古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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我が家の庭で・・・

アゲハ蝶御乱交

今日夕方、庭でアゲハ蝶が2匹遊んでいた。珍しかったので写真に収めた。
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終わって一休み、羽根がだいぶダメージを受けている
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by yumeoijyuku | 2008-06-30 20:30 | その他

朝の散歩・・田植え・・その後

田植えの後、苗が育っている.家が新築されていた
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カラスが成長を監視している
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この鳥の名前がわからない、スズメでないと思うが大きさは同じくらい。わかる方はコメントを入れてください。
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by yumeoijyuku | 2008-06-28 21:14 | その他

朝の散歩・・山間部の集落:尺代

 昨日27日に島本町の山間部の集落「尺代(しゃくだい)」に行った。66世帯164人が生活している。山間部と言っても家から歩いて約30分のところで、写真の通り密集している。
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ここは水無瀬川上流で有料釣り場がある。
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集落の最高所には諏訪神社がある
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西光寺
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集落の中央に車の通れる道がある。
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集落のすぐ上流には藁葺の崩れた水車小屋が残っている。土地の古老に聞くと、戦争中に潜水艦で使う「蓄電池」を作って、日本軍、戦後は米軍に納めていたという。JR高槻駅近くに湯浅電池の工場があったが今は無くなっている。
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車止め
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さらに上流は山吹渓谷と言われ「乙女の滝」が名所になっている。名の通り心細い滝がある。
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途中の山道は石が散乱しているところがあって、落石が多い。
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by yumeoijyuku | 2008-06-28 20:36

奈良の古墳めぐり・・その2-3

近鉄文化サロン現地学習 H20.6.19
山の辺の道添いの古墳③
大和古墳群(1)

今日は「山の辺の道」を中心に分布する大和(おおやまと)古墳群を散策した。大和古墳群は5月に訪問した景行天皇陵、崇神天皇陵を含む柳本古墳群の北に位置する古墳群になる。大和古墳群は西殿塚古墳(手白香皇女(たしらかのひめみこ)衾田陵(ふすまだのみささぎ))を中心として、全長100mをこえる前方後円墳や前方後方墳で形成されているが、これらの古墳は西殿塚古墳に引き続いて築造されたものとみられ、ほとんどが古墳時代前期から中期のものである。ただし西山塚古墳だけは6世紀に位置づけされている。
 JR「柳本駅」を東に出るとすぐに上ツ道に出会うのでこれを左(北)へとる。上ツ道は飛鳥と奈良平城京を結ぶ古代の幹線で上、中、下の内一番東の道にあたる。間もなく右手に屋根と太い柱だけのお堂「長岳寺五智堂」がある。五智堂は鎌倉時代の建物で国の重要文化財になっている。ここから東へ1km弱で弘法大師が大和神社(おおやまとじんじゃ)の神宮寺として創建したという長岳寺がある。

五智堂
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広い道を右(東)へ行くと県道に出るので左へ行きすぐの細い道の所を斜め右(北東)に入る。すぐ交差する道を右に行くと山の辺の道に出会うのでこれを左(北)へ行く。すぐ右手に歌碑がある
衾道乎 引手乃山尓 妹乎置而 山徑徃者 生跡毛無
「ふすまじを 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば い生けりともなし」
柿本人麻呂の歌で万葉集に納められている。東に見える龍王山は死者を埋める山で「引手の山」と言われている。人麻呂は我が妻を失い龍王山の麓に葬った後、とりとめのない心を「生けりともなし」と歌ったという。この歌碑は故犬養孝阪大名誉教授の筆によるもので「孝」の銘がある。

