古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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以前の記事非公開について

4月からは「古墳めぐり案内」が3順目に入ります。2008年4月以降の2順目ものは順次「非公開」とします。
by yumeoijyuku | 2012-02-26 16:53 | 古墳めぐり案内

茅原大墓古墳現地説明会見学報告 2012,2,18 

纏向遺跡現地説明会と同じ時に茅原大墓古墳の現地説明会もあったので見学した。

 桜井市教育委員会の第5次調査・研究現地説明会資料を参考に報告する。

 茅原大墓古墳は4世紀末頃築造とされ、奈良盆地東南部で3世紀代から続く大型古墳の系列の最後に位置づけられている。それまでの200mを超える巨大前方後円墳は造られなくなっている。、奈良盆地北部や河内地域に移り、当時の政権内における勢力変動を反映しているとされている。

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墳丘は果樹栽培のため大きく改変されている。左:茅原大墓遠景、後方は三輪山。中:中景、説明中。右:説明図。

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出土土器1:墳丘西側2段目くびれ部埋葬施設として流用されていたもの。

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出土土器2:同上

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左:前方部北東角の葺石と渡土堤、手前が東、周濠は向こう(右=西)へ延びるが、右の説明図(上が南)茶色のように前方部北東隅に渡土堤があった・・周濠の段差による水位調整用。

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2段目東側くびれ部。右:その位置

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後円部墳頂より。左:三輪山。中:箸墓。右:後円部には周濠跡が残る、正面に耳成山、その左に畝傍山。

以前の発掘調査報告はこのブログの2011.2.26(盾持人埴輪)参照。

 桜井市は2011年11月に市長選挙があって、新人の松井氏が前市長谷奥氏を倍以上の票差で破り当選している。谷奥市長は「卑弥呼の里・桜井市」を売り物にしていたが、今後の桜井市はどうなるのか?

 当日は寒い日であったが途中の道の要所に道案内の方が立っていてくれた。現地説明の方共々、寒い中お疲れ様でした。

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2012-02-24 23:04 | 現地説明会、講演会

纏向遺跡現地説明会見学報告 2012,2,18 

2月18日に行われた巻向遺跡調査現地説明会の報告。以前の調査区画で発掘された3世紀前半の建物群の南に隣接する区画を調査している。

以下、桜井市教育委員会の「巻向遺跡第173次調査現地説明会資料」を参考に記述する。
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ラッピング列車で巻向駅へ。左:春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣乾したり 天の天香具山 持統天皇。右:現地受付

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出土土器1

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出土土器2

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ラッピング列車が通る。銀も金も 玉も何せむに 勝れる宝子に及かめやも

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南東部の土壙とそれによって壊されている溝、庄内3式期(3世紀中頃)~布留0式期(3世紀後半)の土器が出土しているのでその頃に埋没したとされる。向こうに巻向駅。左、中:北西より。右:北より。

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左、中:布留3式土器が出土した土壙SK1005。右:前回出土した建物跡の柱跡から南を見る。左がJR桜井線。

 北側で以前発掘された建物群から今回の調査地の間に遺構が特定できていないことから、建物周辺に一定の空間が確保されていたのではないかとも考えられるという。資料は。「今後は居館域の構造や個々の遺構の性格を明らかにして行きたい」としている。

以前の調査内容については、このブログの「2009.11.15」、「2010.9.19」参照
by yumeoijyuku | 2012-02-24 00:22 | 現地説明会、講演会

古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-45の2/2 

 
1/2から続く

広沢池の西側には池へ突き出るような形の小さな島があり、観音島と呼ばれ、橋が架けられている。島には石像の千手観音が祀られている。
平安時代の中期に遍照寺の建立にあわせ庭池として本堂の南に造営されたとも言われている。
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広沢池。左:千手観音石像、後は広沢池の北にある遍照寺山。中:広沢池の解説。右:遍照寺の解説。

広沢池の南には小円墳3基からなる広沢池古墳群がある。広沢池の南の府道を東に行き、広沢公園のところを右(南)に行き「世界救世教」のところを東へ入って行くと右手に墓地があるがここの左手に入ると遍照寺古墳(広沢3号墳)がある。径30mほどの円墳である。元に戻りそのまま西へ行くと遍照寺の北門のところに稲荷古墳(広沢1号墳)がある、墳頂は稲荷社になっている。横穴式石室を持つ径20mの円墳とされている。ここのすぐ北に堀川高校のグランドがある。ここの北東角に広沢2号墳がある。墳丘は無くなっているが巨石を使用した横穴式石室が露出している。この古墳のそばには小さい祠があって、石棺の一部で石像を刻んで祀られている。
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広沢池古墳群。左:遍照寺古墳(広沢3号墳)。中:稲荷古墳(広沢1号墳)。右:広沢2号墳。

