期の磚槨式石室に入る

 5月にインフルエンザの影響で休講したので7月予定の講座を8月に実施することになった。桜井市の最終となる今回は桜井市の東部、宇陀市との境界近くに有る「花山西古墳」に向かう。
桜井駅南口からバスで「菟田野(うたの)町」行きに乗って国道166号線を東へ行き、宇陀市との境界にある女寄峠(めよりとうげ)の手前の「笠間辻(かさまつじ)」で降りる、15分ほどで着く。乗客は我々一行他一名で途中からは貸切となった。

 古墳のある山への入り口は、バス停の西、バックする方向になる。送電線が道を横断して北の山へ渡っているがその道路を横断している所を目印に、右手(北)の山に入る、軽四がやっと通れる程度のコンクリートで舗装された道があるのでこれを山に入って行く、この水路沿いの道を入って100m程行くと右手に車の駐車スペースのようにコンクリートが出張った所があって左手に水路が分かれている。この水路沿いに左手に入るが、水路沿いに行かずすぐ右へ小さな稜線を登る形で山に入る、人一人通れる程度の山道なので見逃さない様に進む。まず花山東古墳があって、その先20~30mに花山西古墳がある。

 花山東古墳は7世紀後半に作られた古墳で近くの榛原(はいばら)で採れる薄い榛原石をレンガ状に加工したもの(=磚(せん))を丁寧に積み上げた磚積みと言われる方法で、古墳の形式も磚槨墳と呼ばれている。花山西古墳も磚槨式であるが、その造りは横口式石槨墳と呼ばれる形式で格段に違う立派な造りをしている。羨道に続く前室が有り奥に墓室を持つ、磚の積み上げも石室全体に丁寧に仕上げられていて、隙間には漆喰が詰められている。一番奥の石槨の天井が一段低く、奥壁は下部が大きく割り取られているがきれいに仕上げた切石加工の一枚板が立てられている。前室との間に有った石の扉が手前に倒れた状態で残っている。鉄格子があるので入るのに一苦労するが終末期の珍しい古墳なので頑張って入って見てほしい。
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 国道に戻って終末期の古墳「ムネサカ古墳」に向かう。バスの来た道を桜井方面に下る。
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しばらく行くと右手に「森本運輸」あってその先の右手に古墳の説明板がある所を山に入るが、通路は手入れされてなく雑草で通れないので森本運輸に声をかけて構内から入るとよい。いずれにしても初心者が単独で古墳まで到達するのは難しい。この古墳も終末期に属する古墳で近鉄飛鳥駅付近にある岩屋山古墳と同じ設計のもとに築かれたとされる石室で、山の中にあって整美な古墳として有名。
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崇峻天皇陵の有力な候補天王山古墳

 次は国道に戻ってさらに桜井方面に下る。「下尾(さがりお) 口」バス停の信号を南へとりすぐ粟原(おおばら)川をわたり、坂を上り天王山古墳を横目にどんどん行き倉橋溜池沿いにある公園で昼休みとした。

 午後は先ほどの道を下って行くと赤坂天王山古墳に着く。道端に古墳の説明板があって左手にこんもりした赤坂天王山古墳(あかさかてんのうざんこふん)がある。田んぼの畦道を登って、奥のほうの田の畦道を左に林の中へ入るとすぐに1号墳の開口部が有る。入り口は土砂が溜まっていて入りにくい、以前にはロープが用意されていたが無くなっている。
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この古墳は元禄年間の南都奉行所の調査で既に塚穴が開いていた事が分かっている、そしてこの古墳を崇峻天皇陵(すしゅんてんのうりょう)としている。現在では崇峻天皇陵は倉橋地区のバス停「倉橋池口」近くの別の古墳となっているが、赤坂天王山古墳は6世紀末頃のもので、天皇が即位後5年で蘇我馬子に殺されたのが592年なので時代的には合っており、今でもこの古墳が崇峻天皇陵の有力な候補となっている。これが本物なら本来天皇陵であれば宮内庁の管理のもと立ち入り禁止となるところなので、我々が天皇陵の石室の中まで入れる貴重な遺跡となる。天皇陵と言われるだけ有って自然石ながら巨石が用いられた見事なもので、さらに二上山白製の刳抜式家型石棺が残置していて、入りにくい羨道部を無理して入った甲斐が有る。副葬品等は伝わっていない。
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1 号墳の開口部から出て墳丘の裾添いに左方向(西)へ回るとすぐ小さい古墳がある、開口しているが入り口が狭く中に入れない、更に左へ(北)廻るともう一つ開口した古墳があってここは簡単に中へ入れる。古墳の石室も自然石を使用しているが小振りのものである。
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さ らに坂を下り、バス道に戻る右に「下り尾」の集落に入る道がある。道なりに山手に向かう方の軽四がやっと通れる程度の道を行くと、ついに家が途絶えコンクリートの舗装も無くなり地道となるが、ここを更に進むと直ぐ左手に民家が見える。この家の裏に越塚古墳がある。
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 奥壁の石は巨大でその他の石も大きいが自然のままの石を使っており、6世紀後半頃のもので崇峻天皇陵の可能性の強い天王山古墳と関係が有ると思われている、時期的には天王山古墳より一段古い。石室はかなり広く天井も高い、訪問したとき、天井には蝙蝠が一匹ぶら下がっており石室の番人のように懐中電灯の光をうるさそうににらみ返していた。床には拳大から人頭大の石が敷き詰められていて石棺の底板2枚が残っているが、形からもう1枚あったと思われ底板3枚から成る二上山白凝灰岩製の組立式家形石棺があったと思われる。
ここからは山の切れ目に生駒山が遠望でき手前の桜井市内にはかすかに大神神社(おおみわじんじゃ)の大鳥居が見える位置に有る。

