古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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丸亀城 その2     2010.10.29

いよいよ丸亀駅から丸亀城へ
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駅ホームからの展望
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商店街を南へ城に向かう、シャッターが閉まった店がかなりあって平日の昼間とはいえチョッピリ寂しい。
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天守閣
丸亀市設置の説明板より
・応仁年間(1467~8)奈良氏が築城。
・昭和18年(1943)天守閣を国宝に指定。
・昭和25年(1950)文化財保護法により重要文化財に指定替え。
・昭和28年(1953)城址を史跡に指定。

 奈良氏は室町幕府管領をつとめた細川京兆家の被官で、武蔵国大里郡奈良を根拠とする関東御家人であったと伝えられている。 奈良氏は貞治元年(1362)細川氏によって讃岐に配されている。奈良氏は戦国時代後期まで続いたといわれている。
 江戸時代の御三階櫓が現存天守閣として扱われている。

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天守閣屋根裏
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瀬戸内海方面
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東南東に讃岐富士の飯野山
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帰りの高松駅、四国のJRはここが始発駅。高松駅に入った列車は全てここで進行方向を変える。ホームに列車が勢ぞろい。
by yumeoijyuku | 2010-10-31 15:00

丸亀城その1 2010.10.29

10月29日はよい天気なので丸亀城へ行った。四国で初めてJRで旅することになる。

鳴門駅、高松駅~徳島駅間の高徳線池谷(いけのたに)駅から分岐している鳴門線の終着駅、両線との単線。ここからディーゼル車で先ず池谷駅に行き、ここで岡山行き特急「うずしお6号」に乗り換える、これもディーゼル。高松駅の先の宇多津駅で多度津駅ゆき普通車に乗り替える。次の駅が丸亀駅である。

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線路図
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鳴門駅

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乗換の池谷駅,うずしお6号岡山行きが来た
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乗換の宇多津駅うずしお6号、このあと松山駅から来た特急と連結して岡山駅へ向かう。

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高松から来た特急と岡山方面から来た特急が連結して松山駅へ向かう。
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楽しそうなイラストが画かれている。
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宇多津駅前

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丸亀駅

つづく
by yumeoijyuku | 2010-10-30 22:49 | その他

四国で一服  2010.10.28-29

10月28日から四国へ行ってきた。

初日は雨模様、明石大橋の鉄塔はさすがに高い、てっぺんは雲の中
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淡路インター近くの「淡路夢舞台」に寄った、ここは2000年の「花博」会場跡地にある公園で今日は雨模様のため植物園の見学となった。
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右手のフレーム仕立ての三角と長方形が組み合わさったような建物が温室「奇跡の星の植物館」。上方向に高速道路、下方向に海がある。

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温室の一部

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色々な花たち・・・花の知識が無いので思いつくまま写真に撮った。
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毎年この時期に1週間使える「隠れ家」からの約90度の眺望、徳島県立ウチノウミ公園(右)とウチノウミ
by yumeoijyuku | 2010-10-30 21:26 | その他

奈良大学講堂で講演会   2010.11.28

ACCU奈良 文化遺産セミナー2010
モンゴルの考古学 
      最新の遺跡調査報告

2010年11月28日(日)13:00~16:00

会場:奈良大学・講堂
    定員:500人(申込不要・先着順・参加費無料)

千田嘉博氏 奈良大学教授
     <草原の城郭都市を掘る>

山口欧志氏 奈良大学講師
     <3Dで観るモンゴルの文化財>

清水奈都紀氏 奈良大学講師
     <カラコルムの遺跡と人>

R・ムクトルガ氏 モンゴル科学アカデミー考古学研究所古代人類学研究室長)
     <モンゴルにおける最新発掘成果 -都市と墓の調査ー>

主催:ユネスコ・アジア文化センター文化遺産保護協力事務所・奈良大学
後援:奈良県・奈良市
                               文責:朱雀
by yumeoijyuku | 2010-10-24 20:34 | 現地説明会、講演会

