古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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奈良の古墳めぐり・・その2-11

近鉄文化サロン 現地学習 09.03.19

奈良公園から奈良町へ

  今日は若草山山頂の鶯塚訪問を予定していたが、山開きが翌日の20日だったので割愛した。そのため奈良公園に時間を割いた。
近鉄奈良駅から東向商店街を南へ途中から東(左)へ興福寺に入る。北円堂、南大門跡の基壇を経て奈良公園に向かう。
法隆寺境内:五重塔と東金堂
奈良の古墳めぐり・・その2-11_e0080110_14372478.jpg


第一期整備事業:中金堂の復元工事中、右手は講堂
奈良の古墳めぐり・・その2-11_e0080110_1438267.jpg


登大路を東へ進み奈良公園に入り東大寺大仏殿の西を通って正倉院に向かう。正倉院とは寺院、官衙の倉庫がある一角を指すが、東大寺の「正倉」を普通「「正倉院」と一般に呼んでいる。
 続いて大仏殿の東方にある「東塔」跡に向かった。建設当時は高さ100mほどの塔が西塔と供にそびえていたと言われている。東塔は平安時代末期に平家によって大仏殿と供に焼き打ちされ、鎌倉時代に入ってすぐ再建されたが室町時代の1362年に落雷で焼失しその後は再建されなかった。塔跡では七重塔の屋根に葺かれた古代瓦に思いを馳せた。 
若草山の麓をかすめ春日大社の参道から飛火野に向かう。平成の世になった頃開催された「奈良・シルクロード博」の飛火野会場となったところだ。ここの東の森との境目には後期の古墳14基からなる「御料園古墳群」がある。
 飛火野の西のバス道を南へ行き吉備塚古墳に向かう。奈良教育大学の構内に古墳がある。学生と遣唐使として2度通算17年間中国へ渡り帰国後は天平文化の一翼をになった吉備眞吉備の墓であると伝えられている。かつて雨で地表に露出していた銅鏡が採集されている。大学で発掘調査を実施していて、2004年2月には墳頂部から出土した鉄鏃・挂甲・鉄剣・画文帯環状乳神獣鏡など現地説明会があった。

奈良教育大学構内の吉備塚
奈良の古墳めぐり・・その2-11_e0080110_1439497.jpg


さらに2008年10月には大学構内で、同じ金原正明准教授の担当で新薬師寺金堂跡とみられる大型建物跡が検出されて新聞をにぎわせた。東大寺大仏殿(東西約59m)をしのぐ巨大建造物と分かった。
 バス道を北へ少し戻って広い交差点の手前の道を左(西)へ入ると右手に「頭塔(ずとう)」がある。正方形の基壇の上に七段の方形の土壇を積み上げている。奇数壇の壁の所々を窪ませて石仏が配置されている。平成12年整備が完了し北半分は復元整備され、見学デッキ・解説板などが設けられた。南半分は現状保存されている。
左:復元部、中:説明板でお勉強、右:入口の説明板
奈良の古墳めぐり・・その2-11_e0080110_14393381.jpg


 頭塔の前の道を西へ行き県道を渡って行くと奈良町になる。ここの目玉はなんと言っても奈良時代の名刹で、南都七大寺の一つ「元興寺極楽坊」である。元興寺は蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺(飛鳥寺)に始まる。その後平城遷都に伴い現在地に移築され名も元興寺となって今に残る。旧境内は今の十倍以上の広さが有ったと言う。法興寺で使われていた瓦は今も本堂や禅室の屋根に使われていて、屋根の色が違うのでよく分かる。奈良町には奈良町資料館、庚申堂、日本でいちばん古い砂糖専門店「砂糖傳増尾商店」など興味をそそる施設が多い。

砂糖傳商店、右:中で水飴を頂いた
奈良の古墳めぐり・・その2-11_e0080110_1440512.jpg


今日の最後は開化天皇陵へ向かう。三条通りを西へ行く、広い「やすらぎの道」を横断して行くと「ホテルフジタ」の西隣に入口がある。第9代開化天皇は日本書紀では崇神天皇の父に当たるが、神武天皇以降の実体の無い天皇の最後に位置付けられている。4世紀後半から5世紀前半の古墳で、全長105m、後円部径55m、となっているが幕末に大きく改変されていて当初の姿はよく分かっていない。帰りは、三条通りをそのまま西へ行くとJR奈良駅。引き返してやすらぎの道を北へ行くとすぐに近鉄奈良駅となる。

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2009-03-22 14:48 | 古墳めぐり案内