古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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カテゴリ:現地説明会、講演会( 63 )

友史会6月例会 参加報告

橿考研友史会6月例会「倭屯倉の古墳群」参加報告
6月20(日)梅雨の合間の曇り一時小雨の中、約170人が参加して開催された。

まず、この日に合わせて河合町の公民館にある文化財展示室を早くから見学させていただいた。
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近鉄田原本線「池部駅」を10時に出発。順路にある、聖徳太子が建立した四六ケ寺の一つ「長林寺」に寄ってから「高山二号墳」に向かう、径約35mの円墳で周濠が巡っていたことが確認されている。その南の幼稚園の西の田圃に「高山三号墳」がある、径約30mで幅約5mの周濠が確認され、ここから五世紀中頃後半の須恵器が出土している。
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左、中:高山2号墳、右:高山3号墳

ここから東へすぐの北側に「中良塚古墳(高山一号)墳」がある全長約88mで北に開く二段築成の前方後円墳。西側に幅約14mの周濠の痕跡がある。中期後半。
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中良古墳。前方部東側

中良塚古墳から東へすぐの西穴闇(にしなぐら)交差点を南へとると左手向うに「川合大塚山古墳」がある。前方部を南に向けた全長197mあって幅約40mの周濠跡が確認できる。竪穴式石室があったと考えられているが詳細不明。中期後半。県道の東には九僧塚古墳があって副葬品埋葬用の古墳と考えられている。主墳の東側にも同じような高まりがある。
大塚山古墳群として以上の外に大塚山古墳の北に丸山古墳、北東に前方後円墳城山古墳があるが実態はよくわかっていない。
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川合大塚山古墳、左:エッ流水さん?・・・ではなかった。右:外堤部から東の後円部へ入る

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河合町文化財展示室資料、左:川合大塚山出土埴輪、中:同中良塚古墳、右:円筒埴輪、川合大塚山(左)、中良塚(中)、城山古墳(右)

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河合町展示室の航空写真:中央が川合大塚山古墳、上の右手が中良塚、小さい丸の左が高山3号墳、その右が2号墳、右の大きい丸が城山古墳、その左が丸山古墳。右上は大和川。右上が北方向で大和川を渡って斑鳩町に至る。

近くの広瀬神社で昼食の後、三宅古墳群に向かった。広瀬神社から南に向かいそして東へ曽我川、飛鳥川を渡って東へ向かうと「島の山古墳」に着く、川西町・三宅町一帯はかつて垂仁・景行天皇期に大和政権の直轄地として置かれた「倭屯倉」の想定地とされている。三宅古墳群は倭屯倉と非常に関わりの深い古墳群と考えられている。身分の高い者しか造ることができなかった前方後円墳が、規模が最大で最北端にある「島の山古墳(川西町)」以外は規模が小さいが密集していることもその理由の一つに挙げられている。
島の山古墳は全長200mの南東に開く三段築成の前方後円墳で水を湛えた周濠が巡る。後円部にあった竪穴式石室の竜山石製天井石が持ち出されて古墳の西に接する「比売久波神社の拝殿前の踏み石として置かれている。前方部の粘土槨から緑色凝灰岩製の車輪石、鍬形石、石釧や勾玉などが大量に出土して話題になった。前期末の古墳で古墳群中最古。
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島の山古墳、左:南東隅より、中:周濠と後円部、左:比売久波神社の拝殿前の踏み石

この後南へ向い寺の前古墳、高山古墳、瓢箪山古墳、アンノ山古墳、大王塚古墳とめぐり、最後は黒田大塚山古墳で解散となった。
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寺の前古墳

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今日案内していただいた安原貴之先生。右の友史会世話役持参のFMアンテナで、説明はFMラジオで聞ける。

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大王塚古墳

黒田大塚山古墳は全長約55mで、西に開く前方後円墳。幅8mの周濠が巡っていたといい、公園として整備されその区域が明示されている。周濠から円筒埴輪他の埴輪や鳥形・蓋形木製品が出土している。後期初頭。
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黒田大塚古墳、右は墳頂から北方を見る、電車は近鉄田原本線

