古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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カテゴリ:古墳めぐり案内( 61 )

「古墳めぐり案内」終了ごあいさつ

  2005年4月「近鉄文化サロン橿原」で始まった「古墳めぐり案内」は、途中で「朝日カルチャーセンター梅田」に引き継いで継続してきましたが2014年3月をもって終了しました。この間、奈良県全域を中心に大阪府・京都府・兵庫県の各一部、計394(10年間で延べ859)箇所の古墳、古墳群、陵墓を巡ったことになります。受講していただいた会員の皆さま、講座開設主催者はじめブログ「朱雀の夢ものがたり」を愛読・支援していただいた皆様に御礼申し上げます。
  今後は、文化財関係のさらなる教養修得に努めたうえで「古墳めぐり案内」で培った知識をまとめて、広く「古代のモニュメント・古墳」に興味を持っておられる方々への参考となるべき案内冊子をまとめることを目指していきたいと思っています。
  引き続きご支援よろしくお願い申し上げます。

               2014年3月末日  古代夢追塾主宰 西村 治美 拝
by yumeoijyuku | 2014-04-01 19:45 | 古墳めぐり案内

古墳めぐり案内ーブログ掲載日:目次

 これは朝日カルチャーセンター現地講座の様子を、講師が私的にブログで公開したもののうち2008年11月から2012年9月の間に実施した1クルー分のリストです。

 この間に案内した内容については
①目的の「テーマ・実施日」を下記1~45上段から探し出して。
②下段の「ブログ見出しと掲載日」から得られた年月によって、このブログ「朱雀の夢ものがたり」の左欄に表示されている年月をクリックして該当年月を参照し、該当記事を選んでご覧ください。

 「古墳めぐり案内」は現在も継続して実施しています。講座の案内はウエブで「朝日カルチャーセンター梅田」を検索して「現地」-「歴史探訪」-「古代のロマン・古墳をめぐる」を参照してください。
                2013年7月5日  古代夢追塾 主宰
上段:テーマ・実施日
下段:ブログ見出しと掲載日      

1、奈良市北部の佐紀古墳群①,08.11.20
  奈良の古墳めぐり・・その2-7 2008-11-20 古墳めぐり案内
2、奈良市北部の佐紀古墳群②,08.12.18
  奈良の古墳めぐり・・その2-8 2008-12-18 古墳めぐり案内
3、大安寺(癌封じ祭り)から奈良市西部の古墳,09.01.23
  奈良の古墳めぐり・・その2-9 2009-01-24 古墳めぐり案内
4、奈良市南部の古墳,09.02.19
  奈良の古墳めぐり・・その2-10 2009-02-21 古墳めぐり案内
5、近鉄奈良駅周辺の古墳,09.03.19
  奈良の古墳めぐり・・その2-11 2009-03-22 古墳めぐり案内
6、葬送の地に太安万侶が眠る田原地区へ,09.04.16
  奈良の古墳めぐり・・その2-12 2009-04-17 古墳めぐり案内
7、奈良市最北端柳生の里の古墳へ09.06.18
  奈良の古墳めぐり・・その2-13 2009-06-19 古墳めぐり案内
8、箸墓古墳に続く大型古墳から後期古墳の石棺に触れる,09.07.16
  奈良の古墳めぐり・・その2-14 2009-07-21 古墳めぐり案内
9、桜井市東部の山間部に眠る古墳を訪ねる,09.08.20
  奈良の古墳めぐり・・その2-15 2009-08-21 古墳めぐり案内
10、橿原神宮から新沢千塚へ,09.09.17
  奈良の古墳めぐり・・その2-16 2009-09-18 古墳めぐり案内
11、飛鳥の古墳① 飛鳥西部真弓丘陵の古墳,09.10,15
  大和の古墳めぐり・・その2-17 2009-10-16 古墳めぐり案内
12、 飛鳥の古墳② 古都飛鳥に眠る終末期古墳の主達,09.11.19
  大和の古墳めぐり・・その2-18 2009-11-19 古墳めぐり案内
13、飛鳥の古墳③ 石舞台古墳から古代飛鳥の宮殿跡へ,09.12.17
  大和の古墳めぐり・・その2-19 2009-12-18 古墳めぐり案内
14、飛鳥の古墳④ 孝元天皇陵から飛鳥寺、亀形石遺跡へ,10.01.21
  大和の古墳めぐり・・その2-20 2010-01-22 古墳めぐり案内
15、葛城山麓の古墳①,10.02.18
  大和の古墳めぐり・・その2-21 2010-02-19 古墳めぐり案内
16、葛城山麓の古墳②,10.03
  大和の古墳めぐり・・その2-22 2010-03-19 古墳めぐり案内
17、御所市の古墳①,10.04.15
  大和の古墳をめぐる・・その2-23 2010-04-15 古墳めぐり案内
18、御所市の古墳②,10.05.20
  大和の古墳をめぐる・・その2-24 2010-05-20 古墳めぐり案内
五条市の古墳,10.06.17
  大和の古墳をめぐる・・その2-25 2010-06-18 古墳めぐり案内
19、馬見丘陵と周辺の古墳①,10.07.15
  大和の古墳をめぐる・・その2-26 2010-07-21 古墳めぐり案内
20、馬見丘陵と周辺の古墳②,10.08.
  大和の古墳をめぐる・・その2-27 2010-08-20 古墳めぐり案内
21、馬見丘陵と周辺の古墳③,10.09.
  大和の古墳をめぐる・・その2-28 2010-09-18 古墳めぐり案内
22、馬見丘陵と周辺の古墳④,10.10.21
  大和の古墳をめぐる・・その2-29 2010-10-24 古墳めぐり案内
23、斑鳩の古墳,10.11.18
  大和の古墳をめぐる・・その2-30 2010-11-22 古墳めぐり案内
24、大和郡山市の古墳,10.12.16
  大和の古墳をめぐる・・その2-31 2010-12-16 古墳めぐり案内
25、平群谷の古墳,11.01.20
  大和の古墳をめぐる・・その2-32 2011-01-23 古墳めぐり案内
26、大阪府・河内磯長谷の古墳,11.02.17
  大和の古墳をめぐる・・その2-33 2011-02-18古墳めぐり案内
27、大阪府・古市古墳群①,11,03.17
  大和の古墳をめぐる・・その2-34 2011-03-21古墳めぐり案内
28、大阪府・古市古墳群②,11.04.21
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-35 2011-04-21 古墳めぐり案内
29、堺市の古墳群,11,05,19
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-36 2011-05-19 古墳めぐり案内
30、摂津の古墳①茨木市・高槻市,11.06
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-37 2011-06-17 古墳めぐり案内
31、長岡京と付近の古墳,11.07
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-38 2011-07-22 古墳めぐり案内
32、摂津の古墳②宝塚市,11.08
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-39 2011-08-21 古墳めぐり案内
33、摂津の古墳③神戸市,11.09
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-40 2011-09-17 古墳めぐり案内
34、摂津の古墳④尼崎市・伊丹市,11.10.20
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-41 2011-10-20 古墳めぐり案内
35、竜山石採石場見学,11.11.17
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-42 2011-11-18古墳めぐり案内
36、八尾市の古墳①,11.12.15
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-43 2011-12-24 古墳めぐり案内
37、八尾市の古墳②,12.01.19
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-44の1/2 2012-01-21 古墳めぐり案内
                       2/2 2012-01-22 古墳めぐり案内
38、京都市嵯峨の古墳,12.02.16
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-45の1/2 2012-02-16 古墳めぐり案内
                        2/2 2012-02-16 古墳めぐり案内
39、京都府木津川市の古墳,12.03.15
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-46  2012-03-15 古墳めぐり案内
40、山の辺の道添いの古墳①,12.04.19
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-1 2012-04-19 古墳めぐり案内
41、山の辺の道添いの古墳②,12.05.17
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-2 (1/2) 2012-05-17 古墳めぐり案内
                     (2/2) 2012-05-30古墳めぐり案内
42、天理教本部と周辺の古墳から石上神宮へ,12.06.21
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-3   2012-06-22 古墳めぐり案内
43、開口した前方後円墳から金象嵌の大刀を出した古墳へ,12.07.19
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-4 2012-07-20 古墳めぐり案内
44、山の辺の道添いの古墳③,12.08.30
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-5 2012-09-01 古墳めぐり案内
45、山の辺の道添いの古墳④,12.09.20
  古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-6 2012-09-21 古墳めぐり案内

