朱雀の夢ものがたり
2015-03-14T19:46:21+09:00
yumeoijyuku
古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります
Excite Blog
2015-03-13トワイライト・最終ラン
http://kodai.exblog.jp/22878103/
2015-03-14T19:46:15+09:00
2015-03-14T19:46:21+09:00
2015-03-14T19:46:21+09:00
yumeoijyuku
その他
当時友達が大阪駅の助役をしていたので、出発まで駅の貴賓室で待たしてもらったのもいい思い出になりました、駅の建て替えでそれも無くなっていることと思う。
昼の発車だったので早速弁当を広げた。これは友達が差し入れしてくれた、豪華弁当でした。
左:展望車。中:個室のキーカード、右:スタンド
左:車窓から「洞爺駅」、中:当時の機関車。右:昨日3月13日、札幌からのラストランの機関車、自宅から200m程のところを通る。
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明日香村小山田遺蹟5・6次現地説明会見学報告
http://kodai.exblog.jp/22751499/
2015-01-24T10:48:00+09:00
2015-01-25T22:44:20+09:00
2015-01-24T00:48:31+09:00
yumeoijyuku
現地説明会、講演会
1、近鉄「岡寺駅」からほぼ東へ走る県道多武峰見瀬線を石舞台の方へ行く。駅からすぐの国道を北へ行くと右手に「五条野丸山古墳」があるが、今日は寄り道せずに東へ向かう。15分そこそこで甘樫丘への道路標識があるのでそこを左に入る。すぐに左を見ると県立明日香擁護学校で今日の見学現場である。
2、翌日の新聞では見学者は8千人とあったが、昼前に行った時には10分も待たずに説明が聞けた。
左:説明風景。中:調査区の航空写真。右:付近の地図、甘樫丘の南西部端にあたる。
3、説明会資料では:古墳のものと考えられる堀割は東西に直線状に約48m検出された。右が北で貼石、底面には敷石、南面の板石積みは、古墳の墳丘下段北辺にあたる、とされた。なお、北の貼石・堀割の敷石の抜けたところは、近年の建物建設時のものとされた。
上:説明会資料より転載。
4、現地見学、見学通路が作られていて、間近で見学できた。
左:建設時の予想図。中:東から撮影。右:西から撮影、向こうの山は談山神社のある多武峰。
5、貼石の様子
左:手前が北、向こうに板石積み。中:結晶片岩。右:室生安山岩。
6、ここのすぐ西には終末期の古墳「菖蒲池古墳」がある。石室は一部破壊されていて、内部が見える。石室には家形石棺が前後に2棺あって、双方とも蓋の形状が家の棟を型どったような特殊な形をしていて有名である。石室が破壊されているので前棺がよく観察できる、蓋の手前は破損している。
左:石室の中の前棺。中:説明版。右:西の遠景ー奈良・大阪の境の山々、左・金剛山、右・葛城山
朱雀より一言:かなり広範囲に渡って整地、堀割造成されている。橿考研はじめ新聞で解説されている先生方は古墳ではないかとされている、また、和田萃先生や石野館長は居宅や構造物も指摘されている。朱雀は皇族の墓や宮であれば記録が残っていそうなものなので蘇我氏のものではないかと想像しています。甘樫丘には蘇我氏のものとされる「東麓遺跡」が知られており、この遺跡も蘇我蝦夷・入鹿が邸宅を準備していたものが、乙巳変で亡ぼされ、蘇我氏の痕跡まで消されたのではないかと思っています。
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伊勢神宮参拝
http://kodai.exblog.jp/22614917/