 「下尾口」バス停の所に戻ると角に果物屋が店をだしている。メンバーが自然と立ち寄って物色し出した、そのうちにアイスキャンデーやソフトを食べだした。最後には店の人が全員にバナナ一本ずつサービスしてもらった。一息入ったところで帰りを急ごう。朝バスで来た桜井駅の方へ引き返して行き、信号を越えたところを右の細い道に入る。しばらく行くと右手に「舒明天皇(じょめいてんのう)陵」への碑が見えるのでここを右(東)に入って行くと御陵に行けるが、今日は夏の天候で暑く、(案内の講師が一番)ばて気味なので全員一致で省略して、道を北へ北へととって朝倉台団地を経て近鉄「大和朝倉駅」で解散となった。それでも朝9時20分のバスに乗ってから、解散は3時半の強行軍であった。

 編集の都合で、古い写真も使用したので了解願います。
by yumeoijyuku | 2009-08-21 23:17 | 古墳めぐり案内

奈良の古墳めぐり・・その2-14

近鉄文化サロン 現地学習 09.07.16

箸墓古墳に続く大型古墳から後期古墳の石棺に触れる

今日は桜井市南部の前期大型前方後円墳から横穴式石室が開口した後期後半の古墳を巡った。
JR・近鉄桜井駅をJR側に降りて、国道165号線を東に向かう。車に注意して20分ほど行くと、右手のゴルフ練習場の手前左の小山が「桜井茶臼山古墳」である。茶臼山古墳は戦後間もない1949年から調査が始まっている。出土品としては王権のシンボルと言われる碧玉製「玉杖(ぎょくじょう)」が有名、また三角縁神獣鏡他20面以上に相当する銅鏡の破片が多数出土している。

古墳の時期は大型古墳のなかでは箸墓の次に位置するもので4世紀前半から中葉の時期が推定されていて、メスリ山古墳よりやや古いとされている。墳丘全長約207m、後円部径約110m、前方部幅約61m。後円部墳頂下に長大な竪穴式石室が検出された。石室の壁は扁平な小石板をほぼ垂直に小口積みしていて、いわゆる合掌式とは異なる。床面には長さ5.2mの栂の巨木をくり抜いた木棺の底部が遺存していた。石室の上部には方形の壇があり二重口縁壷を並べて取り囲んでいたことが分かった。埴輪のはしりと位置付けされている。
 次は同じころ造られた大型前方後円墳メスリ山古墳に向かう。国道165号を西へ戻り、途中寺川沿いに南へ行く。しばらく南下して県道を横断した先の左手に談山神社一の鳥居がある。
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またここの南には「吉野川分水路」の標識がある。吉野川分水は,大和平野に灌漑用の水を送りこむために作られた国、県の事業で、大和平野を潤している。