                                 古代夢追塾
by yumeoijyuku | 2013-07-05 17:14 | 古墳めぐり案内

朝日カルチャーセンター・現地講座案内 その3-8 

古代のロマン・古墳をめぐる その3-8  2012.11.15
桜井市南部の後期の開口した古墳をめぐる

 今日は10月に続いて桜井市南部のいずれも小形の前・中期古墳から横穴式石室が開口した後期後半の古墳を巡る。
JR・近鉄桜井駅をJR側に降りて、正面のきれいに整備された広い通りを南へ、国道165号線を渡ってどんどん南へ行く。先月訪問した艸墓古墳の所を右(西)へ行くと坂の向こうすぐに文殊院の北入口になる。
 ここを入ってすぐの駐車場の東の方に石室が開口している「文殊院東古墳」で、ここの入り口は石の重みで左右の石が割れていて危険なため中には入れない。中に井戸があって「閼伽井(あかい)の水」が湧いているということで、寺務所で売られている。閼伽とは「仏前に供えるもの」と言う意味で特に水またはその容器のことを言う。安倍文殊院は華厳宗に属している、現在ではあまり聞きなれない宗派だが奈良東大寺が本山で、その別格本山となっている。
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文殊院東古墳。左:開口部。中:羨道より玄室を見る、手前に閼伽井の井戸。右:説明板。

駐車場の西手、本堂との間に文殊院西古墳が開口している。墳丘は円墳でかなり変形されている。石室の壁は綺麗に磨き上げられた花崗岩製で上部に行くに従って僅かにせり出していて石室の断面はゆるい台形になっている。天井石は1枚で、中央部を削って綺麗な曲線を出している。優美な石室を持つ後期の古墳として有名である。側壁には花崗岩の切石が綺麗に積み上げられているが2つ分の石に疑似の目地が線刻されている物が4か所ある。石室内には願かけ不動が祭られていて参拝者が絶えない。
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文殊院西古墳。左:開口部。中:玄室奥壁と右側壁。右:説明板。

