古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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桜井市纏向遺跡現地説明会  2010.9.19

纏向遺跡第168次調査

桜井市教育委員会が継続的に発掘調査をしている「纏向遺跡」の現地説明会に行ってきた。昨年11月に説明会があった場所のすぐ南側で、3世紀中頃まででは国内最大の規模を持つ建物遺跡を含む纏向遺跡の範囲確認調査である。

配布された「説明資料」によると。
①遺構の時期は、柵が3世紀前半、その廃絶は3世紀中頃かそれ以前。

②昨年発掘された建物D(このブログの2009.11.15参照)の南側で建物の南端の柱列とその外側に以前の調査で検出した柱列(柵)の延長部分が検出された。柵で囲まれた範囲は居館域の内郭にあたるものと考えられる。柵はさらに東(JR線路の方向)へ延びているものと予想できる。

③調査区域内に大型土坑があって祭祀に使われたと思われる道具、土器の他2000点以上の桃核が出土した。一部の道具を除いて遺物が壊された状態で出土している。時期的には3世紀中頃で建物群の廃絶時期と接近しており、建物群の解体時に執り行われた「マツリ」の痕跡かも知れない。

④他に、古墳時代後期の包含層から銅鐸の破片(3.6×3.2cm、13.14g)が出土している。比較的大型の突線鈕銅鐸の破片とみられる。

⑤我が国における国家の形成過程を探る上で極めて重要な意義をもつ遺跡で、さらに調査を進めたいとしている。

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受付

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JR巻向駅すぐ北の「辻踏切」ここと駅との間のすぐ西が調査区

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調査区全景、巻向駅ホームより、線路側は東、青いシートは前回調査区

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柱列左手奥の黄色い柱跡は大型建物の南端柱列、中央部の白い柱列は西から続く柵跡、西から

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大型建物南端の柱列、東から

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柵の柱列,東から


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大型土坑、南から

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発掘担当の橋本主任

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左:出土した銅鐸片、右:出土場所、6世紀頃の地層から出土。

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桃の種、一部のものには果肉がついた(未熟)ものがあった

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出土した土器類

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巻向駅、南に箸墓
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旅万葉号
by yumeoijyuku | 2010-09-20 15:55 | 現地説明会、講演会

大和の古墳をめぐる・・その2-28

馬見丘陵とその周辺の古墳③

馬見丘陵北部の古墳

前日来の雨で心配したが朝小雨程度が残ったが、古墳めぐりには支障なかった。
近鉄橿原線「石見駅」を東に出て南に向かう。ほどなく稲荷神社の森が見える、笹鉾山古墳(1号墳)で2重の壕を持つ前方後円墳であるが改変がひどく後円部に社が建つ。すぐ北西に2号墳があったが削平されている。馬子と飾り馬のセット2組の埴輪他が出土した。馬子の一体は顔に入れ墨を表現する線が彫られていた。このほか、蓋形埴輪・円筒埴輪・朝顔形埴輪・笠形木製品などが出土している。6世紀前半の古墳とされている。
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笹鉾山1号墳、石見駅南3番目の踏切から南東方向

 道を西へ行き交叉する道路を右(北)に行くと直ぐ左に小さな坊主山古墳がある。直系10mほどの小さい古墳であるが裾部は削り取られている可能性が大きい。宅地化によって南、西側が埋め立てされてきている。飛鳥の都塚古墳同様「元旦に金鶏が鳴く」という金鶏伝説がある。個々の交差点の南には小円墳笹鉾山5号墳がある。
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坊主山古墳(笹鉾山4号墳)、後ろは「京奈和道」未完成なので無料開放している。

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笹鉾山5号墳、交差点の南すぐの東にある。

先ほどの道をさらに西へ行き、近鉄田原本線を越えて少し行って北へ入ったところに黒田大塚古墳(御塚山とも言われている)がある。前方部を西に向ける前方後円墳で全長約63m。墳丘は二段築造で、発掘調査で幅8mの周濠があることが分かっている。この付近の古墳の中では珍しく原形をとどめている。この後円部の周濠跡から須恵器、土師器、円筒埴輪、かさ形木製品、鳥形木製品の破片が出土した。これらは墳丘に立てられていたもので、風化が激しく、相当の期間風雨に曝されていたと推定された。内部構造、副葬品等は不明。6世紀初頭頃の築造と推定されている。
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黒田大塚古墳
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説明板