2014-12-01T16:41:00+09:00
2014-12-04T21:04:15+09:00
2014-12-01T16:41:38+09:00
yumeoijyuku
その他
事情が有って神社への参拝ができなかったので、今回改めて遷宮後の伊勢神宮参拝した。
前日には亡き母が育ち、朱雀も小4まで過ごした母の実家で健在の伯母さん夫婦の家によって、その晩は伊勢志摩の隠れ家に入った。
◎ 参拝の朝、的矢湾の先の太平洋に登る「日の出」に合わせて早起きした。
ベランダからの日の出。東からやや南にふれた方向、太平洋に昇る朝日。
左:6時39分、中:6時40分、右:同左、画面左は伊勢志摩ロイヤルホテル、右手に的矢湾、ホテルとの間には鳥羽~鵜方「パールロード奥志摩ライン」が通る。ここを右手に行って徒歩約15分ほどで「志摩スペイン村」に行ける。毎年4月にはハーフマラソンが行われて選手、応援者でごったがえる。以前行われた様子は「朱雀の夢ものがたり・2009.4.20」参照。
◎ 伊勢神宮内宮参拝
左:大鳥居と宇治橋、右:この「板垣南御門」を入って「外玉垣南御門」で参拝する、この右に旧社殿敷地がある。
宇治橋の架け替え工事については「朱雀の夢ものがたり・2012.6.14・15」参照。
宮内摂社
左:荒祭宮(あらまつりのみや)、右:風日祈宮(かざひのみのみや)摂社ほか遷宮工事がつづく。
◎ 外宮参拝
左:第一鳥居、火除橋のところにある。中:板垣南御門、ここを入って外玉垣南御門で参拝する。
右:向かって右手の旧社殿用地から。
宮内摂社
左:風宮(かぜのみや)、中:多賀宮(たかのみや)への階段、外宮一番の摂社であるが、今回は遠慮させてもらった。右:外宮入口の火除橋にある説明版。
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◎ 古墳案内掲載日の一覧表(目次)を2013.7.5に作成しています、該当日付の記事をご覧下さい。
◎ 朱雀の「隠れ家」を売りに出しています。興味のある方は、ネットで「東急リゾート30623」を検索してください。]]>
「05Mの会」中部大会 参加報告 その3
http://kodai.exblog.jp/22093270/
2014-06-11T17:48:00+09:00
2014-06-11T18:09:15+09:00
2014-06-08T22:48:39+09:00
yumeoijyuku
お勉強
⑩一路名古屋城へ、名古屋高速小牧線を行く
左:県営名古屋空港。中:途中の標識。右:名古屋市街。
⑪名古屋城。途中、尾張徳川家のお宝を展示している徳川美術館(国宝9件、重文59件など展示)内の「宝善亭」で昼食、見学の後、名古屋城へ向かう15分ほどで到着。
左:天守閣。中:同左、記念写真撮影スポットから。右:案内図。
⑫天守閣からの眺望
⑬天守閣
左:天守閣。右:天守閣断面図。
⑭金の鯱
左:天守閣の金の鯱、中:展示ケースの中・左は千両箱、右は3千両箱(一両は約16.5gとある)。右:金の鯱に使用された金は慶長小判17、975両とある。
今の金の相場をグラム約4,400円慶長小判の純度85%でみると約111万円になる。対ではこの倍になる。
⑮城郭の主要部分を占める本丸御殿の復元工事が行われている。
左:加工中の資材。中:本丸御殿復元工事図。右:今回工事部分を明示してある。
左:工事中の屋根。中・右:完成部分。
この後バスで名古屋駅への移動中に今後の予定の打ち合わせと幹事さんからの挨拶があって、次回は来年「四国」で開催することになりました。四国の会員に関西地区のメンバーが協力することとなりました。
中部大会は名古屋駅で解散。中部大会幹事さんありがとうございました。
「05Mの会」の皆さんお元気で、来年四国で会いましょう。
⑰名古屋駅と駅ビルからの眺望