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花壇には来年の干支の巳の絵馬が造られていた。

文殊院を西へ出て左(南)へ行くと右手に大化の改新前後に建立された安倍寺跡が「安倍寺史跡公園」となっている。金堂跡、塔跡が盛り土で示されている。中大兄皇子を助けて大化の改新の推進に力を尽くした阿倍倉梯麻呂が建立したと伝えられている。
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左:文殊院本堂。中:安倍寺跡の塔基壇。右:次に行った奈良農業大学校。(大学校とは、学校教育法による大学とは異なる教育訓練施設等が用いる名称で、「大学校」を規定する法令はない)。

 奈良農業大学校の中に池ノ内古墳群がある。8基のうち5基の古墳が観察できる。いずれも4世紀後半から5世紀始めの古墳時代前期から中期のもので1970年に調査されている。2号墳の粘土槨に割竹形木棺が、また3号墳には同様に箱形木棺が収められていたが他は木棺直葬の簡単な埋葬施設であった。5号墳からは長方形板皮綴短甲が出土した、皮綴短甲の一歩進んだ様式という。同じく5号墳から三角縁神獣鏡はじめ銅鏡が計5枚出土しており、磐余地域で中央政権に属した豪族の墳墓群と見られている。
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左:1,2号墳がつながって築かれている、左手に1号墳。中:説明板。右:3,4,5号墳がつながって築かれている、3号墳から2号墳を見る。

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農業大学校のすぐ北に神功皇后、履中天皇ゆかりの稚桜神社がある。左:鳥居。中:本殿。右:説明板。

2011年12月にここの西で万葉の「磐余池」の有力地で堤跡が検出されたと橿原市教育委員会が発表したところがある。6世紀ころのもので大阪府の狭山池より古いと言われてるて。
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左:昨年の発掘現場に立つ、後の田地が磐余池とされている。右:磐余池傍に橿原市が建てた歌碑、大津皇子が二上山に行くとき読んだとされる歌。

  ももつたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲かくりなむ
  (百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見哉 雲隠去牟)

ここから近鉄「大福駅」に行くまでの東に吉備池がある。ここにも大津皇子とその姉大来皇女の歌碑(がある。ここは桜井市が建てたもの。
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左:大津皇子の歌碑。右:大来皇女の歌碑、うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山を いろせとわが見む(宇都曽見乃 人尓有吾哉 従明日者 二上山乎 弟世登吾将見)。

 奈良国立(当時)文化財研究所(奈文研)飛鳥藤原宮跡発掘調査部は1997年2月に、この池の南東隅から飛鳥時代に天皇が造営したとされる「百済大寺(くだらのおおでら)」と推定される寺院金堂の基壇が見つかったと発表した。遺跡の名称としては「吉備池廃寺(きびいけはいじ)」と命名され、東西36m、南北27m以上の巨大な建物基壇で、出土した瓦が山田寺式軒丸瓦で640年頃造られたと推定された。飛鳥時代の寺としては群を抜く規模で日本書紀に記述のある舒明天皇(じょめいてんのう)11年(639年)に天皇が詔(みことのり)して造らせた大寺すなわち百済大寺であると奈文研では断定している。
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左:吉備池の南東部、金堂があったあたり、遠景中央は三輪山。中:説明板。右:右に金堂、左に塔があった。

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2012-11-16 23:51 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-7

朝日カルチャーセンター・現地講座案内
古代のロマン・古墳をめぐる その3-7  2012.10.18
箸墓古墳に続いて築かれた桜井市南部の大形古墳

<10月18日の「古代のロマン・古墳をめぐる」は全行程が雨のため写真はありません。前回の09.07.16「奈良の古墳めぐり」その2-14の前半とほぼ同コースなので参照してください。>

 今日は桜井市南部の前期大型前方後円墳から横穴式石室が開口した後期の古墳を巡る。
JR・近鉄桜井駅をJR側に降りて正面の広い通りを南へ行きすぐの商店街を左へ行く。しばらく行って小さい粟原川を渡ってから右手に見える前方後円墳茶臼山古墳へもう一度川を超える。古墳の後円部を東に回り込んでからくびれ部から墳頂を目指す。
 茶臼山古墳は戦後間もない1949年から調査が始まっている。出土品としては王権のシンボルと言われる碧玉製の「玉杖(ぎょくじょう)」が有名、また三角縁神獣鏡他20面以上に相当する銅鏡の破片が多数出土している。古墳の時期は大型古墳のなかでは箸墓の次に位置するもので4世紀前半から中葉の時期が推定されていて、今日訪問するメスリ山古墳よりやや古いとされている。天理市内の行燈山古墳、渋谷向山古墳と続く大型古墳の前の段階のものとされている。後円部墳頂下に長大な竪穴式石室が検出されている。石室の壁は扁平な小石板をほぼ垂直に小口積みしている。床面には長さ5.2mの栂の巨木をくり抜いた木棺の底部が遺存していた。
 
 2009.10.23毎日新聞によると、奈良県立橿原考古学研究所が後円部を発掘調査した結果が伝えられている。石室は板状の石を垂直に積み上げて、その上に大形の石を12枚並べて乗せて天井にしていた。石室の大きさは全長6.75m、幅1.27m、高さ1.71m、木棺の底部分が残っていた。内面全体や天井石の外側にも水銀朱が塗られていた。発掘した銅鏡片を整理した結果以前出土したものも合わせて三角縁神獣鏡26枚分ほか銅鏡が計81枚分確認できたとしている。(2009.10.29桜井茶臼山古墳の調査 現地見学会報告[ 2009-11-01 23:01 ]参照)

