古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-35

大阪府古市古墳群②
朝日カルチャーセンター現地講座 2011.4.21

4月からタイトルをかえています。
「百舌鳥・古市古墳群」として堺市の百舌鳥古墳群と共に世界遺産への登録を進めている古市古墳群について、3月に続き北西部の古墳をめぐる。

近鉄南大阪線「藤井寺駅」から南へ商店街を抜けて、藤井寺市生涯学習センターに寄って行こう。ここの建物は出土した「修羅」をイメージした大胆な外観でよく目立つ。
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藤井寺市生涯学習センター、シュラホール(2011.3.10撮影)、左:外観、修羅をイメージ、右:世界遺産に向かっての展示。

資料室で勉強してから南へ向い、まず仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)に向かう。墳丘長242m、前方部幅182m、後円部径148m、前方部を南南西に開く前方後円墳。古市古墳群では3番目の墳丘長を持つ。墳丘は三段築成でくびれ部の東側に造出しがある。濠の幅は広いところで50mある。
内部施設は不明。墳丘と外堤から円筒埴輪や家・盾・衣蓋・人物形等の象形埴輪が出土している、年代は5世紀後半~末葉のものとされている。幅広いテラスや急角度の墳丘の造りから横穴式石室の可能性が有る。

第14代仲哀天皇は日本武尊の子で、神功皇后との間にできた子が応神天皇となっている。父の日本武尊、神功皇后共に伝説的な物語が多く、その関係者となるので実在性が疑われている天皇で、応神朝の前段階物語とも考えられる。時期的にも200年没とされる仲哀天皇と5世紀後半とされる古墳の年代は合わない。

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仲哀天皇陵古墳、左:拝所、中:西側後円部、前方部より。

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説明板。

仲哀陵の東50mに割塚古墳がある。現状一辺25m、高さ3m。北側に有った岡古墳と同じ一辺33m、高さ5mの方墳であったとされている。採集された円筒埴輪から5世紀初頭のものとされ、仲哀陵より100年近く早い。

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割塚古墳、左:墳丘、右:説明板。

仲哀陵の西に沿って北へ行き、藤井寺西小学校の手前を東に入ると、鉢塚古墳前方部の南にでる。墳丘長60m、前方部幅40m、後円部径38m、西に開く前方後円墳である。発掘調査はされていないが、葺石がなく、腰高に造られた墳丘や採集されている円筒埴輪から仲哀天皇陵と同時期の5世紀末のものと推定されている

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鉢塚古墳、左説明板でお勉強、中:墳丘後円部、右:説明板。

つぎは北へ向かい津堂城山古墳を目指す。墳丘長208m、前方部幅117m、高さ12.7m、後円部径128m、高さ16.9m。4世紀後半のもので、古市古墳群の最北端に位置し、最初に造られた大型前方後円墳である。室町時代に城に使われたので城山といわれてきた。この時墳丘が変形され現状に近い形になったとされた。
明治末年1912年に地元の人たちが後円部頂上から竪穴式石槨に覆われた巨大で精巧な長持形石棺を掘り出している。石棺の内外から鏡、武器・武具、各種装身具や石製品が出土した。
この古墳には二重の濠と堤を巡らしている。巨大古墳の新しい企画として初めて採用されたもので、複数の濠と堤は以後の大王墓に受け継がれてゆく。1983年の調査で前方部の濠の中に一辺17mの島状施設が有ることが分かり、3体の大きな水鳥形埴輪が据えられていた。この時の調査では他に衣蓋、盾、靫、家形石棺などの巨大な象形埴輪や円筒埴輪が出土している。
大阪府高槻市の今城古墳と同じように墳丘が壊されていたおかげで、陵墓比定から逃れた古墳の一つである。
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津堂城山古墳、左:東から後円部を見る、中:後円部、右:平面図と写真。

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藤井寺市資料館に展示されている白鳥の埴輪、左:白鳥、展示全景、右:説明。

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発掘された石棺の記録、左:石棺の当時の写真、右:図面

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左:竪穴式石室の天井石が神社の標識に使われている(2011.3.10撮影)、右:お花畑。