左:名古屋駅ホーム。中:西方面の夕景。右:中の写真の右部分の拡大
朱雀より・・訪問先は初めてのところばかりでした。コメント内容に間違いや不備の点があると思いますが、ご容赦ください。
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「05Mの会」中部大会 参加報告 その2
http://kodai.exblog.jp/22093226/
2014-06-10T23:47:00+09:00
2014-06-11T18:10:02+09:00
2014-06-08T22:39:19+09:00
yumeoijyuku
お勉強
① 長良川橋すぐ下流の旅館「十八楼」からの眺め
②岐阜城とお別れ
左:長良橋通りを南へ。右:岐阜城がお見送りしてくれている。
③小牧城へ向かう。
左:先ずは名古屋方面へ。中:途中の風景。右:小牧市役所。
④小牧城大手口から小牧城へと昇る。
小牧山城は信長が斎藤氏攻略のため築いた城で、永禄10年美濃攻略後信長は岐阜城に移ったため廃城となった。1584年(天正12年)、豊臣秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いでは、家康がいち早く小牧山に目を付けて本陣を置いた、とされていて、この時には天守閣はなかったと思われる。現在の天守閣の建物は1967年に民間人が作って寄付されたもので、「小牧市歴史館」になっている。
左:大手口から昇る。中:平成18年の調査で堀、土塁、土橋が調査されている。右:説明版。
⑤主郭地区の巨石石垣。平成16~21年に発掘調査された石垣の延長部分の発掘調査が行われていた。
左:現在の調査現場。中:左の写真の右手この上が城郭。右:以前の調査の説明版。
⑥発掘担当者は奈良大の千田先生にはお世話になっているということで、熱心に説明していただいた。
左:発掘担当者からの説明。中:上の写真⑤中とほぼ同じところ。右:発掘された石。
⑦本丸下の斜面にあった上下2段の石垣跡。
左:石垣の石。中:城郭への道。右:説明版。
⑧天守閣跡の資料館からの眺め
左、中:小牧市内。右:天守閣跡の説明。
⑨小牧山の麓にある説明版
左、中、右:説明版
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「05Mの会」中部大会 参加報告 その1
http://kodai.exblog.jp/22092956/
2014-06-09T22:42:00+09:00
2014-06-11T18:11:11+09:00
2014-06-08T21:35:44+09:00
yumeoijyuku
お勉強
奈良大学通信教育部開設最初の入学生で「05M***」の学生番号を持つ者の集まり「05Mの会」は通信教育生の特徴として北は北海道苫小牧市、南は福岡県対馬市を含む60人を超える会員の内毎年30人前後の会員が集まって親睦の場を設けている。今年は中部地方在住の方々が幹事となってお世話していただいた。
① 初日の5月15日にはJR岐阜駅前に12時集合、出席者31名。
駅前にあるの金ピカの信長像前に集合。宿泊予定の旅館「十八楼」へ出発。
②JR岐阜駅
左:駅ビル、中:駅中の「駅市場」、集合前に腹拵えをした。右:この2階に改札がある。
③旅館に荷物を置いて、近くの岐阜城へ出かけた。
左・右:麓から岐阜城を望む。城は昭和31年に再建されたもので3層4階、鉄筋コンクリート製
④信長居館跡
宣教師ルイス・フロイスが「壮麗なもの」として紹介したものとされている。
左:冠木門跡は発掘されていないが、想定したもの。中:発掘された石組み。右:説明板。
⑤ロープウェイ山上駅のすぐ東で、信長公居館跡の一部がH25年に発掘された。④とは別の場所
左:発掘箇所、右手奥の電柱の向こうに庭の一部である岩盤が見える。中:発掘結果の説明版1。右:同左2。