大和の古墳をめぐる・・その2-29

馬見丘陵と周辺の古墳④  2010.10.21

河合町の古墳 
 今日は馬見丘陵の北端に位置する河合町と大和郡山市南部の古墳を巡る。暑い長い夏がやっと過ぎて、秋のシーズン到来で楽しみにしていたが時々小雨がパラつく天候でスッキリしない一日となった。

 近鉄田原本線池部駅を東へ、県道5号大和高田斑鳩線に出て左(北)へ向かう。すぐ右手に馬見丘陵北端の大型古墳川合大塚山古墳が見える、大塚山古墳群の盟主である。ほぼ南面する前方後円墳で墳丘全長215mを測る。墳丘は三段で周濠跡が水田となって残っていて、馬蹄形の周濠跡がよく分かる。墳丘には直径10~20cmの葺石や埴輪片が散在し、小型の盾形埴輪片が採集さている。後円部の頂上が窪んでおり、割石が散乱していて盗掘があったと思われている。埋葬主体は未調査。5世紀後半の築造とされる。
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川合大塚山古墳、東より後円部を見る

 大塚山古墳と道路を挟んだ西に九僧塚がある。現状一辺30mであるが、本来一辺約35mと推定され2段築造の方墳で、大塚山古墳の外周溝に接して配置されており倍塚とみられている。
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大塚山古墳の反対側(東)にも九僧塚と同様の高まりがある。

 県道を北へ行き、変形交差点を左(西)へ行く。すぐ右手に中良(なから)塚古墳(高山塚1号墳)が有る。全長88mの前方後円墳、前方部を北東に向けている。周濠があり、埴輪も使用されていたようで、円筒埴輪、盾型、家型埴輪などの破片が有った。西隣にある高山塚2号墳は調査の結果、元は直径35mの円墳とされた。周濠部からは人物埴輪や動物埴輪の一部が出土している,保育所の中にある3号墳は直径30m程度の円墳とされ、周濠部から滑石製勾玉が出土している。4号墳は家の間に合って塀越しでしか観察できない、少なくとも直径20mを越える円墳であったとされている。

 先ほどの変形交差点に戻り、そのまま東へ進む。まず左手に丸山古墳がある。直径48mの大型円墳で、明治期の調書には周濠が描かれている。

 次に左手に城山古墳が見える。周囲は耕作されていて墳丘に登れる。ほぼ南面する前方後円墳で墳丘全長109m。周濠は水田となって残っている。葺石、埴輪が有ったことが認められている。5世紀末か6世紀初頭の築造と考えられていて、大塚山古墳群では最後に築かれたとみられている。
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まだ蟻がせっせと働いていた
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城山古墳前方部

 さらに東へ行くと広瀬神社がある大和川を守る水の神、水田を守る神さんで毎年2月11日に行われる「砂かけ祭り」が有名。
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額田部の古墳

 広瀬神社の前を南に行き曽我川、飛鳥川を渡り、「太子橋」で大和川を渡り堤防の道を東へ1.7km先の大和中央道まで歩く。ここからは大和郡山市の額田部と呼ばれる地域で中期から後期の古墳が点在する。第33代推古天皇は額田部皇女と呼ばれていたが当地との関係は無さそうである。また万葉歌人の額田王は、『日本書紀』では天武天皇がはじめ額田姫王を召して皇女が生まれたとある。出自は明らかでないがここの額田部郷や島根県東部ともいわれている。