雄略天皇陵は羽曳野市の「綾南の森総合センター」のすぐ北東にある。ここの丸山池の中にある島泉丸山古墳とその近くにある島泉平塚古墳を合わせて雄略天皇陵とされている。丸山古墳は径約75m、高さ約8mの円墳。平塚古墳は一辺約50m、高さ約8mの方墳。明治18年(1885年)に接続のための整備工事が行われて前方後円墳状に整備されたという。明治23年の記録では丸山に有った拝所を平塚に移したとある。浜田耕作は次に訪れる「大塚山古墳は阿保親王の墓では無いかといわれているが、丸山古墳が妥当である。」としている。『日本書紀』によると第21代雄略天皇は、稲荷山鉄剣銘文にある「獲加多支鹵大王」とされ有名になった。兄の安康天皇が皇后の連れ子の眉輪王に殺されると、兄弟他の皇子4人と眉輪王を次々に殺して皇位に着いた、また傍若無人の振る舞いが多く家来をよく殺すので大悪天皇とされている。
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雄略天皇陵古墳、左:丸山古墳、中:右が丸山古墳、左は平塚古墳との接続部の林、右:平塚古墳の拝所へ。

近くに羽曳野市の「綾南の森総合センター」が有って羽曳野市の資料館が有るので寄ってから、河内大塚古墳に向かう。
河内大塚山古墳へは総合センターの前を通る府道大和高田線を西に向かう。20分ほどあるくと車道は近鉄線を跨線橋で渡るが、手前で別れて左へ入り近鉄の踏切を渡って行くと大塚古墳の前方部に出る。河内大塚古墳は墳丘長335m、前方部幅230m、後円部径185mでほぼ北に開く前方後円墳である。古市古墳群と百舌鳥古墳群の中間に有って、悠然とした墳丘の主軸長はわが国第5位を誇る。横穴式石室があった可能性も残っており、築造が6世紀半ばを遡らないとされている。この古墳は雄略天皇(479年没)陵ではないかとも言われているが時期的に合わない。これほどの大古墳が陵墓参考地の指定だけで終わっているのは珍しい。
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河内大塚山古墳、左:前方部西角、中:前方部西から後円部を見る、右:前方部を東へ・・、帰りの近鉄「恵我之荘駅」へ向かう。

現地講座「古代のロマン・古墳をめぐる」受講希望の方はインターネットで、朝日カルチャーセンター梅田教室→講座を探す→ステップ2で「講座のジャンルから探す」→現地→歴史探訪、と進んで「古代のロマン・古墳をめぐる」を参照してください。

<写真はクリックすると拡大します。>
by yumeoijyuku | 2011-04-21 23:01 | 古墳めぐり案内

橿原考古学研究所友史会例会参加報告 2011.4.17

今回は南山城の遺跡をめぐる。朱雀にとっての目玉はあの三角縁神獣鏡を大量に出した椿井大塚山古墳である。この古墳は1895年(明治28)に当時の国鉄が古墳を分断して線路を建設し、1953年(昭和28)線路の拡幅工事の際に竪穴式石室が偶然発見され、当時最多の三角縁神獣鏡32面が出土している。当時京都大学講師の小林行雄が三角縁神獣鏡の役割を分析した話は有名。

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JR奈良線「玉水駅」に10時に集合して、出発。左:玉水駅前、中:出発、右:案内は橿考研の平松先生。参加人員は208人。
コースは「玉水駅」を南下して、すぐ東にとり、井出寺跡、石橋瓦窯跡に向かう。
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左:井手寺跡、:礎石、左説明板。
井堤寺は左大臣橘諸兄が創建したとされている。そこから井出の玉川を南にわたり岡田池窯跡に向かう。

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奈良市の大安寺に使われた瓦を焼いた石橋窯跡とされている。大安寺では寺の近くの
「杉山古墳」にも窯跡が有る。さらに南下して蟹満寺を過ぎて、さらに南へ、「棚倉駅」前の湧出宮へ向かう。

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下水マンホール、左:綴喜群井手町、右:旧山城町(現・木津川市)

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「棚倉駅」駅前にある湧出宮。左:駅前の参道鳥居、中:拝殿の直前に鳥居が有る、右:境内(拝殿横)。

「棚倉駅」からは、ほぼJR線沿いに南下する。平尾城山古墳は線路の東、椿井大塚山古墳に至ってはまさに線路の上にある。

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左:北河原稲荷山古墳への昇り口、中左:稲荷山古墳のある稲荷神社、中右:左の昇り口のすぐ右にある横穴、右:横穴内部。
 稲荷山古墳の東には西に開く前方後円墳・平尾城山古墳がある。2基ともかなりの山の上にある。

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椿井大塚山古墳1、左:前方部先端、中:前方部西から後円部へ、右:後円部JR奈良線の向こうになる。
椿井大塚山古墳は全長約175m、後円部径約110m、前方部長約80m、同幅幅76mの前方後円墳。

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椿井大塚山古墳2、左:古墳の真ん中を電車が走る、中:線路向こうが奈良県側、左が後円部、右:後円部墳頂のJR境界石。

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椿井大塚山古墳3、後円部、左:後円部東、後背が山で説明板の平面図では周濠は無かったようである、中:後円部、南から、右説明板。