 次は同じころ造られた大型前方後円墳メスリ山古墳に向かう。国道165号を西へ戻り、「御幸田町」バス停のある信号を左(南)へ行く。途中寺川沿いに行くことになる。寺川は多武峰を通り桜井市から橿原市、田原本町を経て川西町で大和川に合流する。県道を南へ行きT字交差点を右(西)に行って右手に貯水池がある所の手前を右に入る正面の山がメスリ山古墳である。三段築成で人頭大の葺石が敷き詰められている。八坂神社の所を抜けて墳丘に上がる。
 墳頂の平らな部分の中心には一段下がった区画があり石室の屋根石の上部が露出している、屋根石は8枚、石室の大きさは全長約8.2m、幅1.3m、高さ1.6mで、割石を小口積みしており、木棺は残存していなかったが粘土床が造られていた。またすぐ東に平行して小型の副室竪穴式石室があった、竪穴式主石室の周囲には直径50cm~1mにおよぶ大型の円筒埴輪が方形に二重に巡っていたことが知られている。この円筒埴輪の大きな2本は高さ2.4m、径1.3mの巨大なもので、これを復元したものは県立橿原考古学研究所付属博物館で見られる。石室のすぐそばの別の小道を墳丘を取り巻くように北側に降りる。古墳の北側は前方部から後円部にかけて公園となっており整備されている。

北へ抜けて、広い県道を渡って大和桜井園に突当たった所を左へ行くとすぐ右に谷首古墳が開口している。玄室の高さは4mありすごく高い感じがする、長さ約6m、幅2.7m、羨道長7.8m、高さ1.7m墳丘は東西約35m、南北約38m、高さ約8mの方墳。入り口の天井石は片側が落ち込んで斜めになっていて少し入りづらい。凝灰岩の破片と若干の須恵器片が残っていた程度で副葬品等一切不明であるが、石室の構造から桜井市の天王山古墳、明日香村の石舞台古墳等よりやや古く6世紀末から7世紀初頭のもので横穴式石室の最終段階に近いが付近の文殊院西古墳、艸墓古墳に先行するものとされている。

 大和桜井園の前を東へ行き突き当りを左へ行くと県立奈良情報商高のグランドの北西に出る。ここの左手に「艸墓古墳」がある。民家の裏の塀沿いに身体を斜めにして通るような細い路地を入った先すぐに横穴式石室が開口している。方形の墳丘規模は東西22m、南北28mの横長で墳頂部は平坦な高さ約7mの載頭方錐形。この古墳には家型石棺が残っている、人の背丈ほどの高さの石棺に比べて羨道の天井が低く石室築造前に置かれたものと思われている。ここの石棺は昨年11月に訪問した兵庫県高砂市産の凝灰岩を使用していると言うことである。付近の古墳の築造時期は谷首古墳が古く6世紀末から7世紀初頭、次いで来月行く予定の文殊院東古墳、艸墓古墳と文殊院西古墳が7世紀第3四半期頃で横穴式石室式の最終段階となる。ということで今日は古墳時代前期の大型前方後円墳から後期の横穴式石室の最終段階まで巡ったことになる。
by yumeoijyuku | 2012-10-19 20:46 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-6

朝日カルチャーセンター・現地講座案内
古代のロマン・古墳をめぐる その3-6  2012.9.20

山の辺の道添いの古墳 4 
古代王家中興の継体天皇の皇后手白香皇女はどこに眠るのか

今日は先月に引き続き「山の辺の道」を中心に分布する大和(おおやまと)古墳群の主要部を巡る。
JR「長柄駅」の踏切を東にわたり上ツ道を横切って、市立朝和小学校の前を過ぎると県道天理桜井線(国道169号線)に出るこの交差点には「刀根早生(とねわせ)大和の柿」の看板がある。丘陵部一帯は果樹園が多く柿、みかんの産地となっている、古墳の墳丘もよく利用されている。刀根早生は富有柿ほどの大きさの渋柿であるが、出荷後炭酸ガスで処理して美味しい柿となって売られる。


県道との交差点を更に東へ進み県道天理環状線を東へ横断するとすぐに小さなミカン山がある「マバカ古墳」と呼ばれている前方後円墳で県道の建設に先立って県立橿原考古学研究所が行った調査によると土器の形式、濠の状況から箸墓古墳より古く纏向の勝山、ホケノ山古墳などと同じ最古級である可能性が出てきたとしている。古墳の前方部を横切る形で道は右に曲がって南へ行く、車道はすぐ左(東)へ行くが曲がらずにそのまま南へ畔道を下池山古墳のある下池に向かう。

 下池の堤に上って古墳に行く。この古墳では竪穴式石室の検出と大型木棺が見つかっている。木棺はコウヤマキ材をくり抜いたもので約5m残っていた。この木棺の残骸は橿原市の奈良県立橿原考古学研究所付属博物館に展示されている。築造年代としては墳丘から出土した土器片から桜井市の箸墓古墳とほぼ同時期の3世紀末頃とみられている。
 この地区には古墳時代初期の古墳が覆いが前方後方墳が多い。この時期の東海地方との交渉が反映されていることも考えられる。

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左:下池山古墳、左が前方部。右:後方部へ向かって墳頂を上る、。