歌碑の解説、後は中山大塚古墳
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そのまま山の辺の道を行き坂を上ると中山公民館がある、ここの右手が広場になっていて祠が並んでいる。このあたりが中山大塚古墳の前方部前面で祠は古墳を削り取ったかたちになっている。ここを右手に廻った土堤の外れに小道が有って墳丘に登れる。1993年の調査では後円部の墳頂から内部長7.5mにおよぶ長大な竪穴式石室が発掘された。この時期の古墳では最大級のもので、成立間もない大和政権の有力者の墓の可能性が強い。また94年の調査では後円部の墳頂以外ほぼ全面に10~30㎝大の石で覆った特異な構造であることが分かった。前期の主だった前方後円墳では墳丘上面には葺石を施さず、墳丘斜面の葺石も一重かせいぜい二重である。後円部墳頂の竪穴式石室の有った場所には植木で区画されていて分かりやすい。
先ほどの中山公民館の前を西へ坂を下ると左にカーブしている内側が「小岳寺古墳」にあたる、墳丘は裾部分が道路で削られているようである。

坂の下で交差する小道を右に行き県道を横断してさらに西へ向かうと上ツ道に出会う。ここを左(南)へ、すぐの道を水路に沿って右(西)へ曲がる、すぐに右手に新池、左手に古池が有るところに出るので、右(北)へ新池を左に見て池の縁を伝う道を行きそのまま池沿いに堤防に出ると池の西の堤に出られるが、この堤の中程の所に祠があってその外(西)のJR桜井線との間に「弁天塚古墳」がある。古墳を観察するには池沿いの道を堤防に上らずにJRの方へ行き廻りこむとよい。前方後円墳の後円部が残っており前方部は削平されて耕作されている。
上ツ道に戻り左(北)へ行く左手に柿園がある、前方後円墳「ヤハギ塚古墳」である。古墳の北側の道が墳丘に沿ってきれいにカーブしている。
上ツ道を北へ取りすぐ中村電気店が有る所を右(東)に入るとすぐ左に全長約110mの前方後方墳「フサギ塚古墳」がある、墳丘上からは崇神天皇陵、その先に三輪山が望める。この古墳は東側から北へ回り込むとまわりは田でよく観察できる。

墳頂から南を見る:左は三輪山、その手前は5月にめぐった崇神天皇陵
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フサギ塚古墳:北より
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上ツ道をさらに北へと行くと大和神社の鳥居のすぐ横が鳥居池であるがこの池が「馬口山(ばくちやま)古墳」の周濠の一部になっている。この古墳から採取された特殊器台や埴輪の破片から築造年代が分かり、大型前方後円墳の元祖のように言われている桜井市の箸墓古墳よりさらに古く2世紀後半から3世紀にかけての年代と判定された。大型前方後円墳が突然出現する前の段階のものはほとんど知られておらず注目された。
この古墳の前方部と後円部の間あたりにある小道で古墳を横断すると西へ向かう道に出るので、そのまま行くとゲートボール場に突き当たる、ここを左に行くとすぐ小山に突き当たる、ここは大和(おおやまと)神社の境内になっていてこの山が「星塚古墳」で星山として祀られている。この山を右手に回り込むと大和神社の社殿に出られる。祭神は「大和大国魂大神(おおくにたまのおおかみ}」「八千戈大神(やちほこのおおかみ)」「御歳大神(みとしのおおかみ)」とある、大和大国魂大神は神代の昔から我が国土の守護神として国民に幸福を与え国威を輝かし給える国の御魂という、八千戈大神は大国主神の別名、御歳大神は穀物を守護する神。すなわち大和神社は日本最古の神社で日本の大地主神と言うことになる。太平洋戦争の末期に戦局打開を期待されながら華々しく散った戦艦「大和」にはここの分霊が祀られていたと言う。