⑥ロープウエイ・・・往復980円
左、中、右:長良川方面
⑦天守閣(昭和31年再建、鉄筋コンクリート製)
⑧ロープウェイ山下駅
左:山下駅。中:道三信長時代の岐阜城。右:旅館前から案内していただいた東山さん。
⑨鵜飼舟で夕食
左:若い姉さんたちが踊りで歓迎。中、右:鵜飼の実演。
<写真はクリックすると拡大します>
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「古墳めぐり案内」終了ごあいさつ
http://kodai.exblog.jp/21846023/
2014-04-01T19:45:00+09:00
2014-04-01T19:50:51+09:00
2014-04-01T19:45:42+09:00
yumeoijyuku
古墳めぐり案内
今後は、文化財関係のさらなる教養修得に努めたうえで「古墳めぐり案内」で培った知識をまとめて、広く「古代のモニュメント・古墳」に興味を持っておられる方々への参考となるべき案内冊子をまとめることを目指していきたいと思っています。
引き続きご支援よろしくお願い申し上げます。
2014年3月末日 古代夢追塾主宰 西村 治美 拝
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万葉歌うたいびと:風香さん
http://kodai.exblog.jp/21305609/
2013-11-10T22:45:10+09:00
2013-11-10T22:44:26+09:00
2013-11-10T22:44:26+09:00
yumeoijyuku
その他
奈良県桜井市忍阪地区の皆さんが造りだす、記紀・万葉故地 忍阪で催された「忍阪街道まつり」で公演
”~万葉歌~ 万葉歌い人 風香 with 結” で我らの風香さん熱演。平成24年第十回万葉の歌音楽祭大賞受賞曲「泊瀬川」はじめ万葉集をイメージした歌を披露された。
高円山石位寺境内礼拝堂での公演
左:高円山石井寺の碑。中:先に琴の演奏。右:礼拝堂の奥にある白鳳時代の石造浮彫「伝 薬師三尊石仏」重文が聞き入っていた。
風香さんの 熱演1
熱演2
フィナーレ
万葉の山々
左:音羽山。中:倉橋溜池の堤。右:三輪山(左手に見える奥の山)。
追伸:風香さんは奈良大学通信教育部文化財歴史学科の単位を修得されて、今年度末卒業予定・・おめでとうございます。
<写真はクリックすると拡大します>]]>
皇大神宮遷御 2013.10.02
http://kodai.exblog.jp/21152236/
2013-10-03T23:09:29+09:00
2013-10-03T23:09:34+09:00
2013-10-03T23:09:34+09:00
yumeoijyuku
その他
お木曳:地元の旧神領の人々が工事の初期に用材を運搬する行事、領民の参加は他に新社完成目前の「お白石持ち」がある。(2006.5.5撮影)
宇治橋架け替え(2009.4.18撮影)
新宇治橋(2012.6.15)
案内図と奉加の御願い
「お白石持ち」については8月13日のブログを参照してください。
<写真はクリックすると拡大します>]]>
伊勢神宮参拝
http://kodai.exblog.jp/20927975/
2013-08-13T23:00:00+09:00
2013-10-02T16:57:33+09:00
2013-08-13T23:00:43+09:00
yumeoijyuku
その他
「第62回神宮式年遷宮遷御の儀」は皇大神宮(内宮)10月2日午後8時、豊受大神宮(外宮)10月5日午後8時から行われる。
神宮式年遷宮の新お社に玉石を敷く行事は「お白石持」と言われ、伊勢市民に許された奉仕で特権でもあった。今回の遷宮からは、全国の神宮崇敬者も一日神領民として参加できるようになったという。
