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カテゴリ:現地説明会、講演会( 63 )

友史会 2011海外遺跡の旅 参加報告10/12

11月27日、西安→上海→上海博物館

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左:西安咸陽空港へ。中:空港到着。右:手続き待ち。

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左:搭乗手続き中:。中:大明宮は去年の10月1日に開園している。右:搭乗口へ。

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左:空港風景。中:駐機場所までバスで移動。右:同形のバス。
バス乗車中にアクシデント発生!!カメラを落として壊してしまった・・・。でも安心、友達から借りてきた予備のカメラがある。しかし、カメラは託送しているので上海到着まで使用できなかった。(現在携行品事故の保険請求中。)

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左:託送バッグを受け取って撮影再開。上海空港近くの街並み。中:鉄道駅.右:リニアカーの線路、運行中の車両は撮影失敗。

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上海寸景

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上海博物館。中:解説・・商(殷)、周における(およそ前16世紀~前3世紀)の出現期から、漢・魏、南北朝に至る焼き物。右:西周の焼物。

次の写真からは五代以降。

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白釉蓮華紋刻壺、「官」印あり、五代時代(907~960年)

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景徳鎮窯春壽銘青釉雲竜紋、明洪武期(1368~1398年)。
テレビの「お宝鑑定団」の通り、皇帝のものは竜の爪が5本描かれている。

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景徳鎮窯青磁絡み花紋水指、明宣徳期(1426~1435年)

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景徳鎮青緑色釉皿青釉蓮と魚絵、明成化期(1465~1487年)

この「海外遺跡の旅 藤原京・平城京の源流を求めて」は橿原考古学研究所 友史会主催のもと前園實知雄先生による資料作成・現地同行解説、㈱国際交流サービスの旅行・見学手配ならびに現地における補助説明によって実施されました。関係者の方々に感謝いたします。

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2011-12-09 22:48 | 現地説明会、講演会

友史会 2011海外遺跡の旅 参加報告9/12

11月26日その2、秦始皇帝兵馬俑・陵→唐橋陵→唐恵陵

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2号坑の武人達1、歩兵。右:靴裏の滑り止めまであらわしている。

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同上2、中級軍使。

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同上3、高級軍使(将軍俑)。

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左・中:保存作業。右:場内旅客サービス棟で昼食、連日昼・夜は同じような料理が出された。ホテルの朝食は毎日同じ中華・洋食バイキング。
 兵馬俑は皇帝陵を守るために「東西南北四方にあって陵を守っている」と考えられていたが、今では御陵の東だけに有って、東からの敵から守るために造られたとされている。

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左:始皇帝陵入口、兵馬俑からは約1km離れている。中:世界遺産の標識。右:始皇帝陵
 墓道は東西南北を一片とする方形の東西南北各辺の中央部に取り付いているが、東墓道が大きく東門が正門とされている。地下には水銀の川が流れていると古くから伝わっている。実際の調査でも水銀の反応が強いという。

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唐朝第5代(684~690)・8代(710~712)皇帝睿宗・李旦の橋陵。左:墓道、石版をモザイク様に敷き詰めた参道が延々と続く。中:標識、橋の字が旧字と簡体字が使われている、簡体字は1956年以降順次使用されてきたが左の標識は1983年であるが旧体字が使用されている、右の標識は1988年建立で簡体字使用。右:神獣、小さい羽根を持っていて水陸空を駆けるという。

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唐朝第9代玄宗皇帝の兄李憲の唐恵陵(死後帝位が送られている)。左:墳丘。中:門、常時は閉まっているが特別に開けてもらえた。右:墓道。

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同上、左:墓室。中:石棺と言っても人が立って入れる。右:石棺内。
24日に訪問した唐・永泰公主墓、章懐太子墓も同様の墓室・石棺を持っていた。

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左:人物線刻、二人向かい合っている。右:線刻模様。


この「海外遺跡の旅 藤原京・平城京の源流を求めて」は橿原考古学研究所 友史会主催のもと前園實知雄先生による資料作成・現地同行解説、㈱国際交流サービスの旅行・見学手配ならびに現地における補助説明によって実施されました。関係者の方々に感謝いたします。