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今日の終着点、近鉄「黒田駅」

解説は「友史会報」を参考にしました。

(写真はクリックすると拡大します)
by yumeoijyuku | 2010-06-21 14:10 | 現地説明会、講演会

植山古墳見学会 2010.5.1

5月1,2日と橿原市による現地見学会が行われた。定員以上の申し込みがあって参加者は抽選で決められた。我々は11時15分近鉄「橿原神宮前」集合のグループで、市のマイクロバスで現地に向かった。
配布された橿原市教育委員会「史蹟植山古墳」によると200年と2001年に発掘調査が実施されており、その成果をもとに2002年には国史蹟に指定されている。現在史蹟公園整備中。
植山古墳は地山を削り出して整形された約40m×30mの方墳で高さは約3~6m。南に面しており東・西・北には上幅約10m、底幅1.6~3mの堀が巡っていて、底には結晶片岩と花崗岩を用いた石敷きが施されていた。

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整備中の公園を通って墳丘へ

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古墳全体をシートでカバーして保護している。北側の壕、右手が南になる。

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右手に石室への見学路が見える

南に開口する2基の横穴式石室があって東石室は両袖式で、全長約13m、玄室長約6.5m、幅約3~3.2m、玄室残存高さは約3.1mあった。玄室には熊本県の阿蘇溶結凝灰岩(阿蘇ピンク石)で造られた刳抜式家型石棺が遺存していた。蓋の長さ2.52m、幅1.53~1.58m、棺身を含めた高さ約1.7m。

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東石室:古墳全体を覆う屋根の支持材のためみにくい。

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2001年の現地説明会で撮影したもの

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西石室

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2001年撮影

西石室は全長約13m、玄室長約5.2m、幅約2.5m、玄室残存高さは約4.5mあった。玄門部には兵庫県高砂市産の凝灰岩(竜山石)製の閾石(しきみいし)が残っていて石製扉が有った、他の古墳では例がない。石棺は遺存していなかった。
橿原市の資料では東石室は古墳築造と同時の6世紀後半に、西石室はその後7世紀前半に築かれたもので当時の人々にとって特別な古墳だったとしている。
『日本書紀』には628年に亡くなった推古天皇は死後には竹田皇子の墓に葬ってくれるように遺言し、そのようにされたとあるので先ず植山古墳に埋葬され、その後大阪府太子町の現推古天皇陵に改葬されたという説も取りざたされているが、未確認なので市の資料は被葬者については言及していない。

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今日案内していただいた橿原市教育委員会の西坂さん、ありがとうございました。

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西に五條野丸山古墳、西北に畝傍山

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西南西約600mの「八咫烏神社」の踏み石:扉石の一部とされている
by yumeoijyuku | 2010-05-02 17:20 | 現地説明会、講演会

甘樫丘東麓遺跡現地見学会の報告

奈良文化財研究所の現地見学会 2010.03.20

蘇我蝦夷・入鹿の邸宅があった甘樫丘で以前から調査していたシリーズの調査現地の見学会があった。2008年度の調査区の南東に隣接した箇所が調査された。

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調査地の位置:この看板のある場所のすぐ後ろの広い谷間部分が調査されている。右の赤い部分が今回の調査地

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調査地平面図、左が北、突き出ている区画が斜面でその先端部に柱列がある

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前回157次(2008年度)調査地。この右手が今回の調査地。

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今回の調査区全体:中央部斜面上部に柱列が見つかった

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建物と柱列

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後世に耕作された畝が検出されている

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石敷左:南東から。中:西から。右:左の石敷きの奥に「焼土遺構」とあるが時期は確定されていない

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左:斜面上部の囲いの柱列。右:柱列の模式図。ここの後ろの平坦地に建物がある可能性が出てきた。

報告資料「まとめ」の概略は「これまでの調査に引き続き、谷は7世紀から大規模な造成を繰り返しながら土地利用を行っている。丘陵の中腹に区画施設があることがわかり、今までの谷間だけでなく、丘陵の上にも遺跡が広がる可能性が広がってきた。」というものである、これは蘇我氏の邸宅が見つかる可能性に言及していると理解したい。
by yumeoijyuku | 2010-03-21 23:50 | 現地説明会、講演会

