古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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長岡京跡調査現地説明会報告  2010.12.19

19日には京都府向日市の長岡宮跡発掘調査の現地説明会に行った。これまで奈良県下の遺跡の発掘には何回も足を運んだが京都、大阪にはあまり行っていない。「奈良の古墳めぐり」案内を今後大阪、京都、兵庫にも拡大しょうと計画している。そのためにネタを仕入れて置く必要があって出向いた。気が付くと長岡宮跡は我が家から直線で約7.2kM,、平城宮で17.6kM、浪速宮は26.5kMと古代の宮の内で一番近いところにあるがあまり関心がなかった。

長岡宮の大極殿、朝堂院は今までの調査によって確定されていて、跡地は徐々に買収されて遺跡公園の様相ができてきている。

以下「長岡宮跡第481次調査 現地説明会資料」H22.12.19,向日市埋蔵文化財センター、によって概略を紹介する。
大極殿とそれを挟んで東に延暦12(789)年から内裏となった「第二次内裏」が有ったことが確認されている。しかし、長岡遷都の延暦3(784)年から使われていた「第一次内裏」がどこに有ったのかが確定していない。
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長岡宮の大極殿と第二次内裏の位置関係。第一次内裏は大極殿の西にあったと記録されている。


向陽小学校内に回廊で囲まれた施設があると推定されていた。今回の調査は校舎建設に先立って、確認のために行ったものである。
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現地は向日神社参道途中の南、向陽小学校の中になる。

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現説風景、右手に小学校の校舎がある。

今回の調査では雨落溝と掘立柱跡が検出され回廊の北西角とされた。北西角から南へ伸びる「西面回廊」と東へ延びる「北面回廊」は、以前の調査とあわせると方形に囲む回廊が復元される。その時の調査では西面回廊の門が検出されており、この間の長さを2倍すると南北回廊の間隔は145.2mとなって第二次内裏の159.1mに匹敵する規模であることが分かった。

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出土遺構配置図、上が北。

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北雨落ち東端から西へ左、中、右。

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回廊の北西角(南西より北東を見る):手前左ー西面雨落ち溝の石、手前黄色テープは西面回廊柱列の西端列、左青テープー北面回廊北端、右手奥ー(梯子寄り)東面雨落ち溝、その左ー南面雨落ち溝(この東面、南面は回廊の西北端のインコーナーに当たる)。雨落ち溝の底面から柱の底までは人の背丈ほどあって異常に深く掘って埋めてあった。

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同上(北より南を見る、この左手方向に大極殿が有る):手前ー北面回廊(青テープ3本)、右手ー西面回廊(黄色テープ3本)、左奥(梯子が置かれている角)―西・北回廊のインコーナーに当たる。

この回廊は3本の柱列(テープで表示)で構成される「複廊」で、後期難波の宮から移築されたとされる大極殿、朝堂院と同じように移築された内裏相当施設であった可能性が高い。
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複廊の参考図

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出土した瓦片:いずれも難波宮で使われていたもの。

説明会資料では「今回発見した複廊によって画される施設は、第一次内裏に関係する区画である可能性が高いと思われる。しかし、現段階ではその性格を確定する十分な情報は有りません」と結んでいる。

近くの阪急京都線「西向日」駅に行くまでに長岡宮大極殿跡があるので寄った。
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右の写真の石碑に「天皇皇后両陛下 行幸啓記念碑 平成二十二年三月二十七日 向日市」とある。
by yumeoijyuku | 2010-12-20 22:10 | 現地説明会、講演会

大和の古墳をめぐる・・その2-31

大和郡山市の古墳

 今日は大和郡山市の古墳をめぐった。大和郡山市は人口約9万人、県下4位。しかし人口密度では生駒市に次いで県下9位となっている。
 近鉄郡山駅を西へ2つ目の狭い道を南に抜ける。突き当たりこれも細い県道を右(西)へ行き芦ヶ池を過ぎると陵墓参考地「新木山古墳」に着く。説明板によると前方部が南南西に向く大型の前方後円墳で全長122.5m。県道添いでよく目立つ大和郡山市および富雄川流域で最大の古墳であるが例によって墳丘内は立入り禁止となっている。
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左:前方部、南から。右:説明板