ここの近鉄黒田駅すぐ西から北へ式下中学校の東を通る道は、聖徳太子が斑鳩から飛鳥へ通ったとされる「太子道(南北に通らず斜行していたので筋違道とも言われる)」の跡が断続的に残る。
ここから南の道を西へ行くと飛鳥川の手前に天王塚古墳がある。直径16m、高さ4mの円墳であるが南半分は削られている。詳細不明。
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前方後円墳アンノ山古墳へは先ほどの広い道を北へ行き、三宅町役場と小学校の間を抜けたところを左(西)へ入るとその左手に盛り上がりがある。墳丘は削平されて古墳と気づきにくいが案内板が有るので目印になる。水田の畦の形から全長が推定されていて約40.5m、後円部の径約20m、前方部幅22.5mの規模で、前方部の西南隅も削りとられていてくびれ部も明瞭でなく、わずかに墳丘の痕跡をとどめる。
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アンノ山古墳

そのまま道を先に行って、左(西)に入る道を行った先に瓢箪山古墳がある。墳丘には草が生い茂っていて墳丘に入られない。古墳は前方部を南西にむけた全長35mの前方後円墳で、内部主体については不明で、遺物類も残っていない。地形から周濠を伴うとされる。
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瓢箪山古墳

ここから北すぐの道路を右(東)に行くと右手に高山古墳がある。道路に沿って前方部を東に向けた全長65.5mの前方後円墳。道路拡張工事により墳丘北辺が削り取られ、そのおり円筒埴輪の破片が出土したといわれ、円筒埴輪列をめぐらしていたと推定されている。墳丘も削平されている。
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高山古墳、西北より

ここから北へとると「茄子塚古墳」である。水田に囲まれた、やや高い畑地が茄子塚と呼ばれているが現状では古墳と分からないくらい改変されている、円墳であったのか前方後円墳であったのかも良く分かっていない。出土した須恵器高杯、台付長頸壺等の土器より築造年代は5世紀の終わりから6世紀初頭とされている。一帯の遺跡には説明板が設置されていて見学には便利になっていた。
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茄子塚古墳

茄子塚古墳から北へとって安養院の墓地に入る、左手に少し盛り上がったところに安養院が建っているが、削平された宝院古墳の名残で後円部が墓になっている。復元長約50m。

ここを西に行くと「寺の前古墳」に着く。安養院墓地の西に当たるところに位置した小型の前方後円墳で前方部を東南に向けている。全長33m、後円部径21m、前方部幅16.8mと言うが前方部は大きく崩れている。水田跡から約16m幅の周濠があったと推定されていて、古墳の全長は65mとなる。明治の初めに盗掘を受けていてそのときの報告によると、凝灰岩の組合せ式石棺を囲んで石室があった。棺の周囲に甲冑、須恵器などの副葬が知られ、墳丘には家形埴輪があって円筒埴輪をめぐらしていたという。後期の比較的早い時期のものと考えられている。

ここの北には島の山古墳がある。川西町の案内によると奈良盆地でもきわめて低い平坦地に築かれた県下20番目の大型前方後円墳となっている。墳丘は全長195m、後円部径110m、高さ15m、前方部幅100m、高さ10m。墳丘は三段築成で南南東に前方部を開く。北を流れる大和川からは1kmほどの距離で、当時大和川を遡って大和に入る人々には威容を誇ったものと思われる。水を貯えた幅広い周濠を持ちこれを含めると全長約250mとなる。埋葬施設は後円部に大きな盗掘坑があって竪穴式石室があると考えられている。隣接する比売久波(ひめくわ)神社には「島の山古墳後円部頂上の竪穴式石室に使用された天井石」と伝えられる竜山石の平石が、本殿と拝殿の間に置かれている。
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最近では平成8年(1996年)5月に橿考研が前方部にある埋葬施設の発掘調査結果を現地説明会で報告している。表土下約30cmにあったこの墓坑からはおびただしい数の腕飾類他が出土した。墓坑内には勾玉、臼玉などの滑石製玉類が出土した。この玉類が有ったところには安置された遺体の胸、手首があったと判定され、首飾りや腕輪とされた。また遺体は東枕でその枕元には直径14~13cmの国産鏡3面が見つかっている、調査では車輸石、鍬形石、石釧の3種類、約140点が約5mの間に分布して出土した。後円部被葬者の近親の女性を葬った可能性が大きい。古墳は4世紀末頃に築造されたとしている。墳丘は以前民間で耕作され前方部の西寄りに墳丘への通路があったが、腐朽していて今は入れない。
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島の山古墳、左:説明板、中:説明板でお勉強、右:墳丘、東北部よりくびれ部から前方部を見る