飛鳥寺西方遺跡現地見学会報告

飛鳥寺西方遺跡調査現地見学  2010.3.20

今日は明日香村教委の飛鳥寺関係と奈文研の甘樫丘東麓遺跡現地見学会があった。先ず明日香村の見学会の報告をする。

飛鳥寺の西門付近では今までに石組溝110m、敷石遺構70m、土管暗渠が南北160mに亘って有ることが調査で分かっていた。今回の調査地点は入鹿の首塚南へ約70mの地点で、それらが西方地域のより南側にも広がっていることがわかった。
飛鳥寺西方地域は中大兄皇子中臣鎌足が出会った場所と言われている。

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左:石組溝(奥)と土管暗渠(西より)。右:土管暗渠

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石敷遺構とバラス敷(奥)、遠景は甘樫丘(白いテントの左に見える車の列の辺りが奈文研の調査地の甘樫丘東麓遺跡。北東より

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同上南西より、左奥に飛鳥寺

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現地遠景、甘樫丘見学会場の前より

明日香村教委の西光さん、相原さんにお会いできた。相原さんは奈良大学の元学長水野先生の秘蔵っ子。
by yumeoijyuku | 2010-03-20 23:02 | 現地説明会、講演会

橿考研友史会例会参加報告 10.02.21

2月221日は橿考研「友史会」例会で平群町の古墳を案内してもらった。

10時近鉄生駒線「平群駅」集合、橿考研附属博物館の千賀先生の案内で出発。
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まず三里古墳で千賀先生の解説、上部中央でマイクを持っている。奥に設えている棚は紀州でよくある棚とは目的が違うので紀氏との関係は疑問視されている。紀州のものはもっと上部にあって、結晶片岩製の脆い構造を補強する役割がある。

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左:長屋王墓左と右:吉備内親王墓

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ツボリ山古墳、左:墳丘と右:石室・・・石室には刳抜式家型石棺が残っていた。奥に石棺の胴部が破壊された底と、これも破壊された蓋が奥に落ち込んでいる。手前にも胴部の底だけが残っていた。

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ツボリ山からの展望。平群の各古墳は見晴らしの良い好位置を占めている。

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西宮古墳のある平群中央公園へ。竜田川沿い歩く、遠景は矢田丘陵、この東は斑鳩町。

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左:西宮古墳での説明。右:墳丘に残る貼り石

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剣上古墳墳頂、向うは生駒山

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井文字川沿にある旧石床(いわとこ)神社、現在の社はここの北に移っている。高さ約6m、
幅約10数m。古墳に使われる花崗岩はこのような岩を切り出して使われる場合が多いという。

柿塚古墳、烏土塚古墳では石室に入った、柿塚古墳は石室の開口部が狭く出るときが難儀で苦労していた、朱雀は何回も入っているので柿塚、烏土塚共に入室は控えた。
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烏土塚古墳前方部、向うの公園の左手に西宮古墳が見える

この後、メンバーは竜田川の東、矢田丘陵麓にある椿井宮山塚古墳、宮裏山古墳を回るが、パスした。
 
今回の主眼は平群谷の古墳はまず5世紀中葉から後半にかけて剣上塚古墳が築かれる、新興勢力による平群谷の開発が、このころから開始された。

これに続く①椿井宮山塚古墳→勢野茶臼山古墳(三郷町にある)→柿塚古墳。②烏土塚古墳→宮裏山古墳→西宮古墳。③ツボリ山→大谷古墳(三里古墳北方約500m)の3つの系列があってそれぞれ平群谷の族長が勢力を拡大する画期を示しているということであった。

特に烏土塚古墳は立地の良い地点に前方後円墳を造ることができ、石室も桜井市越塚古墳、狐塚古墳と同類のもので地域的な広がりを持っており、6世紀後半の時期に平群氏が勢力を持ってきた証であるという。
by yumeoijyuku | 2010-02-22 16:59 | 現地説明会、講演会