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by yumeoijyuku | 2011-12-08 16:42 | 現地説明会、講演会

友史会 2011海外遺跡の旅 参加報告8/12

11月26日その1、秦始皇帝兵馬俑博物館

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玉祥門、西安市中心部を囲む城壁の西壁にある2つの門のうち北側の門。朝の集合前にホテルから歩いて、西約15分の玉祥門へ行った。今回旅行の唯一個人行動での市内見学だった。

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兵馬俑博物館。左:兵馬俑陳列棟。中:一号抗。右:始皇帝陵。
西安のホテルからバスで約45分、博物館入口前まで特別にバスで入らせてもらえた。

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始皇帝陵の封土近くで発掘された銅車馬。左:皇帝用の馬車。中:妃用の馬車(屋根がついている)。右:出土状況。

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中:出土品の復製品。右:着用例。

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左:一号抗展示庁。中:入口。右:博物館と皇帝陵(左奥、黄色い札の手前)の模型。

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左:一号坑解説。中・右:兵馬俑。

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左:兵馬俑。中・右:発掘、整理中のものが置かれている。

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左・中:出土時点では着色がよく残っていた。右:1974年3月、井戸を掘っているとき兵馬俑を見つけた最初の発見者の一人、揚継徳さん。20元でサインと写真を撮らせてくれる。


この「海外遺跡の旅 藤原京・平城京の源流を求めて」は橿原考古学研究所 友史会主催のもと前園實知雄先生による資料作成・現地同行解説、㈱国際交流サービスの旅行・見学手配ならびに現地における補助説明によって実施されました。関係者の方々に感謝いたします。
by yumeoijyuku | 2011-12-08 10:22 | 現地説明会、講演会

友史会 2011海外遺跡の旅 参加報告7/12

11月25日その3、大明宮

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左:大明宮遺址博物館。中:大明宮配置模型。右:麟徳殿復元模型。
大明宮は唐長安城外北東部に突き出たところにあって、歴代皇帝の住まいであった。

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左:麟徳殿で接待する則天武后。中:接待を受ける日本の遣唐使、粟田真人と言われている。右:説明

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左:鴟尾、昭陵から出土。中・右:大明宮の瓦1。

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大明宮の瓦2。

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白石象、2004年大明宮遺跡出土。

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左:含元殿平面図。中:解説。右:含元殿復元模型。

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含元殿。大明宮の正殿で皇帝は主にここで政治を司った。群臣との会食、外国使節との謁見、大典、閲兵など重要な儀式を行った。左:含元殿東より。中・右:含元殿最南端、ここの眼前に下の写真中央の広場が広がる。。

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左:含元殿の宴会場。中:正殿前広場ここに文武百官が整列する。右:広場から見た含元殿。

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大明宮屋外模型。左:中央に太液池。中:太液池の西にある麟徳殿。右:含元殿、中央部右手に数本ある樹木の向こう。この右手に広場がある。

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右・中:含元殿復元模型。右:電気用マンホール


この「海外遺跡の旅 藤原京・平城京の源流を求めて」は橿原考古学研究所 友史会主催のもと前園實知雄先生による資料作成・現地同行解説、㈱国際交流サービスの旅行・見学手配ならびに現地における補助説明によって実施されました。関係者の方々に感謝いたします。

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by yumeoijyuku | 2011-12-06 23:36 | 現地説明会、講演会

友史会 2011海外遺跡の旅 参加報告6/12

11月25日その2、陝西省考古研究殷→唐皇城牆含光門、同遺址博物館→唐長安城大明宮

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陝西省考古研究院。左:表札。中:歓迎表示。右:研究室内部

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左・中:出土品の保存作業。右:今回の旅では行かなかったが「大雁塔」がかすかに見えた。
 研究院はドイツの協力のもと、発掘担当部署から依頼される出土品の保存処理を行っている。処理した遺物の一部を展示しているが撮影禁止。

