古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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「古墳めぐり案内」終了ごあいさつ

  2005年4月「近鉄文化サロン橿原」で始まった「古墳めぐり案内」は、途中で「朝日カルチャーセンター梅田」に引き継いで継続してきましたが2014年3月をもって終了しました。この間、奈良県全域を中心に大阪府・京都府・兵庫県の各一部、計394(10年間で延べ859)箇所の古墳、古墳群、陵墓を巡ったことになります。受講していただいた会員の皆さま、講座開設主催者はじめブログ「朱雀の夢ものがたり」を愛読・支援していただいた皆様に御礼申し上げます。
  今後は、文化財関係のさらなる教養修得に努めたうえで「古墳めぐり案内」で培った知識をまとめて、広く「古代のモニュメント・古墳」に興味を持っておられる方々への参考となるべき案内冊子をまとめることを目指していきたいと思っています。
  引き続きご支援よろしくお願い申し上げます。

               2014年3月末日  古代夢追塾主宰 西村 治美 拝
by yumeoijyuku | 2014-04-01 19:45 | 古墳めぐり案内

古墳めぐり案内ーブログ掲載日:目次

 これは朝日カルチャーセンター現地講座の様子を、講師が私的にブログで公開したもののうち2008年11月から2012年9月の間に実施した1クルー分のリストです。

 この間に案内した内容については
①目的の「テーマ・実施日」を下記1~45上段から探し出して。
②下段の「ブログ見出しと掲載日」から得られた年月によって、このブログ「朱雀の夢ものがたり」の左欄に表示されている年月をクリックして該当年月を参照し、該当記事を選んでご覧ください。

 「古墳めぐり案内」は現在も継続して実施しています。講座の案内はウエブで「朝日カルチャーセンター梅田」を検索して「現地」-「歴史探訪」-「古代のロマン・古墳をめぐる」を参照してください。
                2013年7月5日  古代夢追塾 主宰
上段:テーマ・実施日
下段:ブログ見出しと掲載日      