 大和中央道を北へ行って左(西)の市営公園墓地の中に額田部西古墳群(来迎墓ノ間古墳群)がある。前方後円墳1、円墳7、方墳1からなる古墳群であるが前方後円墳は消滅しており、他の古墳も頂部が削られて墓地になっている。出土遺物他旧態は全く知られていない。
大和中央道を北に向かう。南行き車線が北行き車線に比べて異常に高いところがある。ここの道路の下には額田部狐塚古墳が眠る。額田部丘陵の西側末端部にある前方後円墳で前方部は削平されているが周濠を持つことが分かっている。前方部を南に向けた全長約50m。後円部に墳丘主軸に直交して組合式木棺が2基検出されている。
狐塚古墳の北の交差点を西に入る。すぐ左手に上部を裁断された堀ノ内古墳がある。径約20mの円墳。墳丘から円筒埴輪片が採集されている。時期的には後期の初めに位置づけされる。

 狐塚古墳に戻って南の信号を東に集落の中を行くと右手に森が有る、推古神社の裏境内に当たる。この中に推古神社古墳がある。前方部を西に開く全長約41mの小さい前方後円墳であるが旧態をとどめていない。埴輪片が若干採集されているだけで葺石は無かった。古墳時代後期の初め頃に位置づけされる。
推古神社から東・北へ一方通行の県道を行って左手の「ホイストサービス」の作業所を過ぎたあたりの細い道を右に入るとすぐ目の前に松山古墳がある。径約52m、円墳で二段築成。中期初頭とみられる円筒埴輪列と葺石が検出されている。墳頂部には大きな盗掘孔があって、保存状態はあまり良くない。築造時期からみて粘土槨と推定される。額田部地区で最も古い時期の古墳である。
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松山古墳へ

 県道に戻りすぐ先(北)にある額田部北町自治会館の前を左(西)へ入って行き、融通寺の裏手に船墓古墳がある。寺の裏道などによって前方後円墳の大部分は破壊されているが、後円部、前方部の一部が残っている。後期中ごろと推定される。
先ほど自治会館の前から来て左へ曲がったところをまっすぐに東へ行くと、県道を斜め横断してから細い道があって、近鉄「平端駅」への近道を行ける。

 今回は雨のため写真がうまく撮れなかったのでご辛抱願います。
by yumeoijyuku | 2010-10-24 14:14 | 古墳めぐり案内

宝塚市長尾山古墳発掘調査現地説明会 2010.10.16


2010.10.16兵庫県宝塚市の長尾山古墳発掘調査現地説明会があった。古墳めぐり案内範囲の拡大を計画しているので、阪神間にも足を伸ばした。

<以下現地説明資料による>この古墳は大阪大学考古学研究室が2007年から調査をしている。今回の調査では2008年からは宝塚市と共同で調査を行っている。今回の調査で、
①4世紀初頭にさかのぼる最古段階の巨大な粘土槨を検出した。長さ6.7m、幅2.7m、高さ1m以上。
②国内でも10指に入る大きさと言う。残存状態は極めて良好で希有の事例としている。担当の福永信伸教授は今後このような状態のよい(盗掘無し、陥没が見られるが粘土で全体が覆われている。)粘土槨は出てこないだろうと興奮気味に説明されていた。
③墳丘北側のクビレ部が検出され、以前検出されている南側と合わせて古墳の規模が、墳丘長約40m、後円部径25m、前方部長15m、2段築成の前方後円墳と確定した。
④粘土槨は立派なもので、小規模な古墳にいち早く最新の埋葬施設を取り入れており、被葬者は大和政権との間に密接な政治関係を結んだ猪名川流域の有力豪族と考えられた。
現地は阪急「宝塚線「山本駅」から山手に向かって直線で540m、道なりで約1km、車道以外に階段
約240段ほど上った住宅地の公園に隣接している。墳丘からは大阪市内、千里山方面が一望できる丘陵の最先端にある。

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山本駅南の歩道橋から、右手の山の先端付近に古墳がある。

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墳丘平面図


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北側クビレ部、埴輪は中段の平坦面の中央部に、間隔を置いて立っていた。

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粘土槨その下の礫敷きと墳頂部、表土はあまり残っていなかった

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大阪市方面の見晴らし(霞がかかっている)

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出土品
by yumeoijyuku | 2010-10-23 23:44 | 現地説明会、講演会