飛鳥京跡発掘調査報告会の報告

飛鳥京跡第164次調査by橿原考古学研究所、2010.2.14

 今日は朝から別の用事を済ませて近鉄橿原神宮前駅に着いたのが14時でバスは40分後しかなかったので飛鳥まで歩くことにした。歩いているうちに汗をかきだしたので途中でジャンパーを脱いで14時40分頃の到着となった。
 現地では1時間ごとの説明ということでこれも待ち時間が有ったので先に現場を見て回った。現場は飛鳥寺の南方150mの1区とその西方の2区であった。今回の調査は飛鳥京跡の北限はじめ飛鳥京跡外郭北部の様相を調べるもので、世界遺産登録に向けた「世界遺産登録推進事業」の一環と位置付けされている。
調査地:「飛鳥寺」と書かれた北に飛鳥寺が有って、その150m南付近になる
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調査掘り方、右:1区、左:2区
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先ず1区では堀り方の南端で飛鳥京跡最大となる幅3mの石組溝が検出された。これは以前の調査で東西に走る溝の延長線上にあって、西の飛鳥川への排水溝であろうとされている。この溝の北の壁は壊されていて大量の土師器、須恵器が捨てられていた。これらの土器から7世紀末に溝が埋められたと分かった。
左:1区掘り方、(北より)南端に東西石組溝。右:石組溝
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出土した須恵器
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2区の掘り方では以前の調査で分かっていた飛鳥寺南の石敷広場の一部が検出された。そしてその南には一段下がってテラス、さらにその南には幅90cmの石組溝が東西に走り、そこへ南から南北石組溝が取りついていた。
左:北に石敷広場手前にテラス、東西石敷溝、南北石敷溝、向うの山は甘樫丘北端。右:東西石敷溝(東から)
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すぐ北に飛鳥寺
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華々しい成果ではないが飛鳥京での調査は164次となっている。当初は1期~3期にわたる飛鳥の宮殿遺跡の発掘が主であったが、その中心主要部はほぼ明らかになってきており最近では周囲の様子を探ることに力を入れられるようになってきている。
帰りに飛鳥寺からバスに乗るとnagiwiさんが乗っていた、以前にも飛鳥の現説でばったり会っていて世間は狭い。
by yumeoijyuku | 2010-02-15 22:44 | 現地説明会、講演会

水瀬離宮跡想定地の調査現地説明会

大阪府島本町の現場2010.1.24

今日はいよいよ水無瀬離宮跡候補の「広瀬遺跡」現地説明会の日、10時前に余裕を持って行ったが沢山の人が集まっていた、飛鳥京の一日に何回も区切って行われる説明会の2~3回分くらいの人出であった。
 以下島本町教育委員会の「広瀬遺跡(国木原:くぬぎはら)発掘調査現地説明会資料」による。
この付近では弥生時代から近世に至るまでの長い期間の遺物が見つかっている。今回の調査では鎌倉時代のものと推定される時期に造られた石敷き溝や礎石建物が検出された。屋根の棟に瓦が使われた桧皮葺で、柱間隔が4.2mの巨大な建物が考えられるという。
 後鳥羽上皇の水無瀬離宮は最初に造られた水無瀬神宮を中心とした下御所が1216年に洪水に逢い、山側に造られたのが上御所で、この上御所と水無瀬神宮の中間に位置している。「今まで実態の分からなかった後鳥羽上皇の院の御所であった水無瀬離宮跡について、関連する大規模な施設の一部をはじめて確認した可能性は極めて高いと思われる」。

現地:左はJR京都線島本~山崎のほぼ中間、中央は島本第一小学校
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町教育委員会生涯学習課 久保さんからの説明
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発掘現場第2トレンチ
根石で固められた柱跡と建物配置想定線
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雨受け溝跡、右手前から左奥へ伸びている
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第2トレンチ概観:右手が雨落ち溝。右は建物想定図
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第1トレンチでの説明、見学者がギッシリ
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出土した瓦片
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後鳥羽上皇がたたえた風景、左:水無瀬川上流部の山々、手前に名神高速道路。右:右手が天王山
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左:大正時代に大阪府が建てた離宮の碑、もとは空き地の真ん中にあったが、隅っこにひっそりと建っている。朱雀は右手のマンションの向こうあたりに住んでいるノダ。右:左の碑から今回の発掘現場を望む、JR線の向う中央の小学校付近
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by yumeoijyuku | 2010-01-24 22:08 | 現地説明会、講演会