1、奈良市北部の佐紀古墳群①,08.11.20
  奈良の古墳めぐり・・その2-7 2008-11-20 古墳めぐり案内
2、奈良市北部の佐紀古墳群②,08.12.18
  奈良の古墳めぐり・・その2-8 2008-12-18 古墳めぐり案内
3、大安寺(癌封じ祭り)から奈良市西部の古墳,09.01.23
  奈良の古墳めぐり・・その2-9 2009-01-24 古墳めぐり案内
4、奈良市南部の古墳,09.02.19
  奈良の古墳めぐり・・その2-10 2009-02-21 古墳めぐり案内
5、近鉄奈良駅周辺の古墳,09.03.19
  奈良の古墳めぐり・・その2-11 2009-03-22 古墳めぐり案内
6、葬送の地に太安万侶が眠る田原地区へ,09.04.16
  奈良の古墳めぐり・・その2-12 2009-04-17 古墳めぐり案内
7、奈良市最北端柳生の里の古墳へ09.06.18
  奈良の古墳めぐり・・その2-13 2009-06-19 古墳めぐり案内
8、箸墓古墳に続く大型古墳から後期古墳の石棺に触れる,09.07.16
  奈良の古墳めぐり・・その2-14 2009-07-21 古墳めぐり案内
9、桜井市東部の山間部に眠る古墳を訪ねる,09.08.20
  奈良の古墳めぐり・・その2-15 2009-08-21 古墳めぐり案内
10、橿原神宮から新沢千塚へ,09.09.17
  奈良の古墳めぐり・・その2-16 2009-09-18 古墳めぐり案内
11、飛鳥の古墳① 飛鳥西部真弓丘陵の古墳,09.10,15
  大和の古墳めぐり・・その2-17 2009-10-16 古墳めぐり案内
12、 飛鳥の古墳② 古都飛鳥に眠る終末期古墳の主達,09.11.19
  大和の古墳めぐり・・その2-18 2009-11-19 古墳めぐり案内
13、飛鳥の古墳③ 石舞台古墳から古代飛鳥の宮殿跡へ,09.12.17
  大和の古墳めぐり・・その2-19 2009-12-18 古墳めぐり案内
14、飛鳥の古墳④ 孝元天皇陵から飛鳥寺、亀形石遺跡へ,10.01.21
  大和の古墳めぐり・・その2-20 2010-01-22 古墳めぐり案内
15、葛城山麓の古墳①,10.02.18
  大和の古墳めぐり・・その2-21 2010-02-19 古墳めぐり案内
16、葛城山麓の古墳②,10.03
  大和の古墳めぐり・・その2-22 2010-03-19 古墳めぐり案内
17、御所市の古墳①,10.04.15
  大和の古墳をめぐる・・その2-23 2010-04-15 古墳めぐり案内
18、御所市の古墳②,10.05.20
  大和の古墳をめぐる・・その2-24 2010-05-20 古墳めぐり案内
五条市の古墳,10.06.17
  大和の古墳をめぐる・・その2-25 2010-06-18 古墳めぐり案内
19、馬見丘陵と周辺の古墳①,10.07.15
  大和の古墳をめぐる・・その2-26 2010-07-21 古墳めぐり案内
20、馬見丘陵と周辺の古墳②,10.08.
  大和の古墳をめぐる・・その2-27 2010-08-20 古墳めぐり案内
21、馬見丘陵と周辺の古墳③,10.09.
  大和の古墳をめぐる・・その2-28 2010-09-18 古墳めぐり案内
22、馬見丘陵と周辺の古墳④,10.10.21
  大和の古墳をめぐる・・その2-29 2010-10-24 古墳めぐり案内
23、斑鳩の古墳,10.11.18
  大和の古墳をめぐる・・その2-30 2010-11-22 古墳めぐり案内
24、大和郡山市の古墳,10.12.16
  大和の古墳をめぐる・・その2-31 2010-12-16 古墳めぐり案内
25、平群谷の古墳,11.01.20
  大和の古墳をめぐる・・その2-32 2011-01-23 古墳めぐり案内
26、大阪府・河内磯長谷の古墳,11.02.17
  大和の古墳をめぐる・・その2-33 2011-02-18古墳めぐり案内
27、大阪府・古市古墳群①,11,03.17
  大和の古墳をめぐる・・その2-34 2011-03-21古墳めぐり案内
28、大阪府・古市古墳群②,11.04.21
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-35 2011-04-21 古墳めぐり案内
29、堺市の古墳群,11,05,19
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-36 2011-05-19 古墳めぐり案内
30、摂津の古墳①茨木市・高槻市,11.06
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-37 2011-06-17 古墳めぐり案内
31、長岡京と付近の古墳,11.07
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-38 2011-07-22 古墳めぐり案内
32、摂津の古墳②宝塚市,11.08
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-39 2011-08-21 古墳めぐり案内
33、摂津の古墳③神戸市,11.09
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-40 2011-09-17 古墳めぐり案内
34、摂津の古墳④尼崎市・伊丹市,11.10.20
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-41 2011-10-20 古墳めぐり案内
35、竜山石採石場見学,11.11.17
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-42 2011-11-18古墳めぐり案内
36、八尾市の古墳①,11.12.15
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-43 2011-12-24 古墳めぐり案内
37、八尾市の古墳②,12.01.19
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-44の1/2 2012-01-21 古墳めぐり案内
                       2/2 2012-01-22 古墳めぐり案内
38、京都市嵯峨の古墳,12.02.16
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-45の1/2 2012-02-16 古墳めぐり案内
                        2/2 2012-02-16 古墳めぐり案内
39、京都府木津川市の古墳,12.03.15
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-46  2012-03-15 古墳めぐり案内
40、山の辺の道添いの古墳①,12.04.19
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-1 2012-04-19 古墳めぐり案内
41、山の辺の道添いの古墳②,12.05.17
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-2 (1/2) 2012-05-17 古墳めぐり案内
                     (2/2) 2012-05-30古墳めぐり案内
42、天理教本部と周辺の古墳から石上神宮へ,12.06.21
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-3   2012-06-22 古墳めぐり案内
43、開口した前方後円墳から金象嵌の大刀を出した古墳へ,12.07.19
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-4 2012-07-20 古墳めぐり案内
44、山の辺の道添いの古墳③,12.08.30
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-5 2012-09-01 古墳めぐり案内
45、山の辺の道添いの古墳④,12.09.20
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-6 2012-09-21 古墳めぐり案内

                                 古代夢追塾
by yumeoijyuku | 2013-07-05 17:14 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-7

朝日カルチャーセンター・現地講座案内
古代のロマン・古墳をめぐる その3-7  2012.10.18
箸墓古墳に続いて築かれた桜井市南部の大形古墳

<10月18日の「古代のロマン・古墳をめぐる」は全行程が雨のため写真はありません。前回の09.07.16「奈良の古墳めぐり」その2-14の前半とほぼ同コースなので参照してください。>

