古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-41 

朝日カルチャーセンター 現地講座  H23.10.20
 
摂津の古墳④ 
尼崎市、伊丹市の古墳


今日は兵庫県尼崎市北部と伊丹市南端にある猪名野の古墳をめぐる。尼崎市の海岸近くは臨海工業地帯と阪神間の幹線道路を抱えるが、内陸部は住宅地が広がる。伊丹市は市の東部、尼崎市の北に大阪国際空港がある。両市とも兵庫県の市であるが大阪府にあると間違えられやすく、郵便物は大阪府と書かれていても届くという。

 以下主に橿原考古学研究所友史会の「友史会報」例会(2008.6.15)資料によって古墳を見てゆこう。
 猪名寺駅の東に「園田大塚古墳(別名天狗塚古墳)」がある。公園の中に墳丘があるが、本来の古墳は消滅していて、1/2の大きさに復原されたものである。1937年ころ土取りの途中で遺物が発見されため調査された後、消滅した。本来全長約45mの北北西に開く前方後円墳で、後円部径約24m、高さ3.6m、周囲に幅7m、深さ70㎝以上の濠を巡らしていた。調査で後円部中心から木棺を直葬した粘土槨が検出され、銅鏡、管玉、直刀3が出土した。また墳丘上では須恵器、円筒埴輪、朝顔型埴輪が出土している。墳丘と共に築造されたもので6世紀前半のものとされた。また、後円部中心からやや南寄りで木炭層を持った竪穴式土壙が見つかり、これには鞍、鐙、杏葉といった馬具、鉄鋸、鉄刀があって、7世紀初頭に追葬されたものとされた。
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園田大塚山古墳。左:説明板。右:公園の中に1/2大きさで復元されている。

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説明図。

 すぐ南に「南清水古墳」がある。西面する帆立貝形前方後円墳で、全長約46m、後円部径約40m、高さ約3m、前方部長約12m、高さ約1.5m、北側に幅約14mの周濠が円形に遺存していたが今は宅地になっている。墳丘がかなり崩れていて墳頂に「素盞鳴神社」社殿が建つ。発掘調査はされていないが、時期は6世紀中ごろと推定されている。
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南清水古墳。左:後円部に矢代が建つ。中:説明板。右:現状図。

 新幹線を北に超えて左(西)へ行き阪急伊丹線を超えると左手に、池に浮かぶ神社がある、「御願塚(ごがづか)古墳」である。西に開く帆立貝形前方後円墳で後円部頂に社殿がある。全長52m、後円部径39m、高さ7m、前方部長13m、前方部幅19m、高さ2m。墳丘の周囲には幅7m~11m、深さ1m程度の馬蹄形の周濠がある。その周囲に埴輪の樹立された外堤がある、その外側にも周濠があって、二重の周濠があったことが分かっている。周濠内から円筒埴輪、家形・蓋形埴輪が多数出土している。古墳時代中期後半のものと考えられている。次に行く柏木古墳の埴輪に比べて須恵器の埴輪が多いことから柏木古墳より後のものとされる。御願塚古墳と柏木古墳は伊丹市の古墳である。
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御願塚古墳。左:後円部に社が建つ。中:周濠。右:後円部南のくびれ部近くに造出しがある。

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説明板。

ここから南へ行くと「柏木古墳」がある。といっても墳丘の一部が墓地として残っていて古墳の面影はない。墳丘の調査はされていないため内部施設は不明。阪神・淡路大震災後の復興事業に伴って墳丘隣接地の調査・研究が行われた。幅約11mの円弧を描く周濠が確認されている。これによって円墳だったとすると、直径約55mに復原される。周濠からは円筒埴輪、朝顔形埴輪、家、盾、蓋などの象形埴輪が検出されている。遺物から古墳時代中期前半の築造と考えられている。
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柏木古墳、墓地になっている。

ここの南を東へ行きJR宝塚線を渡り並行する道路を南へ行く、阪急神戸線の手前を左にとり、左の塀の切れ目を入ると「御園古墳」がある。ここも墓地になっていて古墳とも思えないが、墓地の中に石棺がある。東面する前方後円墳と推定されていて、現状の規模は、東西全長約60m、後円部径約30m、高さ約3m。前方部は最大幅約30m、高さ2.5mとなる。1933年の墓地整理の時墳丘の西部で発見されたという泥質堆積岩製の組み合わせ式家形石棺が残されている。長さ2.15m、幅1.2m、高さ1.1m。
石棺や出土したと伝わる須恵器、や円筒埴輪、家形・盾型などの象形埴輪から古墳の築造は6世紀中ごろのものとされている。墓地は三菱電機工場の塀に囲まれている。
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御薗古墳。左:石棺の保護建屋。右:標識。

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組み合せ式家形石棺。

元の線路沿いの道を東へ行くと水路沿いに石碑が立っている。「岡院の石棺」である。
1963年に現在地に移設されるまで用水路に石橋としてかけられ、硯橋といわれていたもので、法量は、長さ191.7㎝、幅81.2㎝、最大厚さ約30㎝で、竜山石製とされている。内面一面に朱の痕跡がある。尼崎市の最古の石棺とされているが、どの古墳のものかはわかっていない。
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岡院の石棺。

「岡院の石棺」のところを東へ行くと、左手に素盞鳴神社がある。ちょうどここで氏子が山車の用意をしとぃたので見学させてもらった。かなりの年代ものであるが修復は費用が掛かるので難しいらしい。
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左:山車。中:装具。右:写真中の中段に彫られた武者。

 さらに東の県道を右(南)に、阪急神戸線を渡ってしばらく行くと、左手に井居太(いこた)神社がある。ここに井居太古墳があった。説明板によると、伊居太神社の社殿築造で原形が大きく失われているが、南面する前方後円墳で全長約92m、後円部径約53m、高さ約3m、前方部幅約46m、周濠幅約20mとあって、古墳時代中期のもので市内に依存する最大の古墳とされている。陪塚が2基あったとされている。出土遺物としては埴輪片、土師器片、須恵器片があり、他に鏡、鉄剣が出土したと伝えられているという。
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説明板。左:古墳の説明。中:図面。右:神社の由緒。

帰りのJR塚口駅への途中には「近松公園」があって近松門左衛門資料館などがある。
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左:近松門左衛門の銅像。中:案内図。右:マンホール。

今日巡った古墳の築造年代は古い順に5世紀前半に伊居太古墳、中頃に御薗古墳、5世紀後半に御願塚古墳、園田大塚山古墳が6世紀前半、中頃に南清水古墳が位置づけされている。

ブログへの投稿日時は記事の順に遡って設定しています。2011.12.31投稿
by yumeoijyuku | 2011-10-20 22:54 | 古墳めぐり案内