水瀬離宮跡調査

10.1.23

今日の朝、毎日新聞を見てビックリ!島本町の記事が第1面に載っている。「後鳥羽上皇「水無瀬離宮」か」とあって後鳥羽上皇ほか2天皇を祀る水無瀬神宮の西約600mで「大規模遺構発見」とあって写真も掲載されている。
 こんな調査が実施されていることさえ知らなかった。24日に現地説明会があるということであるが、待ち切れずに行ってみた。

3時頃に行ったが、今日も現場では遺物の計測作業が行われていて、説明会の準備らしいことは何もしていなかった。
案内板
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作業中
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南から
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北から、付近は小規模であるが住宅建設が進んでいる。
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現場は町立第一小学校のすぐ西でJR京都線の近くだった(電車からは見えない)

後鳥羽上皇が承久の変で島流しにされるまでよく利用していて、水無瀬の山々を歌に詠んでいたという。
「見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となにおもひけん」が有名。
水瀬の山々、手前はJR京都線
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明日の説明会に期待。
by yumeoijyuku | 2010-01-23 21:07 | 現地説明会、講演会

纏向遺跡発掘調査現地説明会

09.11.15(日)

事前に見学したが都合をつけて説明会に行った。
概略は事前見学のとおりであるが、シートを取り外した現場を近くで見学できた。

大型建物、西南角から。右奥はJR桜井線、すぐ右手が「巻向駅」
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同上東から
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同上北西から
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南に箸墓古墳、左の建物の向こうが後円部、右手が前方部
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巻向駅ホームより天理方面
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復元案をもとに作られた模型、前回調査を合わせて、これらの建物跡が検出された。
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一番東の大型建物
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現地説明のまとめとして、「方位や軸線を揃えた建物が東西に4棟連続して構築されていた。・・・このように複雑かつ整然とした企画に基づいて構築された建物群の確認は国内でも最古の事例となるもので、これまでに判明している弥生時代の大型建物などとは一線を画する構造を持つもの」として、卑弥呼の居館であったと言った説明はなく、同時代ということだけだった。また周辺地区の調査はさらに続けられる。

翌日16日の毎日新聞によると、「2日間の入場者は約11,300人、説明の最終は4時過ぎ」となっている。朱雀はその最終組に滑り込んでの見学でした。15分刻みの見学予定だったが、最終組の余得として退場を急かされず十分見学できた。
by yumeoijyuku | 2009-11-15 23:36 | 現地説明会、講演会

橿考研「友史会」11月例会参加報告

09.11.8(日)
「磐余地域の古墳を巡る」
案内橿考研岡林孝作先生
JR、近鉄「桜井駅」に集合、朝10時にスタート。参加人員は約200人。
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先ず先月末に発掘調査現地見学会があった桜井茶臼山へ向かう。埋め戻し作業の合間に見学させていただいた。

墓壙の埋め戻し、白いシートは既存遺構と埋め戻し材との混同防止処置。前回調査後も処理されていたが腐食していたという。
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今回の見学会資料では「岩山を削りだした後円部の中央に、長方形の墓壙を掘り」としか記載されていないが、竪穴式石室の納まった墓壙は南北11m、東西約4.8m、深さ2.9mの規模で、花崗岩岩盤を彫り込んでいたという。60年前の調査でもそのことは報告されていたが注目されていなかったが、今回の調査で確認された。丘尾切断型墳丘であるが風化していたとはいえ花崗岩を彫ってまで築造された特異性が浮き彫りになった。

上:南の木棺取り出し部。下:石室内部石積(左:下部、右:上部)
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取り出された石室石材
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作業中にお邪魔しました。
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この後文殊院西、東古墳到着。昼食後各自見学し阿部寺跡、から谷首古墳見学となった。

岡林先生の説明(写真公開については先生の了解を得ています)
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谷首古墳石室内での説明
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兜塚古墳墳丘
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同上石棺と石棺内部、石棺は前後とも盗掘口が穿かれていた。
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最後は艸墓古墳を見学して、現地解散。

岡林先生、友史会世話役のみなさんありがとうございました。
by yumeoijyuku | 2009-11-08 22:51 | 現地説明会、講演会