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説明板でお勉強

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説明板の写真。左:墳丘全景、西から。中:平面図。右:出土した内行花文鏡。

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下池山古墳頂からすぐ東に宮内庁指定の継体天皇皇后の御陵西殿塚古墳、その左方に本当の手白香皇后の陵とされる西山塚古墳。

手白香皇女は継体天皇の皇后で欽明天皇の母に当たる。継体天皇は6世紀初めの人なのでこの西殿塚古墳は年代が古く日本書紀に言う手白香皇女衾田陵でないことは確定的で、衾田陵は後で訪問する西山塚古墳で大阪府高槻市にある継体天皇が支配していた埴輪工場で作られた埴輪が出土しており、古墳築造時期からも手白香皇后の陵であることが確定的とされている。
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手白香皇后陵拝所。

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左:西殿塚古墳、東殿塚古墳説明板。中、右:同左出土埴輪。
両古墳は3世紀後半の古墳成立期に続けて築造されたとされている。

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西山塚古墳。左:説明板と墳丘、東北から。右:東南から。


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前方後方墳波多子塚古墳

県道天理環状の北にはヒエ塚古墳、南にはノムギ古墳がある。
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左:ヒエ塚古墳、ノムギ古墳説明板。中・右は同左写真。

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ノムギ古墳は発掘調査が実施されていた、今日から着手したという。以前にも後方部で調査したが、埋葬施設は発見されていない。掘削予定箇所にテープがはられていた。(現状高さから墳頂部は削平されている可能性がある。)

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by yumeoijyuku | 2012-09-21 15:30 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-5  

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古代のロマン・古墳をめぐる その3-5  2012.8.30

JR「柳本駅」を東に出るとすぐに上ツ道に出会うのでこれを左(北)へとる。間もなく右手に屋根と太い柱だけのお堂「長岳寺五智堂」がある。五智堂は鎌倉時代の建物で国の重要文化財になっている。
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左:五智堂。右:説明板。

 ここから東へ1km弱で弘法大師が824年に淳和天皇(H23.7向日市の火葬塚訪問)の勅願により大和神社(おおやまとじんじゃ)の神宮寺として創建したという長岳寺がある。

 長岳寺の山門から西へ戻り山の辺の道を北(奈良市方面)へ行くと右手に歌碑があるところを通る。
    衾道乎 引手乃山尓 妹乎置而 山徑徃者 生跡毛無
「ふすまじを ひきての山に いもを置きて やまじを行けば いけりともなし」・・柿本人麻呂
 この歌碑は故犬養孝阪大名誉教授の筆によるもので「孝」の銘がある。故犬養名誉教授は毎年2月11日に開催される「毎日ラジオウオーク」でお馴染みの万葉集の権威であった。1998年2月4日の毎日新聞ラジオウオークのページにメッセージを寄せられたが参加することなく、この年にお亡くなりになった。

ここの坂を上ると中山公民館がある、ここの右手が広場になっていて祠が並んでいる。このあたりが中山大塚古墳の前方部前面で祠は古墳を削り取ったかたちになっている。ここを右手に廻った墳丘の裾から小道が有って墳丘に登れる。この古墳は1985年以来数次にわたり発掘調査されていてる、後円部の墳頂から内部長7.5mにおよぶ長大な竪穴式石室が発掘された。また、後円部の墳頂を除く平坦部、墳丘斜面、全面に10㎝~30㎝大の石を何重にも60㎝の厚さに積み上げられた特殊な構造であることが分かっている。この時期の古墳では最大級のもので、成立間もない大和政権の有力者の墓の可能性が強い。
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左:正面に中山大塚古墳。右:後円部墳頂の堅穴式石室があった位置、垣根で示されている。

 先ほどの中山公民館の前を西へ坂を下る。坂の下で交差する小道を右に行き県道を横断してさらに西へ向かうと上ツ道に出会う。ここを左(南)へ、すぐの道を水路に沿って右(西)へ曲がる、すぐに右手に新池、左手に古池が有るところに出るので、右(北)へ新池を左に見て池の縁を伝う道を行きそのまま池沿いに堤防に出ると池の西の堤に出られるが、この堤の中程の所に祠があってその外(西)のJR桜井線との間に「弁天塚古墳」がある。前方後円墳の後円部が残っており前方部は削平されて耕作されている。
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弁天塚古墳。左:東の新池から。右:JR側に降りて、北東から。

上ツ道に戻り左(北)へ行くと左手の柿園が前方後円墳「ヤハギ塚古墳」である。古墳の北側の道が墳丘に沿ってきれいにカーブしている。

 上ツ道をさらに北へ行って水路沿いの道を左(西)へ入ると右手に平べったい感じで「平塚古墳」がある、削平されて果樹園になっており更に東側が直線的に削られていて、古墳の面影はほとんど無い。

 上ツ道を北へ取りすぐ中村電気店が有る所を右(東)に入るとすぐ左に全長約110mの前方後方墳「フサギ塚古墳」がある、墳丘上からは崇神天皇陵、その先に三輪山が望める。この古墳は東側から北へ回り込むとまわりは田でよく観察できる。
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フサギ塚古墳。左:北から、左が前方部。右:墳丘にある説明板。