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左・中:唐皇城牆含光門。右:博物館入口。
西安市内中心部の長安城城壁は時代と共に変化してきた。現在あるのは明代のもの。

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左:城壁断面図。中・右:城壁遺跡

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西門道跡

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左:シルクロード起点の標識。中:含光門模型。右:同左通路。

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長安城大明宮。左:案内標識。中・右:大明宮の南中央の丹鳳門。


麟徳殿跡。大明宮北部にある太液池西方の西壁近くにあって宮廷貴族や外国使臣の大宴会場、南北130m余、東西80mの壮麗な宮殿。日本の遣唐使の最終目的地である。遺跡は復元遺跡の下1.5mに保存されている。

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左:麟徳殿案内標識。中:模型。右:復元平面図。



 この「海外遺跡の旅 藤原京・平城京の源流を求めて」は橿原考古学研究所 友史会主催のもと前園實知雄先生による資料作成・現地同行解説、㈱国際交流サービスの旅行・見学手配ならびに現地における補助説明によって実施されました。関係者の方々に感謝いたします。
by yumeoijyuku | 2011-12-06 21:12 | 現地説明会、講演会

友史会 2011海外遺跡の旅 参加報告5/12

11月25日その1、陝西歴史博物館

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左:陝西歴史博物館正面。中:案内板。右:表札。
国立博物館なので「省」が入っていない。

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左:前園實知雄先生。中:先生と館長。右:博物館館長。
当博物館では今回、奈良県・奈良県立橿原考古学研究所主催の特別展「日本考古展」が開催されている関係で、館長自ら歓迎していただき、館長と前園先生の賀詞交換で始まった。館長からは①遣唐使以来国同士の付き合いがある、②中国最初の日本考古展が開催できた、③日中歴史のつながりを感じてほしい。との挨拶があった。

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VIPルームで接待を受けた。

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日本考古展導入部①

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同上②日本語での紹介がある。

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日本の出土品①

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日本の出土品②

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日本の出土品③

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左:博物館エントランス。中・右:陝西省の主力はやはり兵馬俑。

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天空高く凧が泳いでいた。左:博物館から。中・右:皆さん関心がある。


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by yumeoijyuku | 2011-12-05 23:55 | 現地説明会、講演会

友史会 2011海外遺跡の旅 参加報告4/12 

11月24日その2、永泰公主墓→章懐太子墓→唐乾陵

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左:永泰公主墓入口には土産物の売人。中:案内略図。右:乾陵博物館

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左:絹の道、当然西安で終わっている。中:胡人がやってきた。右:唐三彩、胡人と駱駝

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左:永泰公主(皇女)墓入口。中・右:墓道、かなりの傾斜で掘り込んでいる。

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左:墓道。右:墓室入口、墓室内には石槨がある。(石室内部は同様の章懐太子墓参照)。

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左:章懐太子墓入口、太子は則天武后の子、母親の機嫌を損ねて庶民に落とされたまま死亡するが、弟の4,6第中宗帝によって名誉回復、埋葬された。。中:説明板。右:墓道

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左:朱雀。中:墓室入口(玄門)。右:同右細部。

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石槨。左:上部角、中:左の下部の線刻、その下は床石、右:壁の線刻。


唐朝第3代高宗李治と皇后の則天武后の合葬陵、乾陵。左:参道南端から見た御陵となっている梁山。中:馬と石人。右:その先には武人像が続く。

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左:参道西の闕(三回折れ曲がっている、東も同じ)。中:東の闕。右:将軍像

 この「海外遺跡の旅 藤原京・平城京の源流を求めて」は橿原考古学研究所 友史会主催のもと前園實知雄先生による資料作成・現地同行解説、㈱国際交流サービスの旅行・見学手配ならびに現地における補助説明によって実施されました。関係者の方々に感謝いたします。
by yumeoijyuku | 2011-12-05 23:50 | 現地説明会、講演会

友史会 2011海外遺跡の旅 参加報告3/12

11月24日その1、唐昭陵→昭陵博物館

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ホテル5階居室から。

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左:唐昭陵に向かう。中:渭河(いが)を北へ越える。右:山道を延々と上る。