 今日は桜井市南部の前期大型前方後円墳から横穴式石室が開口した後期の古墳を巡る。
JR・近鉄桜井駅をJR側に降りて正面の広い通りを南へ行きすぐの商店街を左へ行く。しばらく行って小さい粟原川を渡ってから右手に見える前方後円墳茶臼山古墳へもう一度川を超える。古墳の後円部を東に回り込んでからくびれ部から墳頂を目指す。
 茶臼山古墳は戦後間もない1949年から調査が始まっている。出土品としては王権のシンボルと言われる碧玉製の「玉杖(ぎょくじょう)」が有名、また三角縁神獣鏡他20面以上に相当する銅鏡の破片が多数出土している。古墳の時期は大型古墳のなかでは箸墓の次に位置するもので4世紀前半から中葉の時期が推定されていて、今日訪問するメスリ山古墳よりやや古いとされている。天理市内の行燈山古墳、渋谷向山古墳と続く大型古墳の前の段階のものとされている。後円部墳頂下に長大な竪穴式石室が検出されている。石室の壁は扁平な小石板をほぼ垂直に小口積みしている。床面には長さ5.2mの栂の巨木をくり抜いた木棺の底部が遺存していた。
 
 2009.10.23毎日新聞によると、奈良県立橿原考古学研究所が後円部を発掘調査した結果が伝えられている。石室は板状の石を垂直に積み上げて、その上に大形の石を12枚並べて乗せて天井にしていた。石室の大きさは全長6.75m、幅1.27m、高さ1.71m、木棺の底部分が残っていた。内面全体や天井石の外側にも水銀朱が塗られていた。発掘した銅鏡片を整理した結果以前出土したものも合わせて三角縁神獣鏡26枚分ほか銅鏡が計81枚分確認できたとしている。(2009.10.29桜井茶臼山古墳の調査 現地見学会報告[ 2009-11-01 23:01 ]参照)

 次は同じころ造られた大型前方後円墳メスリ山古墳に向かう。国道165号を西へ戻り、「御幸田町」バス停のある信号を左(南)へ行く。途中寺川沿いに行くことになる。寺川は多武峰を通り桜井市から橿原市、田原本町を経て川西町で大和川に合流する。県道を南へ行きT字交差点を右(西)に行って右手に貯水池がある所の手前を右に入る正面の山がメスリ山古墳である。三段築成で人頭大の葺石が敷き詰められている。八坂神社の所を抜けて墳丘に上がる。
 墳頂の平らな部分の中心には一段下がった区画があり石室の屋根石の上部が露出している、屋根石は8枚、石室の大きさは全長約8.2m、幅1.3m、高さ1.6mで、割石を小口積みしており、木棺は残存していなかったが粘土床が造られていた。またすぐ東に平行して小型の副室竪穴式石室があった、竪穴式主石室の周囲には直径50cm~1mにおよぶ大型の円筒埴輪が方形に二重に巡っていたことが知られている。この円筒埴輪の大きな2本は高さ2.4m、径1.3mの巨大なもので、これを復元したものは県立橿原考古学研究所付属博物館で見られる。石室のすぐそばの別の小道を墳丘を取り巻くように北側に降りる。古墳の北側は前方部から後円部にかけて公園となっており整備されている。

北へ抜けて、広い県道を渡って大和桜井園に突当たった所を左へ行くとすぐ右に谷首古墳が開口している。玄室の高さは4mありすごく高い感じがする、長さ約6m、幅2.7m、羨道長7.8m、高さ1.7m墳丘は東西約35m、南北約38m、高さ約8mの方墳。入り口の天井石は片側が落ち込んで斜めになっていて少し入りづらい。凝灰岩の破片と若干の須恵器片が残っていた程度で副葬品等一切不明であるが、石室の構造から桜井市の天王山古墳、明日香村の石舞台古墳等よりやや古く6世紀末から7世紀初頭のもので横穴式石室の最終段階に近いが付近の文殊院西古墳、艸墓古墳に先行するものとされている。

 大和桜井園の前を東へ行き突き当りを左へ行くと県立奈良情報商高のグランドの北西に出る。ここの左手に「艸墓古墳」がある。民家の裏の塀沿いに身体を斜めにして通るような細い路地を入った先すぐに横穴式石室が開口している。方形の墳丘規模は東西22m、南北28mの横長で墳頂部は平坦な高さ約7mの載頭方錐形。この古墳には家型石棺が残っている、人の背丈ほどの高さの石棺に比べて羨道の天井が低く石室築造前に置かれたものと思われている。ここの石棺は昨年11月に訪問した兵庫県高砂市産の凝灰岩を使用していると言うことである。付近の古墳の築造時期は谷首古墳が古く6世紀末から7世紀初頭、次いで来月行く予定の文殊院東古墳、艸墓古墳と文殊院西古墳が7世紀第3四半期頃で横穴式石室式の最終段階となる。ということで今日は古墳時代前期の大型前方後円墳から後期の横穴式石室の最終段階まで巡ったことになる。
by yumeoijyuku | 2012-10-19 20:46 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-3  