上津道に戻ると向かいが大和神社の参道で、鳥居がある。すぐ北が鳥居池であるがこの池が「馬口山(ばくちやま)古墳」の周濠の一部になっている。この古墳から採取された特殊器台や埴輪の破片から築造年代が分かり、大型前方後円墳の元祖のように言われている桜井市の箸墓古墳よりさらに古く2世紀後半から3世紀にかけての年代と判定された。大型前方後円墳が突然出現する前の段階のものはほとんど知られておらず注目された。
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馬口山古墳。左:墳丘、西から、左手が後円部。右:くびれ部東側にある説明板。

この古墳のくびれ部を通る小道で古墳を横断すると西へ向かう道に出るので、そのまま行くとゲートボール場に突き当たる、ここを左に行と大和神社の社殿に出られる。日本書紀によると、崇神天皇のときそれまで天照大神・大和大国魂の二神を天皇の御殿内に祀っていたが、その神の勢いを畏れ天照大神は大和の笠縫邑に祀り、その後伊勢に祭られた。大国魂神は皇女に預けられ、その後垂仁天皇の時に神地をここ穴磯邑に定められている。太平洋戦争の末期に戦局打開を期待されながら華々しく散った戦艦「大和」にはここの分霊が祀られていたと言う。丁度この8月に慰霊碑が落慶されていた。
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大和神社。左:上ツ道の鳥居。中:本殿。右:説明板。

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説明板。

帰りは先ほどのゲートボール場の横をそのまま北へ人家のあいだを行くと通りへ出るので、ここを左(西)へ行くとJR「長柄駅」に出る。


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〇 この「古代のロマン・古墳をめぐる その3-5  2012.8.30」は以前にアップした「奈良の古墳めぐり・・その2-3 H20(2008年).6.19とほぼ同じコースを巡ったものです。左欄にある
「2008年6月」をクリックして9.18のブログと合わせてご覧ください。

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by yumeoijyuku | 2012-09-01 23:39 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-4  

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古代のロマン・古墳をめぐる その3-4  2012.7.19

 今日は天理駅から広い道路を東へ行く。しばらく行くと広い交差点の左方向右手に「天理よろず相談所病院」が見えるのでそこを左(北)へ行く。しばらく行くとT字路で広い斜めの道に突き当たる、ここを北へ横断する。右手の左(北)へ入る細い道に入る。左手の小学校のグランドを過ぎたあたりで、右へ山手に入る。左、左と行き、池の間の道を行くと前方後円墳・別所大塚古墳(全長125m)の墳丘に突き当たる。
 そこを左へ後円部に回る。後円部には周濠の名残が畑として残っており、よく観察できる。ここから後円部を池の反対側に回り込んで、畦道を中学校に向かって歩くと、車の通る細い道に出るので右へ坂を上る。

広い道と交差するのでこれを渡り、右手の細い道(山の辺の道)を進む。すぐ右手は前方後円墳・石上大塚古墳(全長107m)の前方部に当たるが山が荒れていて墳丘には登れない。そのまま進むとすぐに山の辺の道の標識があるがそのまま前進してウワナリ古墳に向かう。前方後円墳で全長110m、後円部径68m、高さ16m、前方部幅80m、高さ16m。石室が開口していて中に入ることができる。玄室は奥行6.8m、幅3.1m高さ4mの大きなもので、県下でも有数の大石室である。羨道部は3mほど残っている。
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左:別所大塚古墳、後円部。中:ウワナリ古墳説明板でお勉強。右:同左。

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左:ウワナリ古墳開口部。中:玄室内部から羨道部を見る。右:玄室奥壁。(写真は以前のものを使用)

 次は西名阪国道を北へ抜けてシャープ総合開発センターに向かう。開発センターは高度経済成長時代に建設されたもので、この区域には28基の小古墳とその下には弥生時代後期の高地性集落跡も検出されたが、2基の小古墳を残して、他は開発センターの下になってしまった。
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開発センター入口手前に移築保存された5基の石室。

シャープのすぐ西に前期の前方後円墳・全長110mの赤土山古墳がある。古墳は最近公園として整備された。
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左:古墳公園入口。右:説明板:。

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左・中:家型埴輪祭祀遺構。。右:説明板。

赤土山古墳から西へ行くと和邇下神社があって和邇下神社古墳がある。
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左:参道西にある柿本人麻呂の碑「歌塚」。中:柿本寺説明板。右:道路にある標識。

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神社正面の階段を登ると本殿がある、古墳の上に鎮座している。

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石段下には『日本書紀』に物語がある、「平群氏の鮪(しび)と物部氏の影媛」の悲話の碑がある。

和邇下神社の東の天理教教会裏山に全長140m後円部径84m、前方部幅50mとされる前方後円墳・東大寺山古墳(4世紀後半)がある。金象嵌の銘文を持った重文・花形環頭大刀など鉄剣・鉄刀多数が出土している。
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左:天理教社殿、左の山に古墳がある。中:登り口に説明板。右:同左。


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〇 この「古代のロマン・古墳をめぐる その3-4  2012.7.19」は以前にアップした「奈良の古墳めぐり・・その2-6 H20(2008年).10.16とほぼ同じコースを巡ったものです。左欄にある
「2008年10月」をクリックして9.18のブログと合わせてご覧ください。

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by yumeoijyuku | 2012-07-20 23:29 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-3  

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古代のロマン・古墳をめぐる その3-3  2012.6.28