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左:昭陵のある山。中・右:参道付近からの眺望。

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左・中:参道。右:ここに唐朝を実質的に創業した2代太宗李世民(立像が建っている、626~649年)が眠る。
山上陵制の初めで、以後平野に築かれた3陵を除き、他の15陵は皆、渭河北岸の山に設けられた。

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参道にある西闕遺跡(闕=けつ、宮門の脇に築いた台、その上を物見とした)。左:参道南東から。中:北東から。右:説明板。

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昭陵博物館へ。左:道路がきれいに整備されている。中:博物館の入口。右:奥は陪臣李勣の墓。

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左:文官俑。中:三彩。右:園内点景

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墓標類

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乾陵へ。左:沿道にみられる墓地、墓標が立つものもある。中:乾陵が近い。右:永泰公主墓入口。

 この「海外遺跡の旅 藤原京・平城京の源流を求めて」は橿原考古学研究所 友史会主催のもと前園實知雄先生による資料作成・現地同行解説、㈱国際交流サービスの旅行・見学手配ならびに現地における補助説明によって実施されました。関係者の方々に感謝いたします。
by yumeoijyuku | 2011-12-05 23:18 | 現地説明会、講演会

友史会 2011海外遺跡の旅 参加報告2/12

11月23日、漢長安城→長陵→陽陵

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ホテルのバックに立っている秦始皇帝像

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左:バス2台に分乗して出発、前は1号車。右:沿道風景

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左:前漢長安城未央宮跡到着、中:半地下式の建物跡。見えている構築物はすべて復元物、遺構はこの下1.5mに保存されている。右:左(ハンドマイク)は旅行社の社長で遺跡関係はプロ級で中国語と共にベテラン。中央の女性は中国の権威ある考古学者で解説していただいた。

城は西安市内北西部にあって、かつては周囲22.5kmに亘って城壁がめぐらされていた。未央宮はその南西にあって皇帝が政務を執り行う場所、東西2km強の方形で南北は若干短く城内総面積の約1/7を占める。。「未央」とは盛時に至る過程で、勢いを保っているという意味。

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未央宮から西安市内を望む、大都会西安では建設工事が盛んにおこなわれている。

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左:前漢長安城平面区画模型、左手前角が未央宮区画。中:氷室。右:氷室の溶氷の排水口。

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左:「漢長安城遺跡碑」。中:建物の標識。右:建物の雨落ちの石敷き、暗渠に流れ込む。

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左:昼食のレストラン前に飾られていたベンツ。中:中では結婚披露宴が催されていた、親族数百人が参加するという。右:マンションのほとんどは高層マンション。

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左:前漢高祖劉邦の長陵、正面は過去何度もの盗掘のため崩れている。右:呂后陵、向こうに火力発電所群。

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左:前漢第6代劉啓陽陵。中:漢陽陵考古陳列館。右:陽陵模型、周囲に陪葬抗が無数にある。

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陪葬抗内の例。左:一面に陶俑があって人物、馬車等が置かれている。中左:人物俑の発掘状態。中右:同左。右:馬車、木槨と共に復元。
人物には男性、女性、宦官の区別がされている。


 この「海外遺跡の旅 藤原京・平城京の源流を求めて」は橿原考古学研究所 友史会主催のもと前園實知雄先生による資料作成・現地同行解説、㈱国際交流サービスの旅行・見学手配ならびに現地における補助説明によって実施されました。関係者の方々に感謝いたします。
by yumeoijyuku | 2011-12-03 22:53 | 現地説明会、講演会

橿原考古学研究所友史会例会参加報告 2011.6.19

今日は時々小雨の中の古墳探索でした。案内の今尾先生は「雨には強いほうですが、今日は誰かが雨乞いをしているらしい」とのことでした。

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左:集合場所の近鉄西大寺駅付近の「ふれあいセンター」、右:今日の案内は橿原考古学研究所付属博物館学芸課長の今尾文昭先生。