朝日カルチャーセンター・現地講座案内
古代のロマン・古墳をめぐる その3-3  2012.6.28


定例の第三木曜日が雨で6月28日に延期になった。
午前10時に天理駅をスタート。東へ向かい天理教本部の神殿前を南に向かい天理高校と天理中学との間にある西山古墳を目指す。古墳時代前期の前方後方墳で全長180m、集合を含むと255mあって、この形で我が国最大の規模を誇る。墳頂の見晴が良い。

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西山古墳。左:後方部から墳丘を上る後方は天理高校校舎、。中:前方部南側に残る周濠。右:前方部から後方部(東)を見る。

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西山古墳の北すぐにある塚穴山古墳は径60mの墳丘上部が削平されていて、石室も天井がなくなっている。石室全長16m、玄室長7m、幅3mあって、飛鳥の石舞台古墳の石室に匹敵する。

ここから東北方向の峯塚古墳の石室を見学してから西乗鞍古墳に向かう。

西山古墳南方にある全長120m、古墳時代後期の西乗鞍古墳は、市が借地している市民公園から墳丘に上るが、現在地主と係争中とのことで古墳に立ち入ることができなかった。
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左:地主が設置した、立ち入り禁止のバリケード。中・右:古墳の説明板。

西乗鞍古墳からすぐ南のグランドの南の道を東に行くと、西乗鞍古墳と同じころに築造された東乗鞍古墳(全長72m)がある、開口した石室に入ることができる。中には一部壊れた石棺が2基残っている。

東乗鞍古墳のところで「山の辺の道」に入って北へ、石上神宮を目指す。途中、西日光と言われた大伽藍を持つ内山永久寺跡を通る。明治の廃仏毀釈で廃止され、寺宝他の貴重な文化財が散逸した。
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左:内山永久寺手前の休憩所。中:西に生駒山。右:前方右手に永久寺伽藍配置の解説板がある。

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石上神宮山門。

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左:本殿、中:国宝七枝刀の写真、右:銘文の解説。

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摂社「出雲建雄神社」。左:本殿。中:標識。右:拝殿(国宝)拝殿の方が立派である。

帰りは西に向かい天理教本部前を通り、天理駅で解散。

〇 <写真はクリックすると拡大します>

〇 この「古代のロマン・古墳をめぐる その3-3  2012.6.28」は以前にアップした「奈良の古墳めぐり・・その2-5 H20(2008年).9.18」とほぼ同じコースを巡ったものです。左欄にある
「2008年9月」をクリックして9.18のブログと合わせてご覧ください。

〇 朝日カルチャーセンターホームページ:ウエブで「朝日カルチャーセンター 梅田」をクリック
by yumeoijyuku | 2012-06-22 09:59 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-2(2/2)  

朝日カルチャーセンター・現地講座案内
古代のロマン・古墳をめぐる その3-2   2012.5.17 (1/2)  

 龍王山から川の北の道を下りてきて山の辺の道に突き当たるとすぐ右(北)が「崇神天皇陵(行燈山古墳)」である。崇神天皇陵の後円部の東、ちょうど山の辺の道を挟んで「櫛山古墳」がある。まずその「櫛山古墳」によって行こう。古墳としては珍しい形で双方中円墳と呼ばれている。普通前方後円墳の円墳を中心として前方部が向き合った形を言うが、この古墳の場合は前方後円墳の後円部の東側に方形の出っ張りが着いた形で、しかも古墳軸上からずれて取りついている、埋葬に関係する祭祀の場と考えられている。雑木林となっているが下刈りされていて墳丘上や周囲には通路もできている、ただし北側は中円部で途切れている。
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左:説明板でお勉強。中:後方部の出っ張り。右:説明板。
 