近鉄「結崎駅」すぐ西にある佐々木塚古墳は削平されていて墳形は良く分からないが駅の隣が公園になっている。途中寺川を渡る手前で太子道(筋違道)を横断する。
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佐々木塚古墳

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「結崎駅」すぐ南の踏切。近鉄橿原線では蒸気機関車が走っているらしい。

今日めぐった古墳群は島の山古墳を除くと小型の前方後円墳が集中している。この地域は三宅町の名からも分かるように屯倉が有った所で、一番古い島の山古墳とその他の古墳葬者の関係は、開拓者とその管理者のものでないかとの説もある。そして、中央集権化の中で古墳群の造営も消えていったという。


  里山は古墳の宝庫、気楽なハイキングで古代へトリップ。仲間と一緒に古墳を巡り、石室に入って古代を実感、発掘情報も交えて易しく解説します。

「朝日カルチャーセンター」では10月からの受講者を募集中です。インターネットで「朝日カルチャーセンター」から梅田教室で講座名「大和の古墳を巡る」を検索してください。入会金割引についてはこのブログにコメントで問い合わせしてください。
by yumeoijyuku | 2010-09-18 22:22 | 古墳めぐり案内

明日香村牽牛子塚古墳見学報告  2010.09.11

 今日11日は明日香村教育委員会の牽牛子塚古墳の現地見学会に行った。明日香村が以前から調査していたもので周囲に八角形の石敷が発掘されて天皇陵の可能性が高いということで9月9日の在阪各新聞の朝刊トップ記事として掲載された。

 明日香村教育委員会の資料によると、
①舌状に伸びた丘陵上に築かれた対辺約22mの八角形墳である。
②墳丘裾部には二上山の凝灰岩切石やバラスを敷きつめ、墳丘部も凝灰岩で表面を装飾していた。
③埋葬用の石槨を構成する凝灰岩の周囲には石英安山岩の切石を積み上げていた。その間には漆喰が充填されていた。
④築造年代は石槨構造などから7世紀後半と考えられる。

以上牽牛子塚古墳を解明する上で多くのデータが得られて、今後飛鳥地域の終末期古墳を考える上で重要な資料となるとしている。

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朝10時から開始と聞いていたので30分前に行ったが、現地では見学者が多いので9時から始めたとのことであった。

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斜面にはタラップが用意され、人数を区切って上り、見学した。

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墳丘:版築で築かれた対辺約22m、高さ4.5mの八角墳と言うが円墳としか見えない。

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説明版

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飛鳥村が一望できる、手前は老人ホーム「あすかの里」

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南に面する石槨入口、今日は開口部まで下りられなかった。左:開口部、右:石槨の周囲には石英安山岩で囲まれている。

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石槨入口、左右に部屋があって各々に棺台が設えられている。2006.3.11撮影。

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左:墳丘北西部背面、右:石槨を覆う石英安山岩の切石、奥に見えるのは石槨の外側。切石と石槨の間には漆喰が厚く詰められていた。牡蠣の貝殻を使ったものと思われ、和歌山方面から大量に持ち込まれてものと思われている。

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左:バラスと凝灰岩石敷き、右:石敷き、奥へ延びている部分が八角形の北西辺にあたる。手前は西辺。

当日配布の解説書は部数が限られているとのことで、必要な人は郵便で「明日香村役場」へ送料140円切手を同封して請求してほしいとのことであった。

今日の見学には古墳めぐりのメンバーの方も数人来られていた。こちらの勉強が追いつなくなりそうに思われてきた。

なお、前回「大和の古墳をめぐる」で訪問した模様はこのブログの2009.10.15を参照されたい。
by yumeoijyuku | 2010-09-13 01:01 | 現地説明会、講演会