定例の第三木曜日が雨で6月28日に延期になった。
午前10時に天理駅をスタート。東へ向かい天理教本部の神殿前を南に向かい天理高校と天理中学との間にある西山古墳を目指す。古墳時代前期の前方後方墳で全長180m、集合を含むと255mあって、この形で我が国最大の規模を誇る。墳頂の見晴が良い。

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西山古墳。左:後方部から墳丘を上る後方は天理高校校舎、。中:前方部南側に残る周濠。右:前方部から後方部(東)を見る。

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西山古墳の北すぐにある塚穴山古墳は径60mの墳丘上部が削平されていて、石室も天井がなくなっている。石室全長16m、玄室長7m、幅3mあって、飛鳥の石舞台古墳の石室に匹敵する。

ここから東北方向の峯塚古墳の石室を見学してから西乗鞍古墳に向かう。

西山古墳南方にある全長120m、古墳時代後期の西乗鞍古墳は、市が借地している市民公園から墳丘に上るが、現在地主と係争中とのことで古墳に立ち入ることができなかった。
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左:地主が設置した、立ち入り禁止のバリケード。中・右:古墳の説明板。

西乗鞍古墳からすぐ南のグランドの南の道を東に行くと、西乗鞍古墳と同じころに築造された東乗鞍古墳(全長72m)がある、開口した石室に入ることができる。中には一部壊れた石棺が2基残っている。

東乗鞍古墳のところで「山の辺の道」に入って北へ、石上神宮を目指す。途中、西日光と言われた大伽藍を持つ内山永久寺跡を通る。明治の廃仏毀釈で廃止され、寺宝他の貴重な文化財が散逸した。
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左:内山永久寺手前の休憩所。中:西に生駒山。右:前方右手に永久寺伽藍配置の解説板がある。

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石上神宮山門。

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左:本殿、中:国宝七枝刀の写真、右:銘文の解説。

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摂社「出雲建雄神社」。左:本殿。中:標識。右:拝殿(国宝)拝殿の方が立派である。

帰りは西に向かい天理教本部前を通り、天理駅で解散。

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〇 この「古代のロマン・古墳をめぐる その3-3  2012.6.28」は以前にアップした「奈良の古墳めぐり・・その2-5 H20(2008年).9.18」とほぼ同じコースを巡ったものです。左欄にある
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by yumeoijyuku | 2012-06-22 09:59 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-2(2/2)  

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古代のロマン・古墳をめぐる その3-2   2012.5.17 (1/2)  

 龍王山から川の北の道を下りてきて山の辺の道に突き当たるとすぐ右(北)が「崇神天皇陵(行燈山古墳)」である。崇神天皇陵の後円部の東、ちょうど山の辺の道を挟んで「櫛山古墳」がある。まずその「櫛山古墳」によって行こう。古墳としては珍しい形で双方中円墳と呼ばれている。普通前方後円墳の円墳を中心として前方部が向き合った形を言うが、この古墳の場合は前方後円墳の後円部の東側に方形の出っ張りが着いた形で、しかも古墳軸上からずれて取りついている、埋葬に関係する祭祀の場と考えられている。雑木林となっているが下刈りされていて墳丘上や周囲には通路もできている、ただし北側は中円部で途切れている。
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左:説明板でお勉強。中:後方部の出っ張り。右:説明板。
 
崇神天皇陵は全長242m、後円部径158m、前方部幅102mの前方後円墳で周囲に水をたたえた周濠があって雄大な眺めを見せる。景行天皇陵と同じように周濠の東西に段差があるので渡り土手で区切って水位を保っている、また周濠の形態も幕末の修陵で拡幅されていて、元々は景行天皇陵と同じようなものであったと思われている。水位も築造時より高くなっているようである。崇神天皇は4月に案内したように『日本書紀』では三輪山の大物主神や天照大神との物語がある。景行天皇陵と供に考古学的には天皇陵との確証は無いが4世紀の日本の代表的な前方後円墳である。古墳の南に沿って前方部に向かうと後円部から前方部にかかるあたりに外堤を切り開いた水門がある。ここの南に田を1枚隔てて、「ザクロ塚」があって、い号陪塚とされているが横穴式石室が検出されていて時代的に龍王山古墳群に属すると分かった。西の拝所正面の左が「アンド山古墳」、右が「南アンド山古墳」になる。
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左:後円部から南の外堤を周って前方部へ。中、右:説明板。

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左:前方部外堤にある拝所。中:拝所。右:説明板。

 県道の西すぐ南に県道に半分削り取られた前方後円墳がある、伊射奈岐神社の境内にある「天神山古墳」で、県道工事に伴って調査された。全長113m、後円部径55m、前方部幅50m。後円部中央に主軸と平行した石室があって、扁平な割石を持ち送り積みしていて、檜の木櫃があって木櫃内に3面、周囲に20枚におよぶ銅鏡が出土したことで有名。人体埋葬の痕跡はなかった。

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左:伊射奈岐神社鳥居。中:社殿、この奥あたりが後円部。右:鳥居横にある説明板。