崇神天皇陵は全長242m、後円部径158m、前方部幅102mの前方後円墳で周囲に水をたたえた周濠があって雄大な眺めを見せる。景行天皇陵と同じように周濠の東西に段差があるので渡り土手で区切って水位を保っている、また周濠の形態も幕末の修陵で拡幅されていて、元々は景行天皇陵と同じようなものであったと思われている。水位も築造時より高くなっているようである。崇神天皇は4月に案内したように『日本書紀』では三輪山の大物主神や天照大神との物語がある。景行天皇陵と供に考古学的には天皇陵との確証は無いが4世紀の日本の代表的な前方後円墳である。古墳の南に沿って前方部に向かうと後円部から前方部にかかるあたりに外堤を切り開いた水門がある。ここの南に田を1枚隔てて、「ザクロ塚」があって、い号陪塚とされているが横穴式石室が検出されていて時代的に龍王山古墳群に属すると分かった。西の拝所正面の左が「アンド山古墳」、右が「南アンド山古墳」になる。
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左:後円部から南の外堤を周って前方部へ。中、右:説明板。

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左:前方部外堤にある拝所。中:拝所。右:説明板。

 県道の西すぐ南に県道に半分削り取られた前方後円墳がある、伊射奈岐神社の境内にある「天神山古墳」で、県道工事に伴って調査された。全長113m、後円部径55m、前方部幅50m。後円部中央に主軸と平行した石室があって、扁平な割石を持ち送り積みしていて、檜の木櫃があって木櫃内に3面、周囲に20枚におよぶ銅鏡が出土したことで有名。人体埋葬の痕跡はなかった。

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左:伊射奈岐神社鳥居。中:社殿、この奥あたりが後円部。右:鳥居横にある説明板。

 崇神天皇陵の正面を西へJR「柳本駅」方面へブロックできれいに舗装された道を西へ行くと、右手に池があってその向こうに「黒塚古墳」が見える。墳丘の周囲は公園として整備されている、周濠がかなりいびつな形で残っていて、南側は広く北側は一段低く、釣り堀になっていたい池である。黒塚古墳は全長約130mの東西に主軸を持つ前方後円墳で、4世紀初めかそれより古いとされた。
 鏡が見つかった竪穴式石室は墳丘主軸と直交する形で検出された。内法は長さ約8.3m、床面での幅は北端で約1.3m、南側で約90㎝、高さ約1.7m。棺台となる粘土の床に木棺の跡が残っており、長さ6.2m、直径1mを越える割竹形木棺が有ったことが分かった。

木棺の中央部の粘土床には魔除けに使われる水銀朱が鮮やかな朱を呈しており、ここに遺体が安置されていたことが分かる。三角縁神獣鏡は全て木棺の外にあって、鏡面を石室の内側に向けて立っていた。椿井大塚山古墳の鏡は全て石室の壁に向かっておかれていたと言う。黒塚古墳展示館があって古墳の詳細や出土した鏡のレプリカを展示、解説している
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左:後円部にある渡り土手。右:展示館にある竪穴式石室の復元模型。

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左:前方部北側。中:前方部南側、水面は北側より一段高い。右:説明板。

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後円部墳頂、左:説明板と竪穴式石室の位置を示すモニュメント、遠景は生駒山。中:説明板。右:公園にある説明板。

展示館には出土した全鏡のレプリカが展示されている。
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33号鏡「三角縁獣帯神獣鏡」レプリカ。左:手前から。右:右手前が33号鏡。
by yumeoijyuku | 2012-05-30 16:52 | 古墳めぐり案内

以前の記事非公開について

4月からは「古墳めぐり案内」が3順目に入ります。2008年4月以降の2順目ものは順次「非公開」とします。
by yumeoijyuku | 2012-02-26 16:53 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-45の2/2 

 
1/2から続く

広沢池の西側には池へ突き出るような形の小さな島があり、観音島と呼ばれ、橋が架けられている。島には石像の千手観音が祀られている。
平安時代の中期に遍照寺の建立にあわせ庭池として本堂の南に造営されたとも言われている。
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広沢池。左:千手観音石像、後は広沢池の北にある遍照寺山。中:広沢池の解説。右:遍照寺の解説。

広沢池の南には小円墳3基からなる広沢池古墳群がある。広沢池の南の府道を東に行き、広沢公園のところを右(南)に行き「世界救世教」のところを東へ入って行くと右手に墓地があるがここの左手に入ると遍照寺古墳(広沢3号墳)がある。径30mほどの円墳である。元に戻りそのまま西へ行くと遍照寺の北門のところに稲荷古墳(広沢1号墳)がある、墳頂は稲荷社になっている。横穴式石室を持つ径20mの円墳とされている。ここのすぐ北に堀川高校のグランドがある。ここの北東角に広沢2号墳がある。墳丘は無くなっているが巨石を使用した横穴式石室が露出している。この古墳のそばには小さい祠があって、石棺の一部で石像を刻んで祀られている。
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広沢池古墳群。左:遍照寺古墳(広沢3号墳)。中:稲荷古墳(広沢1号墳)。右:広沢2号墳。