稲荷古墳から少し東へ戻り道なりに南へ向かう。丸太町通りを横断して行った突き当りの先に甲塚古墳の森が見える。左手に有栖川沿いに回り込み「山下庭園」に入って見学させていただく。径38mの円墳であるが周囲は削り取られて造園屋さんらしく化粧石で囲まれている。両袖式の横穴式石室が開口している。全長14.4m、玄室長5.2m、幅2.6m、高さ3.2m、羨道は長く9.2m、幅1.5m、高さ1.7m。

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甲塚1。左:墳丘。中:石室入口。右:玄室奥にお稲荷さんが祭られている。

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甲塚2。左:玄門部。中:見上げ石。右:羨道部から羨門を見る。

京福電車「帷子ノ辻」駅の南方「松竹京都映画撮影所」の南東の住宅内に前方後円墳蛇塚の石室が露出している。墳丘は削平されて住宅になっている。古墳時代後期末の7世紀頃築造された京都府下最大の横穴式石室を誇る。早くから墳丘封土が失われ、後円部中央の横穴式石室だけが露出して残っていて、周囲の輪郭をたどると現在でも前方後円墳の形をとどめていて、本来は全長75メートルに復原できる。玄室は、石舞台古墳よりも大きく、また床面積では全国第4位の規模を誇っている。石室全長17.8m(石舞台古墳19.2m)、玄室長 6.8m(同7.7m)、幅3.9M(同3.5m)、高さ5.2m(同4.8m)、玄室床面積25.8㎡(同27.0㎡)。入り口は現在柵で囲ってある為内部には入れない。京都市の依頼を受けて近所の保存会の方が管理されている。

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蛇塚。左:奥壁部:。中:玄門部、石室から。右:同左見上げ石。

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蛇塚石室石組1、左が奥壁部、右手が羨門部。

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蛇塚石室石組2、左が羨道部、右が玄室。

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蛇塚説明板
by yumeoijyuku | 2012-02-16 22:26 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-45の1/2 

今日は京都市右京区嵯峨野の古墳をめぐる。
嵯峨野の古墳については「ブログ:京都市右京区の太秦(うずまさ)古墳群と嵯峨野古墳群とは!2009年07月29日 」に概略が掲載されているので少し長くなるが引用する。「平安時代以前に、古代の京都を開拓した先住民の人達がいたが、これが太秦の秦氏である。秦氏は朝鮮半島の新羅からの渡来民であること、農耕・土木・養蚕・機織りなどの技術を伝え、古代京都に新しい文化をもたらし、千年の都をつくる基礎づくりをした集団であることを、秦氏ゆかりの古墳や遺跡が伝えてくれる。秦氏の祖先の活躍は、応神天皇の時に、大陸から渡ってきた秦氏一族が天皇に協力し、大和朝廷の設立に初めから関わっていたらしい。京都盆地にも、5世紀代から朝鮮系渡来人による開発と定住が進み、この人々が「秦」姓となったのは6世紀以後からであり、歴史的な活動が顕著に認められるのは、第33代の女帝・推古天皇の頃・6世紀中頃から7世紀前半の頃からで、“秦河勝”が広隆寺を建立した8世紀には、この国家統一事業の完成期であったと云う。」

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左:観光案内図。中:JR嵯峨嵐山駅、トロッコ嵯峨駅でもある。右:狐塚古墳墳丘。

先ず駅から北へ、県道の南にある狐塚古墳(大覚寺古墳群4号墳)に向かう。民有地の竹林の中にある径約28mの円墳、両袖式の横穴式石室(玄室長3.8m、幅2.3m、高さ2m。羨道長1.5m、幅1.3m。)が開口している。
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狐塚古墳。左:開口部。中:玄室、玄門部から。右:羨道部、玄門部から。