内宮では7月末から盆までの間の11日間かけて行われる。
おはらい町を内宮に向かって、白石の入った樽を乗せた「奉曳車」を信者が奉曳する
左:樽に入ったお白石を乗せた奉曳車。中、右:信者による奉曳。
左:同上。中:内宮参道添いにお白石渡し場所がある。(左の山の方が上です、念のため)右:同左。
神領民は新社内にお白石を持って入って直接収めることができる。一般の信者が垣内に入れるのはこのときだけである。
左:石段の上の新社。右:新社石段の反対側にある「御贄調舎(神仏にささげる供物を整える場所)。
現社
左:現社。右:同左御贄調舎。
<写真はクリックすると拡大します>
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堺市長山古墳現地説明会見学報告
http://kodai.exblog.jp/20886506/
2013-08-04T23:55:00+09:00
2013-08-04T23:57:50+09:00
2013-08-04T00:01:07+09:00
yumeoijyuku
現地説明会、講演会
2013.7.31毎日新聞によると、大阪府堺市文化財課は「文献によって存在が知られているが実態が明らかでなかった「長山古墳」を発掘し、31日に現地説明会を行うと発表した。4世紀後半と推定され近くにある乳岡(ちのおか)古墳と共に百舌鳥古墳群では最古級とされる。
暑い中であったが見学に行った。
午後からの説明ということで、仁徳陵古墳近くを散策した。
JR百舌鳥駅すぐ南西にある長塚古墳を見学した。大正9年に史跡指定されたときは「長山古墳」といわれていたという。
最近できた「古墳カレー」を試食した。中辛を注文、美味しかった。奥さん一人で切り回していたが、愛想よく話相手になっていただいた。仲間と一緒に古墳の勉強会をされているとのことで、先生方の名前が出てくる。客席が狭いので奥の居間を急遽整理して客用に使っているとのこと。
左:店名は「花茶碗」。この突き当りはJR阪和線ですぐ左手が長塚古墳、道路を隔てて「百舌鳥駅」なので駅から歩5分弱。中:カレーの皿と古墳の形に盛り付ける型。右:古墳カレー千円トッピングのフライは好みで注文できる。
乳岡(ちのおか)古墳
履中陵古墳の前方部を通る広い道路を西へトコトコ歩いてゆき南陵町の先へ行くと左手に鉄塔があってその向こうに古墳がある。左・右:乳岡古墳。
さらに先(西)へ行き国道26号の高架の一つ手前の道を右(北)へ約600m行く。堺山口病院の所を右に入るとすぐ「高砂町」のバス停を過ぎてすぐ左に入って突き当りが長山古墳の発掘現場となる。南海阪堺線の「東湊駅」を東へ行くと高架を過ぎてゆくと「高砂町」バス停がある。
左:「高砂町」バス停、この角を左に行く。右:発掘現場。
左:堺市職員の解説。中:前方部南側面の葺石基部、左側墳丘見学者のいるところは周濠。右:画面中央部が前方部周濠。
後円部東側の発掘状況。下図の上の部分。左手が後円部墳丘部分。右手が周濠部分。
調査地と古墳復元模式図
墳丘主軸は約40度東に傾く前方後円形古墳で墳丘長110m、後円部径56m、周濠を含めた全長156mと推測された。墳丘長は百舌鳥古墳群中9番目の大きさとなる。
出土品。
左:蓋形埴輪(肋木=傘の外周・上にそりあがっている)。中左:蓋形埴輪。中右:鰭付埴輪。右:車輪石。
調査区全景、北北東方面
<写真はクリックすると拡大します>
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古墳めぐり案内ーブログ掲載日:目次
http://kodai.exblog.jp/20755717/
2013-07-05T17:14:00+09:00
2015-01-26T21:35:29+09:00