帰りは先ほどのゲートボール場の横をそのまま北へ人家のあいだを行くと通りへ出るので、ここを左(西)へ行くと朝出発したJR「長柄駅」に出る。


〇 <写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2008-06-19 20:50

有史会6月例会

田能遺跡と猪名野古墳群

 15日(日)は橿考研友史会6月例会「田能遺跡と猪名野古墳群を行く」に参加した。今年から会員になって初参加になる。友史会年会費は学割で2千円(一般4千円)。
 阪急「園田駅」10時集合、約150人(推定)の会員が参加して出発した。途中猪名川治水工事の顕彰碑がある猪名川公園で橿考研の北井先生から今日の概要説明を受けた。
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園田競馬場の横を通って猪名川の堤防に出る
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 田能遺跡は川の反対側の配水場の横にあって、田能資料館がある。昭和40年9月工業用用水の配水場建設現場で大量の弥生土器が発見され、発掘調査の結果弥生時代のほぼ全期間にわたる大集落であることがわかった。現在その一部を遺跡の上に復元して展示館と供に資料館となっている。弥生時代にはあまり興味がなかったが、白銅製釧が展示されていて、ゴボウラ貝から貝製の釧を切り出す説明があって興味を引いた。

左のゴボウラ貝を断面が平面になるように切り取ると右のような釧ができる。この釧は白銅製。
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田能遺跡で昼食の後出発、猪名川の堤防沿いの道
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猪名寺廃寺に回って、その後に園田大塚山古墳に行く。JR「猪名寺駅」の東、新幹線高架下のすぐ南にある。
園田大塚山古墳:原寸の1/2で復元されている。周濠跡は敷石で区画されている
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 すぐ近くの南清水古墳に寄ってから、御園古墳に向かう。阪急神戸線とJR福知山線が交差するところの北東に三菱電機の工場があるがその敷地に囲まれた墓地が御園(ごえん)古墳である。全長約60mの前方後円墳と言われているが墳丘は大幅に削り取られていて確かなことは分からない。組合せ式石棺が放置されていたと言うことで小屋の中に保存されていた。この古墳のものであるらしいが、元々どこにあったのか不明。出土した円筒埴輪、須恵器、直刀や石棺から6世紀中頃の築造と見られている。
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 御願塚(ごがんつか)古墳は阪急稲野駅北の踏切を西に行った道路脇にある。全長52mで前方部をほぼ東に向けた帆立貝式の古墳である。墳丘や周濠がよく整備されている。外堤の外にも周濠があったことが分かっていて小規模の古墳が二重の周濠を持つのは珍しい。円筒埴輪、家形埴輪といった象形埴輪が多数出土していて、中期後半のものとされている。
墳頂に南神社が鎮座する。墳丘、周濠がきれいに整備されている。
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前方部から南側後円部を見る
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梅雨時の計画であったが、薄曇りで暑くもない古墳めぐりであった。この日の会で元務めていた会社の先輩に会った。同好の士で奈良県「河合町郷土を学ぶ会」副会長をされているということで、活動も年期が入っているようにお見受けした。
by yumeoijyuku | 2008-06-16 21:55 | 古墳散策

朝の散歩・・田植え

 ここ京阪間の田圃も田植えのシーズンになった、と言っても耕運機で植えてしまうので「早乙女」はいない。今植えて10月中~下旬に稲刈となる。

横を通るのはJR京都線
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ここは住宅地に囲まれている
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アオサギが監督していた
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こちらはセグロセキレイ
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by yumeoijyuku | 2008-06-06 22:01 | その他

奈良の古墳めぐり・・その2-2

近鉄文化サロン現地学習 H20.5.15
山の辺の道添いの古墳②

上ツ道沿いの古墳

 今日は新シリーズ2回目、4月にめぐった桜井市纏向地区の北の部分になる。JR巻向駅から古代の国道「上ツ道」を北上する。桜井市と天理市の境界をこえると間もなく右手にある小さい美容室「カットサロン和」の裏手にある「柳本大塚古墳」に登る。この古墳は明治・大正期の資料によると小石室から径39.7㎝の内向花文鏡が出土している。後漢の鏡をモデルに作った国産品(仿製品)で後から行く天神山古墳より若干遅い時期とされた。前方部、後円部上は果樹園になっている。ほぼ築造当時の墳丘を保っているように見える。次に行く「石名塚古墳」と「ノベラ古墳」と共に100m前後の前方後円墳で同じころ共通の企画で造られたとされている。