最初は佐紀陵山古墳を訪問、この古墳は現在宮内庁で「日葉酢媛陵」としているが元禄の修陵の時、村役人は「神功皇后陵」と答えている。御陵として祀られていた。すぐ南に山上八幡神社があって神功皇后の子である応神天皇との関係があったのかもしれない。

幕末に西大寺関連絵図などでは今の五社神古墳を御陵としているという見解が強くなって、文久の修陵で治定かえされたという。後円部には墳頂に向かって参道があって半腹に門があって雨乞いや安産祈願がされていたという、神功陵としての信仰があった。御陵の調査はされていないが1916年(大正5年)に盗掘事件があって竪穴式石槨、方形の石垣があって直径2mの大型衣蓋、直弧文がある高さ108㎝幅80㎝の盾形、家形埴輪などの配置があることが分かった形象埴輪は大型、精巧なもので出現期に位置づけられるという。他に銅鏡5面、他の副葬品が多数あった。
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左:佐紀御陵山古墳前方部での解説、中:前方部西側渡堤、右:西側前方部側の周濠内島状張出部。

この陵山古墳と西にある佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)との間の通路を北へ抜ける。石塚山古墳は1844年(天保5年)に石棺が掘り出されて勾玉50個、1848年には棺内から朱と管玉68個を取り出したとある。絵図にも後円部墳頂に露出した長持形石棺が描かれていたという。

近鉄線路を超えて現在の神功皇后五社神古墳へ行く。五社神古墳拝所内西に8基の石灯籠があるが、神功皇后陵が佐紀御陵山から治定変えになったとき遷してきたものである。宮内庁の内規変更によって陵墓立ち入り観察の第一号となって学会代表者による“観察”を2008年2月に行っている。今日案内していただいている今尾先生もその一員として参加されている。

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左:佐紀石塚山古墳(右手)後円部周濠、北より見る。御陵山古墳後円部(左手)に接し、狭く造られている、中:近鉄線路を北へ渡って、五社神古墳へ向かう、狭かった道に歩道ができて歩きやすくなっている。右:拝所にある灯篭、佐紀御陵山古墳から治定替えに伴って移されてきた。

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左:五社神古墳前方部、中:前方部南西角、右:前方部西側面、南から見る。

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左:五社神古墳後円部、中:官民境界標、周濠につながる溜池がある、右:前方部、東から。

昼食後は佐紀古墳群西群東小支群と位置付けされた古墳をめぐる。北からオセ山古墳(ゲンオ塚、マラ塚)塩塚古墳、瓢箪山古墳、衛門戸丸塚古墳、猫塚古墳が点在する。
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左:塩塚古墳墳丘、左側の前方部が低く削平されている、中:南から墳丘を見る、右:説明版。

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左:瓢箪山古墳、中:説明版、右:奈良市の下水マンホール、

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左:墳丘へ、中:瓢箪山古墳前方部西南に接する衛門戸丸山古墳(右の竹藪)へ、右:丸山古墳墳丘は土取りによって削られている。

中央群には市庭古墳(平城天皇陵)がある。以前は最大級の大型円墳と見られていたが、1962年の調査で墳丘長53mの南面する前方後円墳であることが分かった。平城宮造営の過程では後に天皇陵として祀られる大古墳の半分を削平している。平城天皇は上皇となってからは平城京に遷り住んだ。翌、大道5年には平城京への遷都の詔をだすが嵯峨天皇方に阻止されて失敗するが、本人は平城京に滞在した。今尾先生によると昨年実施された「遷都1300年」は「環都1200年」でもあったという。この時期にまったく跡形もなく削平されてその上に宮が建てられた古墳、墳丘長100mの神明野古墳があったことも平城宮の調査で分かっている。

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左:復元された第一次大極殿と右奥に朱雀門、中:市庭古墳(平城天皇陵)、右:復元された第二次大極殿基壇と第一次大極殿。

筆者はここで途中棄権したが、佐紀古墳群の案内はこの後平城宮東院庭園を経て近鉄新大宮駅で解散となる。

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by yumeoijyuku | 2011-06-20 20:40 | 現地説明会、講演会