古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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掌の皮膚病?について教えてください

 お年寄りから相談があって、手に負えないので皆さんのお知恵をかりたいと思います。ヒントでもでもよいのでコメントください。

 80歳を超えた男性です。歩行は困難ですが日常生活には支障なく生活している方です。症状は「手のひらに粘液が分泌して粘ったりする、拭いても拭いきれない、手を洗った後など目立つ。痒み等はなく、生活に支障ないが気持ち悪い」、医者に行っても「よくわからない、気のせいではないのか」ということで要領を得ない。

 ネットで皮膚病を調べても該当するような症状が見つからない。長期にわたるらしいが、電話での相談なので目で見ていないので詳細はわかりかねるが、このような症状の改善について教えていただければ幸いです。 朱雀
by yumeoijyuku | 2010-02-27 14:37 | その他

橿考研友史会例会参加報告 10.02.21

2月221日は橿考研「友史会」例会で平群町の古墳を案内してもらった。

10時近鉄生駒線「平群駅」集合、橿考研附属博物館の千賀先生の案内で出発。
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まず三里古墳で千賀先生の解説、上部中央でマイクを持っている。奥に設えている棚は紀州でよくある棚とは目的が違うので紀氏との関係は疑問視されている。紀州のものはもっと上部にあって、結晶片岩製の脆い構造を補強する役割がある。

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左:長屋王墓左と右:吉備内親王墓

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ツボリ山古墳、左:墳丘と右:石室・・・石室には刳抜式家型石棺が残っていた。奥に石棺の胴部が破壊された底と、これも破壊された蓋が奥に落ち込んでいる。手前にも胴部の底だけが残っていた。

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ツボリ山からの展望。平群の各古墳は見晴らしの良い好位置を占めている。

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西宮古墳のある平群中央公園へ。竜田川沿い歩く、遠景は矢田丘陵、この東は斑鳩町。

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左:西宮古墳での説明。右:墳丘に残る貼り石

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剣上古墳墳頂、向うは生駒山

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井文字川沿にある旧石床(いわとこ)神社、現在の社はここの北に移っている。高さ約6m、
幅約10数m。古墳に使われる花崗岩はこのような岩を切り出して使われる場合が多いという。

柿塚古墳、烏土塚古墳では石室に入った、柿塚古墳は石室の開口部が狭く出るときが難儀で苦労していた、朱雀は何回も入っているので柿塚、烏土塚共に入室は控えた。
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烏土塚古墳前方部、向うの公園の左手に西宮古墳が見える

この後、メンバーは竜田川の東、矢田丘陵麓にある椿井宮山塚古墳、宮裏山古墳を回るが、パスした。
 
今回の主眼は平群谷の古墳はまず5世紀中葉から後半にかけて剣上塚古墳が築かれる、新興勢力による平群谷の開発が、このころから開始された。

これに続く①椿井宮山塚古墳→勢野茶臼山古墳(三郷町にある)→柿塚古墳。②烏土塚古墳→宮裏山古墳→西宮古墳。③ツボリ山→大谷古墳(三里古墳北方約500m)の3つの系列があってそれぞれ平群谷の族長が勢力を拡大する画期を示しているということであった。

特に烏土塚古墳は立地の良い地点に前方後円墳を造ることができ、石室も桜井市越塚古墳、狐塚古墳と同類のもので地域的な広がりを持っており、6世紀後半の時期に平群氏が勢力を持ってきた証であるという。
by yumeoijyuku | 2010-02-22 16:59 | 現地説明会、講演会