 上ツ道に戻って北へ「石名塚古墳」に向かう、すぐ左の池の向こうに石名塚古墳がある、この古墳は西側から観察する方が見やすい。古墳を越えたところの道を左(西)へ入って墳丘を外れたあたりの「森モータース」の西の小道をはいると、後円部が見られる、畦道を行くと墳丘に登れるがその先は他人の家の庭先になるので遠慮しておこう。

 一旦上ツ道に戻って北へ行きすぐのところを左(西)に入る。家の裏が果樹園になっているところが「ノベラ古墳」である。古墳は削平されている、果樹園の中を歩くと、前方部はほぼ長方形になっており後円部はくびれ部らしいところが左右に確認できるが削り取られている。墳丘は何時ごろ削平されたか分からないが、土地の人は知っている限り現状は変わっていないとのことであった。民有地なので古墳の道路側にある民家に断ってから果樹園に入ってほしい。

山の辺の道沿いの2基の巨大古墳

 一旦上ツ道に戻り南へ行き先ほど石名塚古墳に入った所を今度は左(東)へ行き、県道に出て右(南)へ行く。左手に「上の山古墳」が見える。全長125m、後円部径86m、前方部幅60mの前方後円墳であるが、次に行く景行天皇陵の陪塚とされている。

 県道を南へ行くとすぐ景行天皇陵(渋谷向山古墳)に着く、県道側に拝所がある。全長約300m、後円部径168m、前方部幅170mの周濠を持つ大型の前方後円墳で、県下では橿原市の丸山古墳に次いで二番目の規模を誇る。山の辺の道ならびに県道天理桜井線沿いでは北にある崇神天皇陵(行燈山古墳)と並んで大型古墳として威容を誇っている。南側の周堤を後円部に廻る、周濠は渡り堤で区切られていて後円部や前方部には水が貯えられているが、空堀となっている部分もある。前方部の周濠は南側のものが異常に出っ張っている、幕末の陵墓改修で灌漑用に拡張されたものかと思われる。陵墓改修には領民を使って周濠を拡幅して灌漑用に利用できるようにする例が多い。は号陪塚「赤坂古墳」、その山手には「シュウロウ塚古墳」があって柿園となっている、墳丘からの眺めはすばらしい。景行天皇は奈良市内の近鉄「尼が辻駅」近くに御陵のあるすいにん垂仁天皇の第3皇子で、日本古代の英雄日本武尊(やまとたけるのみこと)の父に当たる。崇神天皇の父は近鉄「奈良駅」近くに御陵のある開化天皇で崇神天皇、垂仁天皇、景行天皇と続く。関西大学考古学博物館に天理市渋谷から幕末に出土したという石枕がある、馬蹄形をしていて頭が乗るように窪みがあって鋸歯文がある優品である。出土古墳は確定していない。ここの博物館は見ごたえのあるものが多い上に日頃はすいているのでゆっくり見学できる。写真撮影も自由。

景行天皇陵の南の外堤を行く

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景行天皇陵の後円部の山の辺の道を北に行く。ろ号陪塚を経て渋谷町公民館の所を右に行って崇神天皇陵に向かう。
 休憩所を過ぎると「崇神天皇陵(行燈山古墳)」である。崇神天皇陵の後円部の東、ちょうど山の辺の道を挟んで「櫛山古墳」がある。まずその「櫛山古墳」によって行こう。古墳としては珍しい形で双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)と呼ばれている。普通前方後円墳の円墳を中心として前方部が向き合った形を言うが、この古墳の場合は前方後円墳の後円部の東側に方形の出っ張りが着いた形でしかも古墳軸上からずれて取りついている。雑木林となっているが下刈りされていて墳丘上や周囲には通路もできている、ただし北側は中円部で途切れている。山の辺の道からの入り口の両側には溜池が有り、周濠の名残と思われる。墳丘には所々に葺石が残っている、また白や黒のきれいな小石が有るが「めくら石」と伝えられているので持ち帰えらないようにご用心を。

