古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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我学び舎廃校

1999年3月三重県の山奥にあった小学校が廃校になっている。朱雀が小学校の頃の学び舎であった。7月に写真に木造校舎を撮っていたものを思い出してブログにアップした。
当時は分教場であったが約260人いた児童が廃校時には40人を切っていた。その後は統合先の小学校へ村営バスで通学していた。今は合併で町になっている。
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校舎

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拡声器

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教室、黒板の日付は3月25日。

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廊下
by yumeoijyuku | 2010-06-21 16:51 | その他

友史会6月例会 参加報告

橿考研友史会6月例会「倭屯倉の古墳群」参加報告
6月20(日)梅雨の合間の曇り一時小雨の中、約170人が参加して開催された。

まず、この日に合わせて河合町の公民館にある文化財展示室を早くから見学させていただいた。
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近鉄田原本線「池部駅」を10時に出発。順路にある、聖徳太子が建立した四六ケ寺の一つ「長林寺」に寄ってから「高山二号墳」に向かう、径約35mの円墳で周濠が巡っていたことが確認されている。その南の幼稚園の西の田圃に「高山三号墳」がある、径約30mで幅約5mの周濠が確認され、ここから五世紀中頃後半の須恵器が出土している。
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左、中:高山2号墳、右:高山3号墳

ここから東へすぐの北側に「中良塚古墳(高山一号)墳」がある全長約88mで北に開く二段築成の前方後円墳。西側に幅約14mの周濠の痕跡がある。中期後半。
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中良古墳。前方部東側

中良塚古墳から東へすぐの西穴闇(にしなぐら)交差点を南へとると左手向うに「川合大塚山古墳」がある。前方部を南に向けた全長197mあって幅約40mの周濠跡が確認できる。竪穴式石室があったと考えられているが詳細不明。中期後半。県道の東には九僧塚古墳があって副葬品埋葬用の古墳と考えられている。主墳の東側にも同じような高まりがある。
大塚山古墳群として以上の外に大塚山古墳の北に丸山古墳、北東に前方後円墳城山古墳があるが実態はよくわかっていない。
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川合大塚山古墳、左:エッ流水さん?・・・ではなかった。右:外堤部から東の後円部へ入る

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河合町文化財展示室資料、左:川合大塚山出土埴輪、中:同中良塚古墳、右:円筒埴輪、川合大塚山(左)、中良塚(中)、城山古墳(右)

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河合町展示室の航空写真:中央が川合大塚山古墳、上の右手が中良塚、小さい丸の左が高山3号墳、その右が2号墳、右の大きい丸が城山古墳、その左が丸山古墳。右上は大和川。右上が北方向で大和川を渡って斑鳩町に至る。

近くの広瀬神社で昼食の後、三宅古墳群に向かった。広瀬神社から南に向かいそして東へ曽我川、飛鳥川を渡って東へ向かうと「島の山古墳」に着く、川西町・三宅町一帯はかつて垂仁・景行天皇期に大和政権の直轄地として置かれた「倭屯倉」の想定地とされている。三宅古墳群は倭屯倉と非常に関わりの深い古墳群と考えられている。身分の高い者しか造ることができなかった前方後円墳が、規模が最大で最北端にある「島の山古墳(川西町)」以外は規模が小さいが密集していることもその理由の一つに挙げられている。
島の山古墳は全長200mの南東に開く三段築成の前方後円墳で水を湛えた周濠が巡る。後円部にあった竪穴式石室の竜山石製天井石が持ち出されて古墳の西に接する「比売久波神社の拝殿前の踏み石として置かれている。前方部の粘土槨から緑色凝灰岩製の車輪石、鍬形石、石釧や勾玉などが大量に出土して話題になった。前期末の古墳で古墳群中最古。
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島の山古墳、左:南東隅より、中:周濠と後円部、左:比売久波神社の拝殿前の踏み石

この後南へ向い寺の前古墳、高山古墳、瓢箪山古墳、アンノ山古墳、大王塚古墳とめぐり、最後は黒田大塚山古墳で解散となった。
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寺の前古墳

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今日案内していただいた安原貴之先生。右の友史会世話役持参のFMアンテナで、説明はFMラジオで聞ける。