大和の古墳めぐり・・その2-21

朝日カルチャーセンター 現地学習 10.02.18
葛城山麓の古墳①

葛城山麓は古代豪族で襲津彦を祖とする葛城氏の根拠地で、仁徳天皇妃磐之姫が有名。
先ず葛城市歴史博物館で勉強していこう。忍海(おしみ)駅北西すぐにある市の施設で、今日訪れる屋敷山古墳出土の石棺蓋他、古墳からの出土品も多く展示されている。出土した屋敷山古墳の石棺は古墳近くの新庄中学校にあった石棺部材と組み合わせられるもので、溝を掘り込んだりした手の込。
博物館内、左は屋敷山古墳の石棺蓋
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 ここから北へ近鉄線路沿いに行くと北花内大塚古墳(飯豊天皇陵)に至る。天皇として在位した天皇ではないが2代に亘る天皇の姉で、短期間であるが朝政を見たことから天皇と称された。『日本書紀』では飯豊皇女の弟にあたる顕宗・仁賢天皇は父の皇子(履中天皇の子)が雄略天皇に殺された時、難を逃れて播磨国明石郡縮見屯倉(しじみのみやけ)に身を隠していた。時の清寧天皇には子がいなくて後継者を探していた時、名乗り出て皇統を認められた。兄弟が譲り合って皇位に就かないので、姉の飯豊皇女が朝政を見ることになり、忍海飯豊青尊と称したため天皇と呼ばれるようになった。全長約90m、後円部径約50m、前方部幅約70mの前方後円墳で古墳の周辺部から得られた円筒埴輪、象形埴輪、笠形木製品から5世紀末から6世紀前半の築造と思われていて、葛城氏系の皇女に時代、『日本書紀』にいう場所に矛盾しないという。
 屋敷山古墳へは北花内大塚古墳の北を西へ行くと広い県道山麓線にでる。ここが屋敷山公園で古墳はじめ葛城市の一大文化施設群があって市民の憩いの場となっている。全長約135m、前方部、後円部の高さがほぼ同じの前方後円墳で前方部を北に向けている。中世から近世初頭にかけて、豪族が居館や、陣屋として改変された。そのため埋葬施設は破壊されていたが発掘調査によって、長さ2.4mの長持形石棺の蓋石が出土した。今日訪問した市の資料館に展示されていたものである。竪穴式石室の天井石も一枚残っていたものが現地に展示してある。縄掛け突起が付いたもので、御所市室大墓古墳や奈良市の野神古墳と同じものであまり例が無い。
 屋敷山古墳の北の道を西へ行く。県道を過ぎて右手に水路が並行するところから少し先で右手に入って二塚古墳に行く。
二塚古墳へ、前方は葛城の山々
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全長約60mで前方部を北に向けた前方後円墳である。標高200m付近の尾根上に有って、前方部、後円部共に高さは10mある。
二塚古墳全景、左が後円部
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この古墳には三基の石室があって後円部のものが開口している。全長16.4m、玄室長6.7m、幅3m、高さ4.1mを測る。凝灰岩の破片が有って石棺が有ったらしい。

前方部と西側作り出しにも石室がある。前方部のものは南西方向に向いていて全長9m、玄室長3.9m、幅1.7m、高さ1.9m。玄室中央には凝灰岩の組合式石棺の底石があった。西側造り出しのものは全長7.8m、玄室長4.5m、幅1.4m、高さ1.3mで埋葬施設があったかどうかは分かっていない。この古墳の作り出し部の石室から出土した多量の須恵器は後期古墳の編年上の基準資料となっている。6世紀中頃の古墳とされている。この古墳は民有地で後円部の石室には錠がかかっていて鍵がないと中に入れない。横穴式石室を持つ後期前方後円墳はあまり無い。
後円部石室開口部
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石室奥壁
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石室より羨道部を見る
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前方部石室奥壁
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石室より羨道部を見る
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次は東へ、今度は少し北へ振って戻る。