稲荷古墳から少し東へ戻り道なりに南へ向かう。丸太町通りを横断して行った突き当りの先に甲塚古墳の森が見える。左手に有栖川沿いに回り込み「山下庭園」に入って見学させていただく。径38mの円墳であるが周囲は削り取られて造園屋さんらしく化粧石で囲まれている。両袖式の横穴式石室が開口している。全長14.4m、玄室長5.2m、幅2.6m、高さ3.2m、羨道は長く9.2m、幅1.5m、高さ1.7m。

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甲塚1。左:墳丘。中:石室入口。右:玄室奥にお稲荷さんが祭られている。

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甲塚2。左:玄門部。中:見上げ石。右:羨道部から羨門を見る。

京福電車「帷子ノ辻」駅の南方「松竹京都映画撮影所」の南東の住宅内に前方後円墳蛇塚の石室が露出している。墳丘は削平されて住宅になっている。古墳時代後期末の7世紀頃築造された京都府下最大の横穴式石室を誇る。早くから墳丘封土が失われ、後円部中央の横穴式石室だけが露出して残っていて、周囲の輪郭をたどると現在でも前方後円墳の形をとどめていて、本来は全長75メートルに復原できる。玄室は、石舞台古墳よりも大きく、また床面積では全国第4位の規模を誇っている。石室全長17.8m(石舞台古墳19.2m)、玄室長 6.8m(同7.7m)、幅3.9M(同3.5m)、高さ5.2m(同4.8m)、玄室床面積25.8㎡(同27.0㎡)。入り口は現在柵で囲ってある為内部には入れない。京都市の依頼を受けて近所の保存会の方が管理されている。

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蛇塚。左:奥壁部:。中:玄門部、石室から。右:同左見上げ石。

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蛇塚石室石組1、左が奥壁部、右手が羨門部。

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蛇塚石室石組2、左が羨道部、右が玄室。

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蛇塚説明板
by yumeoijyuku | 2012-02-16 22:26 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-45の1/2 

今日は京都市右京区嵯峨野の古墳をめぐる。
嵯峨野の古墳については「ブログ:京都市右京区の太秦(うずまさ)古墳群と嵯峨野古墳群とは!2009年07月29日 」に概略が掲載されているので少し長くなるが引用する。「平安時代以前に、古代の京都を開拓した先住民の人達がいたが、これが太秦の秦氏である。秦氏は朝鮮半島の新羅からの渡来民であること、農耕・土木・養蚕・機織りなどの技術を伝え、古代京都に新しい文化をもたらし、千年の都をつくる基礎づくりをした集団であることを、秦氏ゆかりの古墳や遺跡が伝えてくれる。秦氏の祖先の活躍は、応神天皇の時に、大陸から渡ってきた秦氏一族が天皇に協力し、大和朝廷の設立に初めから関わっていたらしい。京都盆地にも、5世紀代から朝鮮系渡来人による開発と定住が進み、この人々が「秦」姓となったのは6世紀以後からであり、歴史的な活動が顕著に認められるのは、第33代の女帝・推古天皇の頃・6世紀中頃から7世紀前半の頃からで、“秦河勝”が広隆寺を建立した8世紀には、この国家統一事業の完成期であったと云う。」

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左:観光案内図。中:JR嵯峨嵐山駅、トロッコ嵯峨駅でもある。右:狐塚古墳墳丘。

先ず駅から北へ、県道の南にある狐塚古墳(大覚寺古墳群4号墳)に向かう。民有地の竹林の中にある径約28mの円墳、両袖式の横穴式石室(玄室長3.8m、幅2.3m、高さ2m。羨道長1.5m、幅1.3m。)が開口している。
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狐塚古墳。左:開口部。中:玄室、玄門部から。右:羨道部、玄門部から。

府道から北へ有栖川沿いに北へすぐの北嵯峨高校の手前を左に入り、入道塚古墳(大覚寺古墳群2号墳)に行く。墳丘は30m×25mの方墳。石室は両袖式で全長12m、玄室長4.6m、幅2.5m、羨道長7.4m、幅1.6mあったとされている。陵墓参考地となっている。
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入道塚古墳。左:向こうの北嵯峨高校に接して古墳がある。。中・右:墳丘は封土がなくなっている。