府道から北へ有栖川沿いに北へすぐの北嵯峨高校の手前を左に入り、入道塚古墳(大覚寺古墳群2号墳)に行く。墳丘は30m×25mの方墳。石室は両袖式で全長12m、玄室長4.6m、幅2.5m、羨道長7.4m、幅1.6mあったとされている。陵墓参考地となっている。
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入道塚古墳。左:向こうの北嵯峨高校に接して古墳がある。。中・右:墳丘は封土がなくなっている。

高校の南の道を行き、すぐ右(北)へ行くと高校の北に丸山古墳(大覚寺古墳群1号墳)がある。校舎と住宅に囲まれているが周濠を持つ径50mの大形円墳である。京都でも有数の大形横穴式石室が完存しているというが、ここも陵墓参考地となっている。両袖式石室の規模は全長15.5m、玄室長5.5m、幅3.2m、高さ4.2m。羨道長10m、幅2m、高さ2.2m。石室には大型の家形石棺2基が破壊されて残っていたという。なお3号墳は現存しない。
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丸山古墳。左:墳丘(北東より)。右:開口部。

丸山古墳を北へ行き、左手(西)手(北)に回り込むと大覚寺の正門になるが、今回は対象外なのでパスする。しかし、東の大沢池沿いに北へ回り込むと、池の北の大覚寺領域内にある心経宝塔、石仏群、勿来の滝跡などの施設を見学できるので寄り道してゆこう。大覚寺は真言宗大覚寺派大本山の寺院。山号を嵯峨山と称する。開基は桓武天皇の子で第52代嵯峨天皇である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を今に伝える寺でもある。
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左:大覚寺正面。中:大沢池の北にある心教宝塔。右:石仏が集められて置かれている。

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左:勿来滝、百人一首にもある勿来の滝が復元されている。中:説明板。右:大沢池からの眺め。

大沢池の南の道を東へ行くと七ツ塚の田畑が開けている。ここには小規模の円墳、前方後円墳からなる七ツ塚古墳群がある。1号墳は消滅しているが他の6基が残っている。

 七つ塚の田畑の北の竹藪の奥には後宇多天皇蓮華峯寺陵(れんげぶじりょう)がある。第91代後宇多天皇は大覚寺統で、持明院統との間に皇統をめぐる確執が続いた。大覚寺統はさらに南朝につながり持明院統は北朝に繋がっていく。
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左:田畑の間に小古墳6基が点在する、向こうの山は遍照寺山、その南に広沢池がある。中:後宇多天皇蓮華峯寺陵。右:標識。


「古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-11の1/2 」へ続く
by yumeoijyuku | 2012-02-16 20:03 | 古墳めぐり案内

伊勢神宮初詣   2012.1.31

新年1月の最終日、31日に遅ればせながら伊勢神宮への初詣に行ってきた。遷宮の準備が続いているが、早いもので来年がその第62回神宮式年遷宮の年になる。

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外宮。左:表参道にある説明板。中:表参道正面。右:同左。

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左:御正殿拝殿前、御正殿の鳥居は笠木が二重になっている(内宮も同じ)。中:左の左手が新御敷地で新殿造営工事中。右:遷宮説明板

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内宮。左:表参道大鳥居(伊勢形神明造・・傘木の断面が五角形になっている)。中:宇治橋。右:説明板。

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左:御正殿拝殿前。中:御正殿左手の遷宮御敷地、新殿造営工事中。右:説明板。
今回は式年遷宮の賛助会員ということで神職に案内してもらって、お浄めを得たうえで外玉垣内で参拝させてもらった。・・・御正殿前は石段下から上は撮影禁止。

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左:正殿の石段下にある御贄調舎(=みにえちょうしゃ:あわびを調理する儀式を行う)。右:遷宮御敷地の階段下にある新御贄調舎敷地。

内宮の敷地内には二柱の別宮が鎮座する。これ等の社も遷宮用の御敷地がある。
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左:荒祭宮(あらまつりのみや)天照大御神の荒御魂を祀っている第一の別宮。中:風日祈宮(かざひのみのみや)は、外宮の風宮と同じ天候の順調や豊作を祈る風の神をまつり、元寇に神風を吹かせたのはこの風日祈宮といわれている。左手に新御敷地が見える。右:御料御馬空勇(そらいさむ)号、平成5年生。

帰りは近鉄特急で帰阪した。
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有形文化財になっている近鉄宇治山田駅。左:待合ロビーにあるポスター。中:外観。右:同左。
by yumeoijyuku | 2012-02-01 20:25 | その他