 ここから西に向かって行き、富雄川を渡って割塚古墳に向かう。1968年に宅地開発に先立って調査されている。径49m、高さ4.5m。石室は下半分の石積しか残っていなかったが、南に羨道部を持つ片袖式の石室と分かっている、玄室長6.6m、幅3m、羨道長7m、幅1.5mで大きなものである。墳丘はかなり掘り返されていて、大きなくぼみがあったため「割塚」といわれていたらしい、玄室には凝灰岩製刳抜式の家形石棺が無傷で残っていた。遺物から5世紀末から6世紀前半のものと考えられている。墳丘は住宅地の中に復元整備されている。
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左:墳丘(復元)、右:説明板

 六道山古墳へは富雄川沿いに南下し慈光院の蓮池のところを西へ行くと左手にこんもりした墳丘が見える。円墳のようになってしまっているが全長100m、北面する前方後円墳であったものが道路によって前方部が破壊されている。空堀があったという。古墳時代前期のものと考えられている。

 ここから県道を西へ行った北に前方後円墳小泉大塚古墳がある。この古墳も宅地開発によって前方部を破壊ざれて後円部がコンクリートで固められてひっそりと残っているが墳丘には上れない。元の全長80m、現存後円部径50m。埴輪、葺石は確認できていない。後円部に竪穴式石室がある、石室長5.8m、幅約1m、高さ約1.2m。粘土床で扁平な石を床面から約65cmは垂直に、上部へ行くほど内側へ持ち送り式に積み上げていた。石室内に有った土師器や銅鏡の型式からみて古墳時代前期前半のものとされている。
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左:後円部墳丘、右:説明板

 さらに西へ行き国立病院機構「松籟荘病院」内に笹尾古墳がある。径27mの円墳であるが、国立療養所建設に際して墳丘が埋められてしまい、1981年(S56年)病院増築に際して発見された経緯がある。玄室長4.5m、幅1.6m、高2.5m、羨道長8m、石室長は12.5mあってこの地域では最大の石室を持つ。玄室中央の石棺は壊されていて現地には無い。
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左:説明板でお勉強。右:説明板

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右側壁と奥壁

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左:墳丘上を点検。右:開口部と墳丘。

 帰りはJR大和小泉駅になる。2㎞弱の道のりとなる。

途中小泉神社によった。
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左:鳥居。中:社殿。右:由緒書

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2010-12-16 23:23 | 古墳めぐり案内

越塚御門古墳現地説明会報告  2010.12.12

 12月10日以来新聞・テレビで報道されている明日香村「越塚御門古墳」の現地説明会に行った。9月11日にあった牽牛子塚古墳の範囲確定のため調査したところ、南東部に石槨を発見しこれが『日本書紀』に記録されている内容と一致することから大騒ぎになった。9月の時点では牽牛子塚古墳が八角墳であることが確定し斉明天皇の墓であることが有力となっていた(ブログ2010.9.11参照)。今回は『日本書紀』の記述で「大田皇女」が埋葬された状況に酷似しているため斉明天皇と同時に埋葬された間人皇女が牽牛子塚古墳に眠る説も補強された。
 以下明日香村教育委員会の資料「越塚御門古墳」から要約する。
古墳が明日香村大字越小字塚御門に所在することから「越塚御門(こしつかごもん)古墳」と命名された。したがって越塚・御門では無く越・塚御門古墳ということになる。
橿原市と高取町の境界で明日香村にも近い「貝吹山」周辺で採れる石英閃緑岩を使用した刳貫式横口式石槨の上部が大破された形で発掘された。奥壁付近が残存しており天井部はドーム状をしていた。同じ明日香村にある鬼ノ俎・雪隠と同様の形とされた。墳丘は版築で築かれているが地表面には痕跡が残っておらず形・規模は不明。石槨内から漆膜片が出土しており、漆塗木棺が埋葬されていたと考えられている。築造年代については7世紀後半ごろとされた。
 以上が明日香村の資料であるが報道では上記のように被葬者が確定されたと騒がれている。
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左:見学者の列、新聞では11日に約3,100人と発表されている。昨日は途中で列が途切れることがあったが、今日は日曜日なのでさらに多いといわれている、今日の行列は1時間30分待ち。右上の丸印が牽牛子塚古墳。右:牽牛子塚古墳の遠望

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左、中央:越塚御門古墳発掘箇所。右:展望、老人ホーム「あすかの里」から高松塚のある歴史公園方向

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左:石槨、左手に天井部の残部。右:左の石槨から墓道が続く。墓道と石槨は南北に配置されている。

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石槨と墳丘の版築。奥壁から壁に沿ってコの字状に細い排水溝が有る。

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越の集落にある指標
by yumeoijyuku | 2010-12-12 23:37 | 現地説明会、講演会