この鳥居のすぐ北の道を東へ行くとすぐ右手に八坂神社の森がある、ここを右(南)に入ってそのすぐ先を右に入り兜塚古墳に寄って行こう。前方後円墳であるが頂部は平らで特に後円部は削られており家形石棺が露出している。蓋は盗掘のため東側の短辺が大きく割り取られている、縄掛け突起も削られていて特に南東のものは殆ど原形を留めていない。墳丘は全長50mの前方後円墳でありながら初期の家形石棺を採用していることから、昨年9月に訪問した天理市の東乗鞍古墳と同じ時期の後期初めの古墳とされている。
 
先ほどの県道を南へ行きT字交差点を右(西)に行きメスリ山古墳にむかう。下の写真正面に見える集会所を左にとり、神社の右手から上る。
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全長250m、後円部径65m、高さ19m、前方部幅80m、高さ8m、三段築成で人頭大の葺石が敷き詰められている。八坂神社の所を抜けて墳丘に上がる。ほどなく墳頂の平らな部分に出る、ここの中心には一段下がった区画があり石室の屋根石の上部が露出している、屋根石は8枚見える、
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石室の大きさは全長約8.2mで、割石を小口積みしており、木棺は残存していなかったが粘土床が造られていた。またすぐ東に平行して小型の竪穴式石室があった、こちらは合掌形の持ち送り式の石室で、この副室には212本に及ぶ鉄の槍先など武器関係が多く収められていた。竪穴式主石室の周囲には直径50cm~1mにおよぶ大型の円筒埴輪が方形に二重に巡っていたことが知られている。この円筒埴輪の大きな2本は高さ2.4m、径1.3mの巨大なもので、これを復元したものは県立橿原考古学研究所付属博物館で見られる。石室のすぐそばの別の小道を墳丘を取り巻くように北側に降りる。

この公園沿いに西へ行くと住宅地のはずれにコロコロ山古墳が移築されている。メスリ山古墳の発掘調査の際に近くで発見され、移築保存された。6世紀後半のもので墳丘は一辺30m、高さ3mの方墳で、全長11mの両袖式横穴式石室を有する。天井石は既に無くなっていたためコンクリートで代用されている。
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コロコロ山古墳から北へ行って、広い県道を渡って谷首古墳に向かう。玄室の高さは4mありすごく高い感じがする、長さ約6m、幅2.7m、羨道長7.8m、高さ1.7m墳丘は東西約35m、南北約38m、高さ約8mの方墳。入り口の天井石は片側が落ち込んで斜めになっていて少し入りづらい。
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石室の構造から桜井市の天王山古墳、明日香村の石舞台古墳等よりやや古く6世紀末から7世紀初頭のもので横穴式石室の最終段階に近いが付近の文殊院西古墳、艸墓古墳に先行するものとされている。

先ほどの県道を西へ行き広い道との角にある「もんちっち」の所を左に行き、「安倍小学校前」のバス停を越えて右手に入る。この先の左手に奈良県立農大の入口がある、正面のロータリーの所を右に行く、突き当たり左手に古墳が2基有って説明板がある、右手も古墳で3基ある、他に消滅したものも有って農大の敷地に計8基確認されていると言う。これらは「池の内古墳群」として知られている。磐余地域で中央政権に属した豪族の墳墓群と見られている。

 次はいよいよ安倍文殊院にある2基の古墳に向かう。先ほどの2車線道路を左(東)へどんどん行くと安倍文殊院西の門に着く、中に入って道なりに左へ行くと本堂がある。その右手に文殊院西古墳が開口している、墳丘は円墳でかなり変形されているが径13.6m、高さ6.6mと推定されている。石室の壁は綺麗に磨き上げられた花崗岩製で上部に行くに従って僅かにせり出していて石室の断面はゆるい台形になっている、天井石は1枚で、中央部を削って綺麗な曲線を出している。玄室長5.1m、幅2.9m、高さ約2.7m、羨道長7.3m、幅2.3m、高さ1.8m。優美な石室を持つ後期の古墳として有名である。石室内には願かけ不動が祀られていて参拝者が絶えない。
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駐車場の東の方にも石室が開口している「文殊院東古墳」で、ここの入り口は石の重みで左右の石が割れていて危険なため中には入れない。中に井戸があって「閼伽井(あかい)の水」が湧いているということで、寺務所で売られている。
文殊院を駐車場の所から北へ出て右(東)へ行くと信号のある交差点に出る、ここの左手に「艸墓(くさはか)古墳」がある。左手の細い坂を登ると「史跡艸墓古墳」と書かれた一本の心細いような標柱があって、右の民家の裏の塀沿いに身体を斜めにして通るような細い路地を入った先すぐに横穴式石室が開口している。方形の墳丘規模は東西22m、南北28mの横長で墳頂部は平坦な高さ約7mの載頭方錐形。墳丘は樹木が斬られ見やすくなっていた。
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この古墳には家型石棺が残っている、人の背丈ほどの高さの石棺に比べて羨道の天井が低く石室築造前に置かれたものと思われている。玄室長約4.5m、幅2.8m、高さ2m。羨道長は8.8m、幅2m、高さ(現状)1.5m。石棺の大きさは棺身幅1.5m、高さ1m。蓋の高さは約60㎝ある。ここの石棺は兵庫県高砂市産の凝灰岩を使用していると言うことである。

