古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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朝日カルチャーセンター・現地講座案内 その3-8 

古代のロマン・古墳をめぐる その3-8  2012.11.15
桜井市南部の後期の開口した古墳をめぐる

 今日は10月に続いて桜井市南部のいずれも小形の前・中期古墳から横穴式石室が開口した後期後半の古墳を巡る。
JR・近鉄桜井駅をJR側に降りて、正面のきれいに整備された広い通りを南へ、国道165号線を渡ってどんどん南へ行く。先月訪問した艸墓古墳の所を右(西)へ行くと坂の向こうすぐに文殊院の北入口になる。
 ここを入ってすぐの駐車場の東の方に石室が開口している「文殊院東古墳」で、ここの入り口は石の重みで左右の石が割れていて危険なため中には入れない。中に井戸があって「閼伽井(あかい)の水」が湧いているということで、寺務所で売られている。閼伽とは「仏前に供えるもの」と言う意味で特に水またはその容器のことを言う。安倍文殊院は華厳宗に属している、現在ではあまり聞きなれない宗派だが奈良東大寺が本山で、その別格本山となっている。
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文殊院東古墳。左:開口部。中:羨道より玄室を見る、手前に閼伽井の井戸。右:説明板。

駐車場の西手、本堂との間に文殊院西古墳が開口している。墳丘は円墳でかなり変形されている。石室の壁は綺麗に磨き上げられた花崗岩製で上部に行くに従って僅かにせり出していて石室の断面はゆるい台形になっている。天井石は1枚で、中央部を削って綺麗な曲線を出している。優美な石室を持つ後期の古墳として有名である。側壁には花崗岩の切石が綺麗に積み上げられているが2つ分の石に疑似の目地が線刻されている物が4か所ある。石室内には願かけ不動が祭られていて参拝者が絶えない。
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文殊院西古墳。左:開口部。中:玄室奥壁と右側壁。右:説明板。

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花壇には来年の干支の巳の絵馬が造られていた。

文殊院を西へ出て左(南)へ行くと右手に大化の改新前後に建立された安倍寺跡が「安倍寺史跡公園」となっている。金堂跡、塔跡が盛り土で示されている。中大兄皇子を助けて大化の改新の推進に力を尽くした阿倍倉梯麻呂が建立したと伝えられている。
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左:文殊院本堂。中:安倍寺跡の塔基壇。右:次に行った奈良農業大学校。(大学校とは、学校教育法による大学とは異なる教育訓練施設等が用いる名称で、「大学校」を規定する法令はない)。

 奈良農業大学校の中に池ノ内古墳群がある。8基のうち5基の古墳が観察できる。いずれも4世紀後半から5世紀始めの古墳時代前期から中期のもので1970年に調査されている。2号墳の粘土槨に割竹形木棺が、また3号墳には同様に箱形木棺が収められていたが他は木棺直葬の簡単な埋葬施設であった。5号墳からは長方形板皮綴短甲が出土した、皮綴短甲の一歩進んだ様式という。同じく5号墳から三角縁神獣鏡はじめ銅鏡が計5枚出土しており、磐余地域で中央政権に属した豪族の墳墓群と見られている。
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左:1,2号墳がつながって築かれている、左手に1号墳。中:説明板。右:3,4,5号墳がつながって築かれている、3号墳から2号墳を見る。

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農業大学校のすぐ北に神功皇后、履中天皇ゆかりの稚桜神社がある。左:鳥居。中:本殿。右:説明板。

2011年12月にここの西で万葉の「磐余池」の有力地で堤跡が検出されたと橿原市教育委員会が発表したところがある。6世紀ころのもので大阪府の狭山池より古いと言われてるて。
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左:昨年の発掘現場に立つ、後の田地が磐余池とされている。右:磐余池傍に橿原市が建てた歌碑、大津皇子が二上山に行くとき読んだとされる歌。

  ももつたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲かくりなむ
  (百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見哉 雲隠去牟)

ここから近鉄「大福駅」に行くまでの東に吉備池がある。ここにも大津皇子とその姉大来皇女の歌碑(がある。ここは桜井市が建てたもの。
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左:大津皇子の歌碑。右:大来皇女の歌碑、うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山を いろせとわが見む(宇都曽見乃 人尓有吾哉 従明日者 二上山乎 弟世登吾将見)。