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後円部墳頂から西の眺め。中央の家屋が前方部の上に建つ。その先中央やや左が生駒山。

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左:椿井天井山古墳、延命寺の裏に当たる、中:同左・南から、右:椿井御霊山古墳・北から。
天井山古墳は南北軸の前方後円墳と推定されているが詳細は不明。
御霊山古墳は北西に開く全長約120mの前方後円墳とみられているが実態は不明。

例会はこの後、高井手瓦窯跡、高麗寺跡と回る予定であるが、上狛駅でエスケープして帰路に就いた。
by yumeoijyuku | 2011-04-18 21:46 | 古墳

桜   2011.4.16.

朝の散歩で出会う桜が満開になって、今日には落花盛んとなった。

阪急「上牧駅」東方の住宅街を流れる水路沿いに桜並木が有る。
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水路沿いの眺め、左:つぼみ、中:ちらほら、右:満開

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定点その1、左:ちらほら、右:満開

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定点その2、枯葉が頑張っている。左:つぼみ、中:ちらほら、右:満開

水無瀬川堤防の桜並木。
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定点その3、左:3分咲き、右:満開

近くのテニスコートの角にある桜、老木もこの時期は華やかになる。
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左:ちらほら、中:満開、右:満開、左手に老木、ここの右手に積水化学の研究所が有る。

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左:落花盛ん、老木も若い芽を伸ばしている、右:側溝の花びら。

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花1。

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花2。

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花3。

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2011-04-16 22:08 | 散歩

化学薬品工場の火事

今日4月13日、田原本の「唐古・鍵考古学ミュージアム」から出たところで、北の方を見ると黒煙が高く上がっていた。かなり大きな火事のようなので、24号線をかえる途中でシャッターを切った。近ずくと道路標識に火事で渋滞と出ていたので、それ以上近づかないで迂回して帰宅した。夜11時前のテレビ・ニュースで「化学工場で爆発・火災と放送していた。
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14時56分:唐古・鍵遺跡ミュージアムより北を見る

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24号線を北へ向かう、左:15時01分、中:15時02分、右:15時11分

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15時19分:川西町結崎のJA川西支店より北東を見る
by yumeoijyuku | 2011-04-13 23:19 | その他

アオサギの食事

朝の散歩でよく通る池に「アオサギ」がいた。何か口にくわえているので何か分からないが写真を撮った。後で画面を見ると「カエル」だった。珍しいのでUPした。
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何度も水で洗って、飲み込んだ。クリックして拡大すると、右の写真にカエルの足が見える。

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満足そうに羽根を伸ばした後、悠々とあたりを眺めていた。
by yumeoijyuku | 2011-04-02 19:10 | 散歩

今城塚古墳、いましろ大王の杜 古代歴史館 開館

今城塚古墳整備完成 2011.4.1

高槻市の今城塚古墳の整備が完成して、併設された「今城塚古代歴史館 いましろ大王の杜」が完成して
2011.4.1開館した。26日から事前開館していたので行ってきた。歴史館の内容も見ごたえがあったが、何といっても大王級の古墳がその全貌を現し、しかも保存すべきところは保存されていて考古に興味のある者を満足させる。
 今回は説明を省略して、写真を楽しんでいただきたい。

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今城塚古代歴史館・いましろ大王の杜 

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円筒埴輪

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2001.9.23円筒埴輪発掘

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家形埴輪

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家形石棺、手前:竜山石製石棺、奥:阿蘇ピンク石製石棺

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2009.1.21石棺の加工作業、阿蘇ピンク石

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2009.1.21竜山石製石棺

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2009.1.21二上山白石製石棺


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古墳前方部西北の入口

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埴輪1、内堤では埴輪の列が迎えてくれる。
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埴輪2、北側から、クリックして全体をご覧ください

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左:前方部南西角、右:同左北西角

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前方部南西角、内堤より

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後円部墳頂、石室北側が地震によって一段下まで崩落している
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2007.3.4崩落個所現説、左:現説ヶ所の右手が墳頂

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左:後円部南東の内堤から前方部を見る、中:同左墳丘後円部、右:内濠ではもうピクニックを楽しんでいる。

朝日カルチャーセンター 梅田教室 野外講座「古代のロマン・古墳をめぐる」では5月に今城塚古墳ほか高槻市、茨木市の古墳をめぐります。講座の申し込みは、電話:06-6348-1450 までお問い合わせください。
または、このブログに「非公開コメント」にチェックをいれて連絡電話番号をコメントしてください、こちらから連絡します。
by yumeoijyuku | 2011-04-01 16:48 | 古墳