2013-07-05T17:15:10+09:00
yumeoijyuku
古墳めぐり案内
この間に案内した内容については
①目的の「テーマ・実施日」を下記1~45上段から探し出して。
②下段の「ブログ見出しと掲載日」から得られた年月によって、このブログ「朱雀の夢ものがたり」の左欄に表示されている年月をクリックして該当年月を参照し、該当記事を選んでご覧ください。
「古墳めぐり案内」は現在も継続して実施しています。講座の案内はウエブで「朝日カルチャーセンター梅田」を検索して「現地」-「歴史探訪」-「古代のロマン・古墳をめぐる」を参照してください。
2013年7月5日 古代夢追塾 主宰
上段:テーマ・実施日
下段:ブログ見出しと掲載日
1、奈良市北部の佐紀古墳群①,08.11.20
奈良の古墳めぐり・・その2-7 2008-11-20 古墳めぐり案内
2、奈良市北部の佐紀古墳群②,08.12.18
奈良の古墳めぐり・・その2-8 2008-12-18 古墳めぐり案内
3、大安寺(癌封じ祭り)から奈良市西部の古墳,09.01.23
奈良の古墳めぐり・・その2-9 2009-01-24 古墳めぐり案内
4、奈良市南部の古墳,09.02.19
奈良の古墳めぐり・・その2-10 2009-02-21 古墳めぐり案内
5、近鉄奈良駅周辺の古墳,09.03.19
奈良の古墳めぐり・・その2-11 2009-03-22 古墳めぐり案内
6、葬送の地に太安万侶が眠る田原地区へ,09.04.16
奈良の古墳めぐり・・その2-12 2009-04-17 古墳めぐり案内
7、奈良市最北端柳生の里の古墳へ09.06.18
奈良の古墳めぐり・・その2-13 2009-06-19 古墳めぐり案内
8、箸墓古墳に続く大型古墳から後期古墳の石棺に触れる,09.07.16
奈良の古墳めぐり・・その2-14 2009-07-21 古墳めぐり案内
9、桜井市東部の山間部に眠る古墳を訪ねる,09.08.20
奈良の古墳めぐり・・その2-15 2009-08-21 古墳めぐり案内
10、橿原神宮から新沢千塚へ,09.09.17
奈良の古墳めぐり・・その2-16 2009-09-18 古墳めぐり案内
11、飛鳥の古墳① 飛鳥西部真弓丘陵の古墳,09.10,15
大和の古墳めぐり・・その2-17 2009-10-16 古墳めぐり案内
12、 飛鳥の古墳② 古都飛鳥に眠る終末期古墳の主達,09.11.19
大和の古墳めぐり・・その2-18 2009-11-19 古墳めぐり案内
13、飛鳥の古墳③ 石舞台古墳から古代飛鳥の宮殿跡へ,09.12.17
大和の古墳めぐり・・その2-19 2009-12-18 古墳めぐり案内
14、飛鳥の古墳④ 孝元天皇陵から飛鳥寺、亀形石遺跡へ,10.01.21
大和の古墳めぐり・・その2-20 2010-01-22 古墳めぐり案内
15、葛城山麓の古墳①,10.02.18
大和の古墳めぐり・・その2-21 2010-02-19 古墳めぐり案内
16、葛城山麓の古墳②,10.03
大和の古墳めぐり・・その2-22 2010-03-19 古墳めぐり案内
17、御所市の古墳①,10.04.15
大和の古墳をめぐる・・その2-23 2010-04-15 古墳めぐり案内
18、御所市の古墳②,10.05.20
大和の古墳をめぐる・・その2-24 2010-05-20 古墳めぐり案内
五条市の古墳,10.06.17
大和の古墳をめぐる・・その2-25 2010-06-18 古墳めぐり案内
19、馬見丘陵と周辺の古墳①,10.07.15
大和の古墳をめぐる・・その2-26 2010-07-21 古墳めぐり案内
20、馬見丘陵と周辺の古墳②,10.08.
大和の古墳をめぐる・・その2-27 2010-08-20 古墳めぐり案内
21、馬見丘陵と周辺の古墳③,10.09.