高校の南の道を行き、すぐ右(北)へ行くと高校の北に丸山古墳(大覚寺古墳群1号墳)がある。校舎と住宅に囲まれているが周濠を持つ径50mの大形円墳である。京都でも有数の大形横穴式石室が完存しているというが、ここも陵墓参考地となっている。両袖式石室の規模は全長15.5m、玄室長5.5m、幅3.2m、高さ4.2m。羨道長10m、幅2m、高さ2.2m。石室には大型の家形石棺2基が破壊されて残っていたという。なお3号墳は現存しない。
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丸山古墳。左:墳丘(北東より)。右:開口部。

丸山古墳を北へ行き、左手(西)手(北)に回り込むと大覚寺の正門になるが、今回は対象外なのでパスする。しかし、東の大沢池沿いに北へ回り込むと、池の北の大覚寺領域内にある心経宝塔、石仏群、勿来の滝跡などの施設を見学できるので寄り道してゆこう。大覚寺は真言宗大覚寺派大本山の寺院。山号を嵯峨山と称する。開基は桓武天皇の子で第52代嵯峨天皇である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を今に伝える寺でもある。
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左:大覚寺正面。中:大沢池の北にある心教宝塔。右:石仏が集められて置かれている。

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左:勿来滝、百人一首にもある勿来の滝が復元されている。中:説明板。右:大沢池からの眺め。

大沢池の南の道を東へ行くと七ツ塚の田畑が開けている。ここには小規模の円墳、前方後円墳からなる七ツ塚古墳群がある。1号墳は消滅しているが他の6基が残っている。

 七つ塚の田畑の北の竹藪の奥には後宇多天皇蓮華峯寺陵(れんげぶじりょう)がある。第91代後宇多天皇は大覚寺統で、持明院統との間に皇統をめぐる確執が続いた。大覚寺統はさらに南朝につながり持明院統は北朝に繋がっていく。
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左:田畑の間に小古墳6基が点在する、向こうの山は遍照寺山、その南に広沢池がある。中:後宇多天皇蓮華峯寺陵。右:標識。


「古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-11の1/2 」へ続く
by yumeoijyuku | 2012-02-16 20:03 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-44の2/2  

朝日カルチャーセンター 現地講座 H24.1.19

八尾市の古墳②の2/2

 来迎寺の入口へ戻って南へ行き、細い服部川を渡ったところで左手(南)へ入る。服部川42号墳の他古墳が点在しているが詳しいことはよく分かっていない。
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左:服部川42号墳。右:服部川78号墳。

 周囲の古墳群を探りながら南へ行き服部川78号墳のところを右(西)へ神光寺の墓地の方へ行く。墓地の角を右(北)へ入ると右手奥に二室塚古墳(服部川25号墳)がある。現地にある八尾市教育委員会の説明板では、6世紀後半に造られた石室で、右片袖式の玄室を二つ連結したもので、全国的にも類例が無いという。(なお、郡川(信貴山ケーブルの南)にある交互二室塚古墳の石室は奥の玄室は右片袖、これに左片袖式の前室が連結されている)。また、この古墳は明治時代中期に造幣技師として英国ガウランドが我が国に招かれたとき写真撮影を行い「双室ドルメン」として、いち早く海外に紹介したという貴重な歴史を持っている。


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二室塚古墳①。左:説明板でお勉強:。右:前室から奥室を見る。

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二室塚古墳②。左:左側壁、手前は奥室。右:右側壁、奥室右袖玄門部から、前室(向こう)も右袖で同形の石室が続いている。

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二室塚古墳③。説明板。

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服部川7号墳①。左:羨門部。右:玄門部、玄室から、調査のマークが入っている。


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服部川7号墳②.左:奥壁と右側壁。中:奥壁と左側壁。右:マンホール。

 帰りは西へコンクリートの坂道を下り、道なりに西へ行くと近鉄信貴線に突き当たるので、その手前で右、左と曲がり服部川駅に出る。
by yumeoijyuku | 2012-01-22 00:03 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-44の1/2  

朝日カルチャーセンター 現地講座 H24.1.19

八尾市の古墳②の1/2

今回は八尾市の高安山西山麓に点在する高安古墳群をめぐる。八尾市の高安地区中部(千塚、山畑、大窪、服部川、郡川あたり)には約200基の古墳群が現存しているという。古墳時代後期の6世紀から7世紀にかけて造られ、その多くが、横穴式石室を持った直径10~20メートルほどの小さな円墳で、高安山の中腹、標高50~300メートルあたりに多く分布している。心合寺山古墳が造られた古墳時代中期には大豪族が巨大な古墳を築造していたが、古墳時代後期には権力が分散し、財力のある小豪族がこのあたりに勢力を伸ばし、小規模な円墳を造った。しかし、被葬者が誰であるかはわかっていない。