まず説明板で勉強
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 崇神天皇陵は全長242m、後円部径158m、前方部幅102mの前方後円墳で周囲に水をたたえた周濠があって雄大な眺めを見せる。景行天皇陵と同じように周濠の東西に段差があるので渡り土手で区切って水位を保っている、また周濠の形態も幕末の修陵で拡幅されていて、元々は景行天皇陵と同じようなものであったと思われている。古墳の西を前方部の拝所に行く。崇神天皇陵は宮内庁によってよく手入れされているので外堤上を一回りできる。西の拝所正面の左(北)が「アンド山古墳」、右(南)が「南アンド山古墳」になる。

崇神天皇綾前で
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県道の西すぐ南に県道に一部削り取られた前方後円墳がある、いざなぎ伊射奈岐神社の境内にある「天神山古墳」で、県道工事に伴って調査された。全長113m、後円部径55m、前方部幅50m。後円部中央に主軸と平行した石室があって、扁平な割石を持ち送り積みしていて、檜の木櫃があって木櫃内に3面、周囲に20枚におよぶ銅鏡が出土したことで有名。人体埋葬の痕跡はなかった。

 今日は時間の都合で黒塚古墳は墳丘上を素通りしてJR柳本で解散した。次回は黒塚古墳とその資料館から始めることになる。

鬼気迫る山間の龍王山古墳群

 景行天皇陵から崇神天皇陵に行く途中、休憩所を過ぎてすぐに右手に龍王山へ向かう道がある。龍王山には総数1,000基におよぶといわれる古墳・横穴の密集地として有名な奈良県下最大の龍王山古墳群がある。この古墳群は標高586mの龍王山の西南斜面の標高150m~450mの間に分布している、別に山頂近くに横穴式石室が露出した古墳も有って見逃せられないので、一応全容を紹介しておこう。だらだらした坂道を上る。

 暫く行くと右手を流れる川が小川になってさらに沢となって道沿いを流れる。このあたりまで来るとすぐ後ろに円墳が見られる。さらに行くと今度は龍王山城跡を示す道標があり三叉路になっている、この直ぐ手前の右に上部が欠けた石仏が置いてある、元は6体分と思われるが、気をつけなければ見落としそうなくらいにひっそりと置かれている。この付近から上が龍王山古墳群を観察し易い場所となっている。このあたり一帯に小円墳や横穴が有る、横穴式石室が陥没したものもあるが石室が残っていて良く観察出来るものも多い、石室は割石・自然石を積み上げた横穴式石室である。

 登り切った所の三叉路を左に「長岳寺奥の院、不動明王石仏」の方へ行く、すぐに右手に樋から水が落ちているところに「長岳寺奥の院」の標識がある。山手に回り込むとそこに不動明王が佇立している。建物は無く石碑が有るだけの簡素な施設となっている。ここの水場の直ぐ先の山側は古墳になっていて、道側に横穴式石室が開口している。羨道も残っていて幅約1.4m高さ約2m見当。奥行き5~6mで割った石の平らな面を内に向けて積み上げ、上に行くに従ってせり出してくる造りをしている。天井が高いわりには封土が低く天井石が露出しそうな気がしてくる。よくもこんなに高いところにまで石を運んで古墳を作ったものと感心させられる。

 帰りもいま来た道を下るが、周囲の古墳に注意して下ると登りに見落とした古墳に出会えるかもしれない。この龍王山古墳群の古墳・横穴は総数1,000基におよぶといわれ、奈良県下最大の古墳群と考えられるようになっている。今回全域は回れなかったが機会を作って登ってほしい。
by yumeoijyuku | 2008-06-06 21:24 | 古墳めぐり案内