大和の古墳をめぐる・・その2-28 2010-09-18 古墳めぐり案内
22、馬見丘陵と周辺の古墳④,10.10.21
大和の古墳をめぐる・・その2-29 2010-10-24 古墳めぐり案内
23、斑鳩の古墳,10.11.18
大和の古墳をめぐる・・その2-30 2010-11-22 古墳めぐり案内
24、大和郡山市の古墳,10.12.16
大和の古墳をめぐる・・その2-31 2010-12-16 古墳めぐり案内
25、平群谷の古墳,11.01.20
大和の古墳をめぐる・・その2-32 2011-01-23 古墳めぐり案内
26、大阪府・河内磯長谷の古墳,11.02.17
大和の古墳をめぐる・・その2-33 2011-02-18古墳めぐり案内
27、大阪府・古市古墳群①,11,03.17
大和の古墳をめぐる・・その2-34 2011-03-21古墳めぐり案内
28、大阪府・古市古墳群②,11.04.21
古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-35 2011-04-21 古墳めぐり案内
29、堺市の古墳群,11,05,19
古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-36 2011-05-19 古墳めぐり案内
30、摂津の古墳①茨木市・高槻市,11.06
古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-37 2011-06-17 古墳めぐり案内
31、長岡京と付近の古墳,11.07
古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-38 2011-07-22 古墳めぐり案内
32、摂津の古墳②宝塚市,11.08
古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-39 2011-08-21 古墳めぐり案内
33、摂津の古墳③神戸市,11.09
古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-40 2011-09-17 古墳めぐり案内
34、摂津の古墳④尼崎市・伊丹市,11.10.20
古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-41 2011-10-20 古墳めぐり案内
35、竜山石採石場見学,11.11.17
古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-42 2011-11-18古墳めぐり案内
36、八尾市の古墳①,11.12.15
古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-43 2011-12-24 古墳めぐり案内
37、八尾市の古墳②,12.01.19
古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-44の1/2 2012-01-21 古墳めぐり案内
2/2 2012-01-22 古墳めぐり案内
38、京都市嵯峨の古墳,12.02.16
古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-45の1/2 2012-02-16 古墳めぐり案内
2/2 2012-02-16 古墳めぐり案内
39、京都府木津川市の古墳,12.03.15
古代のロマン・古墳をめぐる・・その2-46 2012-03-15 古墳めぐり案内
40、山の辺の道添いの古墳①,12.04.19
古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-1 2012-04-19 古墳めぐり案内
41、山の辺の道添いの古墳②,12.05.17
古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-2 (1/2) 2012-05-17 古墳めぐり案内
(2/2) 2012-05-30古墳めぐり案内
42、天理教本部と周辺の古墳から石上神宮へ,12.06.21
古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-3 2012-06-22 古墳めぐり案内
43、開口した前方後円墳から金象嵌の大刀を出した古墳へ,12.07.19
古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-4 2012-07-20 古墳めぐり案内
44、山の辺の道添いの古墳③,12.08.30
古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-5 2012-09-01 古墳めぐり案内
45、山の辺の道添いの古墳④,12.09.20
古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-6 2012-09-21 古墳めぐり案内
古代夢追塾]]>
韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告9/9
http://kodai.exblog.jp/20689789/
2013-06-24T14:07:00+09:00
2013-06-25T17:06:30+09:00
2013-06-21T21:28:45+09:00