 高安古墳群は4つの支群に分けられる八尾農免道路(ガソリンなどの揮発油税の収入の一部を使って造られた農業用道路の通称)に沿って北から①大窪・山畑(おおくぼ・やまたけ)支群、②服部川支群、③郡川支群、④黒谷支群がある

 近鉄「服部川駅」が出発点となるので、まず近くの「俊徳丸鏡塚古墳」から見てゆこう。駅から北へすぐの公園の角を右(東)へ道なりに行き池を越えて2つ目を左へ入るとすぐに古墳がある。古墳は大窪・山畑古墳27号に整理されている。6世紀ごろの横穴式石室古墳。
 謡曲、浄瑠璃で演じられる俊德丸はこのあたりにいたとされる信吉長者の子で、蔭山長者の娘と恋に落ちたが、俊徳丸は継母から憎まれ、失明させられ、癩病にも侵されてしまい放浪の身となる。後に蔭山長者の娘と再会し、観音様のおかげで俊徳丸の病気は治り、二人は夫婦となって蔭山長者の家を相続して幸福な人生を送ったとされる。俊徳丸の実家の長者は落ちぶれてしまう。という物語である。

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俊徳丸古墳(大窪・山畑27号墳)①左:全景。中:開口部、人が立っているところ。右:説明板。

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俊徳丸古墳②左:開口部。中:奥壁、五輪塔下部、石碑が祀られている。右:玄室より玄門部。

 ドルメン古墳(大窪・山畑36号f墳)へは一旦北に出て東の山沿いの「農免道路」に出ると、山側に大窪・山畑39号墳がある。そこから北へしばらく行くと右手に「シュロの木」があって目印となる。そこから右手を見ると大きな石組が門のように残っているドルメン古墳の残骸が見える。墳丘、石室はなくなっているが、明治時代初期にエドワード・モースが日本の古墳を調査・スケッチして、「日本におけるドルメン(ドルメン=支石墓、新石器時代以降の巨大な石を用いた墳墓)」として紹介している。 そのことからこの古墳が「ドルメン」として有名になったと思われる。
 エドワード・S・モース(1838年~1925年、アメリカ合衆国)は、東京大学の初代動物学教授を務めるかたわら大森貝塚(東京都)の歴史的な発見者として知られる有名な明治時代の博物学者で、日本近代考古学の創始者とも言われている。
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石組は今にも崩れそうで頼りない。

ドルメン古墳(大窪・山畑36号)。左:農免道路から、写真中央部上・右。中:石室側から。右:羨道側から、上部の石の左手は一点で支持されていて、下の支持している石にはヒビが入っている。

 農免道路を南に戻り、どんどん南へ行くと、左手の山に来迎寺があって古墳が開口している。坂を昇って本堂の反対側(南)の墓地に入ると突き当りが石組のトンネルになっている。これが大窪・山畑7号墳でトンネルは南に開く横穴式石室の羨道で「抜塚」と呼ばれている。八尾市教育委員会の解説板によると羨道長8m、高さ2.2m。羨道の北には玄室があって長さ5~6m、幅3m前後と推定され本来の石室長は13m~14m前後と推定されている。高安古墳群中でも最大級石室があったとされ、明日香村の石舞台古墳と同じ7世紀前半ころの築造とされている。
 
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来迎寺の古墳①左:農免道路から、中央部やや右に抜塚(大窪・山畑7号墳)。中:解説板でお勉強。右:解説板。

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来迎寺の古墳②説明板

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来迎寺の古墳③抜塚(大窪・山畑古墳7号墳)、玄室側から

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来迎寺の古墳④抜塚、羨門側から

 7号墳の北、本堂寄りには8号墳がある。石室全長6.8m、玄室長4.4m、幅1.7m、高さ2.2m。小さめの石材を使用しており、玄室が縦長の長方形をしていることから高安古墳群では造墓開始間もないころの6世紀中ごろの古墳とされている。来迎寺本堂の西は展望が開けていて、大阪のビル群が見通せる。

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来迎寺の古墳⑤大窪・山畑古墳8号墳左:墳丘。中:石室から。右:奥壁。

八尾市の古墳②の2/2へ続く。
by yumeoijyuku | 2012-01-21 23:30 | 古墳めぐり案内