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大王塚古墳

黒田大塚山古墳は全長約55mで、西に開く前方後円墳。幅8mの周濠が巡っていたといい、公園として整備されその区域が明示されている。周濠から円筒埴輪他の埴輪や鳥形・蓋形木製品が出土している。後期初頭。
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黒田大塚古墳、右は墳頂から北方を見る、電車は近鉄田原本線

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今日の終着点、近鉄「黒田駅」

解説は「友史会報」を参考にしました。

(写真はクリックすると拡大します)
by yumeoijyuku | 2010-06-21 14:10 | 現地説明会、講演会

大和の古墳をめぐる・・その2-25

五條市の古墳 2010.6.17

塚山古墳から五條猫塚古墳へ
 五條市は奈良県で最南端の都市、南は和歌山県橋本市、そして吉野川も紀ノ川と名前を変える。古代の飛鳥、奈良からは、5月に訪れた市尾から巨勢路を経て重阪(へいさか)峠を越えて和歌山に通ずる交通の要衝で、国道24号では御所市の「風の森峠」を越えて五條市に入る。古墳も多数築かれていた。
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JR北宇智駅に集合、五条駅の一つ北の駅。関西に唯一残っていたスイッチバックが3年前の訪問の直後に改修された。右写真の奥右手に旧線とホームが見える。乗ってきた2両連結のワンマン電車は紀ノ川沿いを約一時間半かけて「和歌山市」に到着する。

 JR北宇智駅から西へとり新しく部分開通した京奈和道沿いに北に向かう。五條北ICを越えたあたりを左(西)に入ると間もなく前方右手に小高い塚山古墳が目に付く。西から伸びる丘陵に南北をはさまれた水田の中にある。この付近では他に古墳は無い。一辺24m、高さ5mの方墳。石棺は緑泥片岩の板石を組み合わせたもので、棺内には壮年男性の人骨がほぼ完全に残っていたと言う。棺内南に長方形の板石の枕を置いて横たわっていた。内面は蓋石まで赤色顔料が塗られていた。石棺の北側には副室が有って、甲冑一個分、ヤリガンナ、斧、ノミ、鎌などの農工具、他に22個の土錘、鉄製釣針3本が出土した。甲冑は一式がほぼ完全に残っていて貴重な資料となった。5世紀中頃の築造と推定されている。緑泥片岩は緑色片岩とも言われる緑色の結晶片岩で吉野川沿いに産出し入手し易いところから、付近の古墳の石棺に良く使われている。明日香村のカヅマヤマ古墳に使われていたものも同類。
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塚山古墳

 京奈和道を北宇智駅から来た道まで戻って、ここを右(西)に行き「つじの山古墳」に行く。墳丘の辺をほぼ東西、南北におく二段築成、一辺約52mの方墳で高さ8.8mを測る。周濠の痕跡が幅10~15mの水田として残っている。墳丘には葺石、埴輪があり、周濠両岸の葺石は人頭大の自然石でていねいに葺かれていた。特異なものとしてコウヤマキの鉾形をした異形木製品が周濠底部から出土している、長さ131センチ、幅26~33cm。2007年1月に高取町墓山古墳発掘報告であった石見形木製品と同系統のものではなかろうか。築造年代は五世紀後半と考えられている。
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つじの山古墳

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つじの山古墳付近から南東方向―京奈和道の高架の向こうにテクノパーク・なら工業団地が見える。五條市のウエブサイトによると、奈良県が国の指定を受けて開発したもので、H8年に区画整理事業が完了した。機械金属8社、木材関連7社他計32区画に企業が進出していて操業中である。
 つじの山古墳を南にとり、京奈和道をくぐってから右へ京奈和道沿いに行くと程なく左手に水田に囲まれた五條猫塚古墳がある。1957年に開墾によって石室外から多量の遺物が出土し翌年調査されている。一辺27m、高さ5m強の方墳で水田の形状から周濠があったとされている。円筒埴輪列が墳丘裾近くと墳丘平坦部、竪穴式石室の周囲と三重にめぐり、墳頂部には家、キヌガサなどの象形埴輪、石室外の副葬品の上にも4本の円筒埴輪が目印のように立てられていた。墳丘斜面には葺石が整然と貼りつめられていた。竪穴式石室は緑泥片岩を小口積したもので、長さ5.2m、幅73~89cm、高さ93cm以上の規模を持つ。盗掘を受けていたが石室内外にはかなりの副葬品が残っていた。冑、短甲、刀子、大小鉄鏃多数、斧、ノミ、ヤリガンナ、帯金具他多種の遺物があった。中でも3領の冑のうち蒙古鉢形兜1領は「四方白鉄地(しほうしろてつじ)金銅装鋲留(こんどうそうびょうどめ)蒙古鉢形(もうこばちがた)眉庇付冑(まびさしつきかぶと)」と呼ばれた、現物は東京博物館にある。蒙古鉢形冑は、古墳時代の日本では類例が非常に少なく、その形式は中国大陸や韓半島の遺物に共通している。古墳の時期は副葬品から五世紀中頃築造と考えられている。
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猫塚古墳