 奈良国立(当時)文化財研究所(奈文研)飛鳥藤原宮跡発掘調査部は1997年2月に、この池の南東隅から飛鳥時代に天皇が造営したとされる「百済大寺(くだらのおおでら)」と推定される寺院金堂の基壇が見つかったと発表した。遺跡の名称としては「吉備池廃寺(きびいけはいじ)」と命名され、東西36m、南北27m以上の巨大な建物基壇で、出土した瓦が山田寺式軒丸瓦で640年頃造られたと推定された。飛鳥時代の寺としては群を抜く規模で日本書紀に記述のある舒明天皇(じょめいてんのう)11年(639年)に天皇が詔(みことのり)して造らせた大寺すなわち百済大寺であると奈文研では断定している。
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左:吉備池の南東部、金堂があったあたり、遠景中央は三輪山。中:説明板。右:右に金堂、左に塔があった。

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by yumeoijyuku | 2012-11-16 23:51 | 古墳めぐり案内

四国隠れ家 2012.10.31,11.01

10月31日と11月1日の日の出を撮った。

10月31日
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11月1日
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11月1日は昼前に出発して帰宅した。5日間の総移動距離は車で988km,JRで47km合計1,035kmでした。

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2012-11-06 21:11 | その他

四国・四万十川散策 2012.10.30  

四万十川散策2日目。今日は宿泊した「十和(とおわ)温泉」からの出発となる。

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部屋からの眺め。左:四万十川上流(東北東)方向。右:下流方向、十川大橋。

近くの農協給油所でガソリン満タンにして出発。
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左:十和(とおわ)温泉、右手は昨日乗ったJR予土線、後方向にJR「十川駅」さらに「窪川駅」がある。中:道の駅「とおわ」裏手の眺め、下流方向。右:ここから河原に降りられる。

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河原からの景色3題

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新谷橋(茅吹手(かやぶくて)沈下橋)。左:橋へはここを左へ下りる、上流(窪川)側から見たところ。中:同左進入口。右:進入口すぐの左手にある説明板。

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左:道の右は山が迫り、落石が多い。中:進入道路から望む。右:橋①。

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左:橋②国道側から。中:橋③国道側を見る。右:川の水は透き通っている。

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向山(むかいやま)橋(上岡沈下橋)、国道の上岡橋(下の写真)から。

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左:国道の上岡橋、沈下橋が見える。右:同左上岡橋、上流から。

以降、窪川を経て一路高知自動車道、高松自動車道を経て鳴門へ帰還。

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2012-11-05 23:07 | その他

四国・四万十川散策 2012.10.28

毎年この時期に鳴門の隠れ家を基地にして四国をフラついている。今回のメインは四万十川散策。
鳴門から徳島自動車道を通りマズ吉野川SAで休憩。
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SAから吉野川上流。左:右岸井川変電所方向。中:吉野川左岸。右:マンホール。

高知道を一路南へ、高知を過ぎて終点の須崎でおりて窪川駅に向かう。途中高知道延長区間の未開通区間を通る。窪川駅は土讃線から分岐して愛媛県宇和島へ向かう予土線の出発駅。この予土線は途中四万十川と並行、交差しながら西へ進む。窪川駅の駐車場は数台分あって利用申し込み書に記入すれば無料で駐車させてもらえた。
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窪川駅。左:駅正面。中:左は「特急あしずり」高知~窪川・中村を結ぶ。右は四万十川と別れる江川崎まで乗車するジーゼル車宇和島行き。右:同左車内、1両編成+トロッコ、乗客は7名。

途中土佐大正駅から江川崎駅まで後部のトロッコ車両が解放される。有料で指定座席券510円必要。
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左:トロッコ車両、吹き曝しなのでこの季節は寒い。中:途中の沈下橋。右:四万十川の流れ。

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左:四万十川の流れ。中:手前の橋の向に第2三島橋(沈下橋)。右:その西(右岸側)に第1三島橋(沈下橋)。この沈下橋の間の奥(上流側)に四万十川最大の三島中州があって水田が広がっている。

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左・中:四万十川の流れ。右:同左、棚田状の水田が広がる。

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左:山の景色も堪能できる。中:十川駅を過ぎるとすぐに今宵泊まる「十和温泉が見えた。右:四万十川の流れ。

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左:間もなく江川崎駅。中2枚:乗ってきたトロッコ車両、屋根のない(無蓋)貨車を改造している。右:江川崎駅。

この後折り返して窪川まで引き返し、車で先ほどの十和温泉宿に行った。もう十年ほど前に四万十川を訪れた時と同じ旅館であった。その時は親戚と一緒にきて後について行ったので旅館の名前を覚えていなかったが、パンフの写真でもしも・・と思っていたが偶然同じ旅館だった。

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2012-11-03 23:07 | その他