神明神社古墳へ、中央に畝傍山、左の塀際に耳成山
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浄願寺の所を東へ、県道を渡って更にやや北へとると左手の住宅の裏に奈良県社会教育センターの森が見える。この住宅の裏の森に神明神社古墳がある。墳丘はかなり削平されているが径約20mの円墳で墳丘の中央に開口する花崗岩の切石を使用した南面する横穴式石室が有名。玄室と羨道の区別がほとんど無い無袖式に近い、側壁に立てに幅10cmの溝が刻まれていてここに木製の扉がはめ込まれて玄室と羨道を区切ったようである。羨門付近の側壁にも溝があってここにも扉があったと考えられている。石室内部から扉に付けられていた取手の銀張りの環金具が出土している。棺、副葬品は不明。切石造りで、唐尺による単純化されたプランの石室形式から、飛鳥駅すぐ北にある岩屋山古墳を基準にした岩屋山式石室系でも最も新しいもので、築造は7世紀中頃かそれ以降が推定されている。
神明神社古墳の前でパチリ
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ここから東へ県道山麓線を渡って東へ行くと新庄小学校の西に法林寺がある屋敷山古墳にあったという凝灰岩製の刳抜式石棺の身が手水鉢として使用されているので寄っていこう。
前日まで雨を心配していたが、天気がよく、少し風が有ったが冬としてはまずまずの天候であった。ここを南に出て東へ行くと近鉄新庄駅に出る。
by yumeoijyuku | 2010-02-19 23:01 | 古墳めぐり案内

飛鳥京跡発掘調査報告会の報告

飛鳥京跡第164次調査by橿原考古学研究所、2010.2.14

 今日は朝から別の用事を済ませて近鉄橿原神宮前駅に着いたのが14時でバスは40分後しかなかったので飛鳥まで歩くことにした。歩いているうちに汗をかきだしたので途中でジャンパーを脱いで14時40分頃の到着となった。
 現地では1時間ごとの説明ということでこれも待ち時間が有ったので先に現場を見て回った。現場は飛鳥寺の南方150mの1区とその西方の2区であった。今回の調査は飛鳥京跡の北限はじめ飛鳥京跡外郭北部の様相を調べるもので、世界遺産登録に向けた「世界遺産登録推進事業」の一環と位置付けされている。
調査地:「飛鳥寺」と書かれた北に飛鳥寺が有って、その150m南付近になる
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調査掘り方、右:1区、左:2区
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先ず1区では堀り方の南端で飛鳥京跡最大となる幅3mの石組溝が検出された。これは以前の調査で東西に走る溝の延長線上にあって、西の飛鳥川への排水溝であろうとされている。この溝の北の壁は壊されていて大量の土師器、須恵器が捨てられていた。これらの土器から7世紀末に溝が埋められたと分かった。
左:1区掘り方、(北より)南端に東西石組溝。右:石組溝
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出土した須恵器
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2区の掘り方では以前の調査で分かっていた飛鳥寺南の石敷広場の一部が検出された。そしてその南には一段下がってテラス、さらにその南には幅90cmの石組溝が東西に走り、そこへ南から南北石組溝が取りついていた。
左:北に石敷広場手前にテラス、東西石敷溝、南北石敷溝、向うの山は甘樫丘北端。右:東西石敷溝(東から)
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すぐ北に飛鳥寺
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華々しい成果ではないが飛鳥京での調査は164次となっている。当初は1期~3期にわたる飛鳥の宮殿遺跡の発掘が主であったが、その中心主要部はほぼ明らかになってきており最近では周囲の様子を探ることに力を入れられるようになってきている。
帰りに飛鳥寺からバスに乗るとnagiwiさんが乗っていた、以前にも飛鳥の現説でばったり会っていて世間は狭い。
by yumeoijyuku | 2010-02-15 22:44 | 現地説明会、講演会

奈良大卒論合格

 今日、郵便で合格通知が来ました。思っていたより点数が高く去年の独楽さんと同じでした、アノ独楽さんと同じ点数なので大満足です。多分資料をワンサと付けたおかげと思います。近くにお住まいのM氏も卒論を提出していたので、祝杯の日取りを打ち合わせしました。

 ところが卒業までに必要な単位が12科目26単位足りません、トホホ・・。とりあえずは10年度卒業を目指してレポートに精を出すことにしています。

 乞う、皆さんからの心優しい激励を!! 
by yumeoijyuku | 2010-02-09 13:48 | お勉強