  付近の古墳の築造時期は谷首古墳が古く6世紀末から7世紀初頭、次いで文殊院東古墳、艸墓古墳と文殊院西古墳が7世紀第3四半期頃で横穴式石室式の最終段階となる。ということで今日は古墳時代前期の大型前方後円墳から後期の横穴式石室の最終段階まで巡ったことになる。

帰りは小学校の前の道を北へ行きJR・近鉄桜井駅に帰る。
by yumeoijyuku | 2009-07-21 23:55 | 古墳めぐり案内

奈良の古墳めぐり・・その2-13

近鉄文化サロン 現地学習 09.06.18
奈良市最北端柳生の里の古墳へ

 5月はインフルエンザ騒動で中止となったので順延して6月18日に柳生の古墳を巡ることになった。奈良市の北東、柳生方面へ奈良県最北端の古墳訪問と武芸の里柳生観光を兼ねて出かけた。バスの都合で近鉄奈良駅に30分早く集合して9時40分発のバスで大柳生に向かう。都心を離れて山道に入り、30分ほどで円成寺の入口に当たる「忍辱山」のバス停を通り、そのまま山道を走ると開けた集落に出る。ここが大柳生町で、すぐに「大柳生口」のバス停となる。

 大柳生の集落の北から西へかけての山の広い範囲に多数の古墳が散在する。ほとんどが 10m前後の円墳で横穴式石室を持ち開口しているものもある。この中で民家の庭先に1基ある「岡田氏宅前古墳」を見学した後、山間部に開口する古墳に向かう。

 この地区には尾根伝いに北西の須川町に抜ける競馬道と言われる古道がある。この始点あたりに開口した古墳があるので見逃せない。大柳生の信号のある交差点を北に須川から加茂へ向かう県道を行くと、間もなく左手に田んぼが奥まで続いている所があってその次に左斜めに山へ入って行くコンクリート舗装の狭い道がある。これを入ってすぐの右手にこんもりした古墳が目に付く。競馬道1号墳で「オクノガワの塚穴」とも言われている。羨道が少し長いが中に入れる。
上:競馬道1号、玄室より羨道部を見る。下:見学を終えて
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 次は天井山古墳群に向かう。大柳生から柳生へ向かう広い道路ができているのでこれを歩いてゆくと10分程で大柳生小学校前のバス停がある。左手の小学校に向かって入ると右に畦道のような細い道がある。このすぐ先の忠魂碑が天井山1号墳で、この前の小道を進むと、曲がって民家の庭先を通って行き青い瓦屋根の家の下に出るので、ここの階段を上って庭先を左へ迂回する形で山へ入る。この家の裏を回るようにしてゆくとすぐに小さい古墳がある。ちょうど3~4軒ある端の家の裏に当たり、民家の方(西南)に向かって横穴式石室が開口している。子供なら楽に入れる程に開口しており、覗くと奥まで見える。天井山2号墳で、戦時中(昭和十年代)防空壕に使用していたといい、当時は小皿の破片等が沢山あって子供の頃おもちゃにしていたと以前聞いたことがある。この頃はまだ須恵器の破片が残っていたようである。

 開口部が見つからず探していると、すぐ前の家の方から「他人の家の裏山で騒々しいが、一応声をかけるのが礼儀ではないか」とたしなめられた。遅まきながら了解を得て、古墳の開口部も教えていただいた。近くの「奈良市立青少年野外活動センター」の駐車スペースを借りて昼食の後、バスで最終目的地の柳生に向う。
 