近内古墳群の盟主鑵子塚古墳から次代を開いた今井1号墳へ
次はいよいよ近内古墳群の盟主的存在の「近内鑵子塚古墳」に向かう。径85m、高さ12.5m県下最大級の規模を持つ大円墳で、墳丘は二段築成で全面に20~30cmの川原石の葺石があった。円筒埴輪片が墳丘裾部と一段目の平坦部に残っており埴輪が巡っていたようである。一段目の平坦部には墓が一周している。埴輪の型式から五世紀前半代の築造と推定されている。
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説明板でお勉強

 来た道をそのまま東へ山の中の道を進むと左が開け人家が散見される、ここを左へ降りて行くと、池の右手に見える林が「丸山古墳」である。尾根の先端に築かれた二段の円墳で、一段目は径37m、高さ2m、その上に径26m、高さ4.5mの二段目が乗る。墳頂は激しい盗掘跡があって埋葬施設や遺物は何も伝わっていない。葺石は二段目斜面や一段目全面に遺存する。築造は五世紀後半とされている。
 丸山古墳の東150mに西山古墳がある。間にJR線が走っているので回り道をすることになる。広い道路を東へ行き国道24号を左(北)へ行き、左の五條生コンの駐車場に入るとその奥に西山古墳がある。墳丘の辺が方位と一致する二段築成で一辺54m、高さ6.5mの方墳で周濠は北と西で幅8m、南と東で幅11m。つじの山と同じ設計基準で作られている。墳丘には葺石と円筒埴輪が見られた。つじの山古墳よりやや古い五世紀中頃から後半と見られている。
 近内古墳群は五世紀前半にまず丘陵最高所に円墳としては県下最大級の鑵子塚が築造される。五世紀前半から中頃にかけて中規模の方墳、猫塚と塚山古墳が現れる。続いて五世紀中頃から後半には丘陵東端に西山、丸山古墳やつじの山古墳が築造される。五世紀末から六世紀初めには古墳は群から離れて奈良カントリークラブ内にある青墓古墳に移る。この頃から古墳は五條市全域に拡散してゆく。その先兵として近内の集団に介入したのが次に訪れる今井古墳の主とされている。
 国道24号を南に1kmほど行くと左にパチンコ店がある「上今井」のバス停を過ぎたあたりで右(北西)への道に入る。JR線を越えてすぐ左手に「今井1号墳」がある。全長約31m、後円部径約19m、高さ3.5m、前方部の幅19.5m、高さ2.5mの南西に向く可愛らしい前方後円墳である。葺石と円筒埴輪列が有った。埋葬施設は後円部にあって緑泥片岩を小口積にした竪穴式石室2基で共に墳丘主軸と平行し当初から2基を意図したらしく2基の石室の中間を墳丘主軸が通る。東の石室は内法で長さ2.9m、幅0.8mで床には割竹形木棺が置かれ中央から鉄刀2本、東端から鏡1面が出土した。瑪瑙製勾玉等玉類500点以上が出土した。西側の石室も同じような大きさでいくぶん新しかったが盗掘のため破壊されていた。前方部には副葬品庫と思われる土坑があった。短甲他兵士一人分の武具が出土した。簡易な竪穴式石室の構造や遺物から五世紀中頃から後半のものとされた。東北に円墳があって今井2号墳とされている。実態はよく分からないが「延命寺の址」の碑がある。現在、延命寺は先ほどの上今井バス停付近にある。
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今日の解散地点JR[五条駅」官公庁は「五條」を使っているが、JRは「五条駅」。解散予定の3時30分の電車を外すと一時間待ちとなる。
by yumeoijyuku | 2010-06-18 21:56 | 古墳めぐり案内