yumeoijyuku
現地説明会、講演会
23、国立扶余文化財研究所
①左:対応してくれた所長。中:蓮華文椽木瓦・観音寺址。右:銀製舎利壺・扶余王興寺。
②出土瓦の分類標本。左:出土瓦。右:瓦の陳列に対応した分類表。左の瓦は右の表の上段左から2~4列目と2段目2~4列目。
24、帰国へ
① 左:「天安」サービスエリア。中・右:途中の水田風景。
② 左・中:仁川大橋を渡って仁川国際空港へ。右:空港構内
③ 左:搭乗手続。中左:搭乗口へ。中右:搭乗機。右:関西空港着。
仁川国際空港を19時35分発、関空到着20時59分であったが、JR線ダイアの乱れで空港から大阪の自宅まで帰った時には日付は30日になっていました。
最後まで閲覧いただきありがとうございました。
ご案内の田中先生、㈱国際交流サービスさんにはお世話になりました。
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韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告8/9
http://kodai.exblog.jp/20685807/
2013-06-24T14:06:00+09:00
2013-06-25T17:04:33+09:00
2013-06-20T23:50:57+09:00
yumeoijyuku
現地説明会、講演会
①左・中ホテル前。右:高速「扶安」サービスエリア。
19、百済最後の都の「扶余」の羅城発掘現場
羅城は中国式で街全体を囲む城壁のこと。百済最後の王都・扶余では全長8kmを超える羅城があったとされている。この羅城の一部が(財)扶余郡文化財保存センターによって調査されている。
① 左:扶余案内図。中:発掘現場、左手から奥にかけて羅城跡が発掘されている。右:発掘調査担当の(財)扶余郡文化財保存センター調査チームの先生に説明してもらった。中央左は田中先生と右・担当の先生。
② 説明に使った発掘写真、石積の基礎などが出土している。
③ 左:寺院調査区、中央左右に寺院の石積が見える。中:石積の中央部にある基壇。右:伽藍配置図。
20、陵山里東下塚(模型)、羅城発掘現場のすぐ東に複製展示されている。
① 左・中:羨門。右:説明板。
② 左:羨門。中:玄門。右:石室内部。
21、莘岩里古墳(実物)
① 左:墳丘、右奥は東下塚。中:奥壁と右側壁。右:床面。
22、王墓
① 左:扶餘隆の墓。中:百済義慈王の墓。右:説明板。
・義慈王・・第31代百済王、唐に滅ぼされる最後の王、599~660年。隆は義慈王の子で、後に唐に取り立てられるが新羅の勢力が強く百済の回復はできなかった、682年没。1920年に中国・洛陽で墓誌が発見されている。
② 左:扶余陵山里古墳群、百済王代々の墓、。中:陵山里古墳群展示館。右:この墓域の谷間から出土した「金銅大香炉」。
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韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告7/9
http://kodai.exblog.jp/20675739/
2013-06-24T14:04:00+09:00
2013-06-26T20:20:44+09:00
2013-06-18T23:03:59+09:00
yumeoijyuku
現地説明会、講演会
光州市内
16、月桂洞古墳(光州広域市光山区)・・・都市開発地の中に公園化して、保存されている。2基の前方後円形古墳が近接して築かれている例は他に例がない。
1号墳・・・西北西に開く前方後円形古墳。現状の墳長36.6m、後円部径16m、高さ4.8m、くびれ部幅約10.4m、高さ3.3m、前方部幅27m、高さ4.9m。調査結果では墳頂45.3m、後円部径25.8m、前方部幅31.4M、高さ5.2mあったと推定された。写真はパノラマ合成しているので歪んでいるが平面は一般的な前方後円墳形である(以下同)。
① 前方部南西から後円部を見る。後円部の横穴式石室がくびれ部側に開口している。
② 前方部北西から後円部を見る。
③ 前方部北から墳丘北面を見る。
④ 後円部北東から前方部を見る。
⑤ 左:説明写真。中:月桂洞古墳・長鼓墳説明板。右:2号墳、1号墳より南西に約50離れている。西南西に開く前方後円形古墳。墳長約28m、後円部径13.9m、高さ2.3m、前方部幅11.9m、高さ2.0m。
⑥ 日本で言う三角点
17、礼徳里新徳古墳群(咸平郡月也麺礼徳里)
北に開く前方後円形の1号墳とその北17m離れて2号墳、円墳がある。1号墳は総長51m、後円部径30m、高さ5m、前方部幅24m、高さ4mで周濠があった可能性が高い、墳丘長軸に直交して長さ約2.9m、幅約2.3m、高さ約2.4mの横穴式石室があって、木簡を置いたとみられる棺台があった。 2号墳は径15m、高さ1.5mで横穴式石室を持つ。
① 左:古墳へ。中:1号墳後円部。右:説明板:。
② 左:新徳2号墳、手前は1号墳前方部裾。右:1号墳前方部。
18、万家村古墳群
内洞里古墳群と同じように、墳頂の長い古墳が密集している。14基の古墳は東西軸並行3基と南北軸並行とする2つのグループに分かれている。
新徳古墳群の南方すぐにある古墳群で、埋葬主体は多数の大型甕棺を持つ。
① 左:長い古墳が集中している。中:説明板。右:近くのバス停。
② 各古墳には数基から10基程度の甕棺が埋葬されている。
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