 「柳生」のバス停から少し戻り、笠置へ向かう県道を北へ行き柳生小を越えたあたりで西に行き、川を渡って行くと右手に製材所が有って「東海自然歩道」の案内標識があるのでそこの小道を右に上って行くと、茶畑のはずれに「塚穴古墳」があって説明板がある。これによると柳生石舟斎宗厳はこの古墳の刳抜式家型石棺を取り出して手水鉢として使っていたらしい。そのため石舟斎と号したと伝えられている。後期古墳の横穴式石室が開口しており石材も露出している。この塚穴古墳は奈良市すなわち奈良県最北端の古墳と言う事になる。
左:内部から、右:塚穴古墳は茶畑のはずれにある
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 これで今日の古墳めぐりは終了となるが、バスの便が少ないのでこの後は柳生の里を見物して、時間調整した上で帰りのバスに乗るとよい。今日は途中で夕立に会い雨宿りをしながらの「柳生の里」散策となったが、開園中の「花しょうぶ園」、家老屋敷、柳生陣屋跡など思い思いに訪ねた後バスで帰途に就いた。近鉄奈良駅まで約1時間。
by yumeoijyuku | 2009-06-19 20:58 | 古墳めぐり案内

奈良の古墳めぐり・・その2-12

近鉄文化サロン 現地学習 09.04.16
葬送の地に太安萬侶が眠る、田原へ

奈良市東の山間部で葬送の地として注目されるのが田原地区。代表的なものは光仁天皇陵、春日宮天皇陵、横田古墳群と古墳ではないが太安萬侶墓が有名。平城京の葬送地は「養老喪葬令」に基づいて、京北方の奈良山丘陵、東方の田原地域および都祁盆地、生駒谷の3箇所があげられている。
田原へ行くにはJRまたは近鉄奈良からバスに乗るがバスの便が少ないので行き帰りの時刻確認が必要となる。山間部を行き須山を過ぎると田原地区で茶畑が目に付く。「田原御陵前」を通り越してしばらく走り「日笠」で下車する。
バスの来た方すぐに火の見櫓と郵便ポストがあって、道標があるところを右(西)に入る。10分もかからない内に光仁天皇田原東陵に出る。墳丘は東西38m、南北30mの不整形な円墳で高さ8m。周囲には空堀と外堤があるが幕末の改修のとき作ったらしい、天皇陵には周濠が必須のようである。19世紀始め頃には西に向かって開口する石室があったとの伝承があるが、幕末にはすでに不明となっている。
『続日本紀』によると第49代光仁天皇は第48代称徳天皇が跡継ぎを決めていなかったので、天皇が亡くなった後で諸臣が合議して、天智天皇の孫の白壁王が2ヶ月後に62才で即位した、11年間在位している。それまで天武天皇系が続いたが天智天皇系が栄えるきっかけになった。平安京遷都した第50代桓武天皇の父に当たる。持統天皇以来火葬が続いていたが光仁天皇は土葬で以後天皇は土葬が主流になる。
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光仁天皇陵を西へどんどん行くと古事記編纂で有名というより墓誌によって分かった「太安萬侶の墓」の下に出る。1979年1月茶畑で作業中の人が火葬墓を発見して大騒動になった。墓誌銘には「左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之養老七年十二月十五日乙巳」とある、723年のことである。奈良時代の上級官人の墓がこのように残って出土したのは極めて異例。
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墓からの景色は日本文化の原点ともいうべき長閑な田園が広がっていて景色を堪能できる。
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 次は横田町へ向かう。先ほど渡った天井橋の手前のところまで戻って、川沿いに南(右手)へ向かう。左、左へ行き横田の交差点に出る。そのまま横切って行くと右手にこんもりした山が見える。しばらく進んでから右手に入って行くとこの山の南に出る。「春日社」、「天満宮」と併記されている鳥居がある。この神社の山には天満神社古墳群があってその一つが分かり易い。鳥居の前に布団工場があったがここの裏(南)に古墳がある。一番東のものが通路で削られていてよく分かる。また、鳥居に向かってすぐ右にも古墳があるが形態がはっきりしない。
 最後は春日宮天皇陵へ向かう。天満宮の鳥居の所を先ほど来た方と反対の方(西)へ行くとバス道に出るのでそのまま西へ行く。バス道を1kmほど行くと「田原御陵前」バス停があって右手(北)が春日宮天皇陵の入口になっている。この陵は天智天皇の子で施基皇子の御陵であるが、子の白壁王が光仁天皇となったので天皇と呼ばれるようになった。在位した天皇ではない。
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<<写真はクリックすると拡大します>