 崇神天皇陵の正面を西へJR「柳本駅」方面へブロックできれいに舗装された道を西へ行くと、右手に池があってその向こうに「黒塚古墳」が見える。墳丘の周囲は公園として整備されている、周濠がかなりいびつな形で残っていて、南側は広く北側は一段低く、釣り堀になっていたい池である。黒塚古墳は全長約130mの東西に主軸を持つ前方後円墳で、4世紀初めかそれより古いとされた。
 鏡が見つかった竪穴式石室は墳丘主軸と直交する形で検出された。内法は長さ約8.3m、床面での幅は北端で約1.3m、南側で約90㎝、高さ約1.7m。棺台となる粘土の床に木棺の跡が残っており、長さ6.2m、直径1mを越える割竹形木棺が有ったことが分かった。

木棺の中央部の粘土床には魔除けに使われる水銀朱が鮮やかな朱を呈しており、ここに遺体が安置されていたことが分かる。三角縁神獣鏡は全て木棺の外にあって、鏡面を石室の内側に向けて立っていた。椿井大塚山古墳の鏡は全て石室の壁に向かっておかれていたと言う。黒塚古墳展示館があって古墳の詳細や出土した鏡のレプリカを展示、解説している
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左:後円部にある渡り土手。右:展示館にある竪穴式石室の復元模型。

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左:前方部北側。中:前方部南側、水面は北側より一段高い。右:説明板。

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後円部墳頂、左:説明板と竪穴式石室の位置を示すモニュメント、遠景は生駒山。中:説明板。右:公園にある説明板。

展示館には出土した全鏡のレプリカが展示されている。
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33号鏡「三角縁獣帯神獣鏡」レプリカ。左:手前から。右:右手前が33号鏡。
by yumeoijyuku | 2012-05-30 16:52 | 古墳めぐり案内

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-2 (1/2)  

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古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-2   2012.5.17 (1/2)  

 今日の古墳めぐりは4月にめぐった桜井市纏向地区の北の部分になる。JR巻向駅から古代の国道「上ツ道」を北上する。桜井市と天理市の境界をこえると間もなく右手に小さい美容室「カットサロン和」がある,ここの裏手に「柳本大塚古墳」がある。径39.7㎝の内向花文鏡が出土している。後漢の鏡をモデルに作った国産品(仿製品)で後から行く天神山古墳より若干遅い時期とされた。前方部上は果樹園になっている、後円部は区画が異なり雑草が繁っていて入れない。次に行く「石名塚古墳」と「ノベラ古墳」と共に100m前後の前方後円墳で同じころ共通の企画で造られたとされている。
 上ツ道を北へ行くと、すぐ左の池の向こうに石名塚古墳がある、この古墳は西側から観察する方が見やすい、古墳を越えたところの道を左(西)へ入って墳丘を外れたあたりの「森モータース」の西の小道をはいると後円部が見られる。

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左:「柳本大塚古墳後円部。中:石名塚古墳、左手池の向こう。右:同、後円部、西から。


 「森モータース」の西の小道をはいるところか北にノベラ古墳が見える。前方後円墳であるが墳丘は削平されている。民家の裏になるので声をかけてから古墳に入ろう。一旦上ツ道にでて北から回り込む。
 上ツ道を少し南に戻り、左手に入り県道に出ると、左手南に「上の山古墳」がある。全長125m、後円部径86m、前方部幅60mの前方後円墳であるが、次に行く景行天皇陵の陪塚とされている。
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左:ノベラ古墳、南から。中:上の山古墳。右:同左説明板。

すぐ南に景行天皇陵(渋谷向山古墳)があって、県道側に拝所がある。全長約300m、後円部径168m、前方部幅170mの周濠を持つ大型の前方後円墳で、県下では橿原市の丸山古墳に次いで二番目の規模を誇る。山の辺の道ならびに県道天理桜井線沿いでは北にある崇神天皇陵(行燈山古墳)と並んで大型古墳として威容を誇っている。
 南側の周堤を後円部に廻る、周濠は渡り堤で区切られていて後円部や前方部には水が貯えられているが、空堀となっている部分もある。前方部の周濠は南側のものが異常に出っ張っている、幕末の陵墓改修で灌漑用に拡張されたものかと思われる。陵墓改修には領民を使って周濠を拡幅して灌漑用に利用できるようにする例が多い。
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左:景行天皇陵後円部、左奥に耳成山、その左に畝傍山が見える。中、右:説明板。

昼食後龍王山古墳群に向かう。ろ号陪塚を経て渋谷町公民館の所を右に行って崇神天皇陵に向かう。途中防火水槽のある辻を右に山の方へ行き、龍王山古墳群を目指す。
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左:右に景行天皇陵後円部。中:龍王山への途中の池の堤の端に「オカタ古墳」がある。右:ここの池の岸部に昼間からフクロウが居てこちらを監視していた、よく見ると・・・。

龍王山には総数1,000基におよぶといわれる古墳・横穴の密集地として有名な奈良県下最大の龍王山古墳群がある。この古墳群は標高586mの龍王山の西南斜面の標高150m~450mの間に分布している。
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左:途中崇神天皇陵から上る道との合流点。中、右:古墳群へ。

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登山道の両側に小円墳が無数にある。

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左:登山道脇に何気なく置かれている石仏、元来六体彫られていたものが、上部がなくなっているらしい。右:古墳開口部。
 古墳群はここの先にもたくさんあるが、今日は時間の都合で引き返し、崇神天皇陵へ向かう。→その3-2 (1/2)  へ
by yumeoijyuku | 2012-05-17 21:14 | 古墳めぐり案内