「奈良の古墳めぐり」受講ご希望の方は「近鉄文化サロン 橿原」Tel:(0744)25-5421、ホームページ:   www.d-kintetsu.co.jp/bunka-salon/  または各地の近鉄百貨店にご照会ください。
by yumeoijyuku | 2009-04-17 17:33 | 古墳めぐり案内

奈良の古墳めぐり・・その2-11

近鉄文化サロン 現地学習 09.03.19

奈良公園から奈良町へ

  今日は若草山山頂の鶯塚訪問を予定していたが、山開きが翌日の20日だったので割愛した。そのため奈良公園に時間を割いた。
近鉄奈良駅から東向商店街を南へ途中から東(左)へ興福寺に入る。北円堂、南大門跡の基壇を経て奈良公園に向かう。
法隆寺境内:五重塔と東金堂
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第一期整備事業:中金堂の復元工事中、右手は講堂
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登大路を東へ進み奈良公園に入り東大寺大仏殿の西を通って正倉院に向かう。正倉院とは寺院、官衙の倉庫がある一角を指すが、東大寺の「正倉」を普通「「正倉院」と一般に呼んでいる。
 続いて大仏殿の東方にある「東塔」跡に向かった。建設当時は高さ100mほどの塔が西塔と供にそびえていたと言われている。東塔は平安時代末期に平家によって大仏殿と供に焼き打ちされ、鎌倉時代に入ってすぐ再建されたが室町時代の1362年に落雷で焼失しその後は再建されなかった。塔跡では七重塔の屋根に葺かれた古代瓦に思いを馳せた。 
若草山の麓をかすめ春日大社の参道から飛火野に向かう。平成の世になった頃開催された「奈良・シルクロード博」の飛火野会場となったところだ。ここの東の森との境目には後期の古墳14基からなる「御料園古墳群」がある。
 飛火野の西のバス道を南へ行き吉備塚古墳に向かう。奈良教育大学の構内に古墳がある。学生と遣唐使として2度通算17年間中国へ渡り帰国後は天平文化の一翼をになった吉備眞吉備の墓であると伝えられている。かつて雨で地表に露出していた銅鏡が採集されている。大学で発掘調査を実施していて、2004年2月には墳頂部から出土した鉄鏃・挂甲・鉄剣・画文帯環状乳神獣鏡など現地説明会があった。

奈良教育大学構内の吉備塚
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さらに2008年10月には大学構内で、同じ金原正明准教授の担当で新薬師寺金堂跡とみられる大型建物跡が検出されて新聞をにぎわせた。東大寺大仏殿(東西約59m)をしのぐ巨大建造物と分かった。
 バス道を北へ少し戻って広い交差点の手前の道を左(西)へ入ると右手に「頭塔(ずとう)」がある。正方形の基壇の上に七段の方形の土壇を積み上げている。奇数壇の壁の所々を窪ませて石仏が配置されている。平成12年整備が完了し北半分は復元整備され、見学デッキ・解説板などが設けられた。南半分は現状保存されている。
左:復元部、中:説明板でお勉強、右:入口の説明板
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 頭塔の前の道を西へ行き県道を渡って行くと奈良町になる。ここの目玉はなんと言っても奈良時代の名刹で、南都七大寺の一つ「元興寺極楽坊」である。元興寺は蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺(飛鳥寺)に始まる。その後平城遷都に伴い現在地に移築され名も元興寺となって今に残る。旧境内は今の十倍以上の広さが有ったと言う。法興寺で使われていた瓦は今も本堂や禅室の屋根に使われていて、屋根の色が違うのでよく分かる。奈良町には奈良町資料館、庚申堂、日本でいちばん古い砂糖専門店「砂糖傳増尾商店」など興味をそそる施設が多い。

砂糖傳商店、右:中で水飴を頂いた
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今日の最後は開化天皇陵へ向かう。三条通りを西へ行く、広い「やすらぎの道」を横断して行くと「ホテルフジタ」の西隣に入口がある。第9代開化天皇は日本書紀では崇神天皇の父に当たるが、神武天皇以降の実体の無い天皇の最後に位置付けられている。4世紀後半から5世紀前半の古墳で、全長105m、後円部径55m、となっているが幕末に大きく改変されていて当初の姿はよく分かっていない。帰りは、三条通りをそのまま西へ行くとJR奈良駅。引き返してやすらぎの道を北へ行くとすぐに近鉄奈良駅となる。

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by yumeoijyuku | 2009-03-22 14:48 | 古墳めぐり案内