古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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弥生から古墳へ

2008池上曽根史跡公園協会歴史フォーラム
弥生から古墳へ-古墳時代はいつから始まったのか-

池上曽根弥生学習館で表記のフォーラムで4回に亘って先生方の講演があって、最後の2月15日の午後には4先生に加えて弥生文化博物館の金関館長がコーディネーターとなってフォーラムのしめくくりがあった。
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左から石野先生(兵庫県立考古博物館館長)、岸本先生(大阪市立大学大学院準教授)、白石先生(大阪府立近つ飛鳥博物館館長、奈良大教授)、光谷先生(総合地球環境学研究所客員教授)、金関先生(大阪府立弥生文化館館長)
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以下は各先生の発言を元に朱雀が感じたままをまとめたものである。

主な論点①古墳時代はいつから始まったのか

石野先生:纏向型前方後円墳が拡散するときからである。円丘に突出部をもつ100m近い大型古墳で同じような古墳は千葉県の神門古墳群、福岡市那珂古墳等全国に30ヶ所ある。箸中古墳(箸墓)の築造は墳頂部や周辺部の土器から280年頃である、250年までは上がらない。

岸本先生:箸墓古墳からである。吉備の盾築、出雲の四角突出型などそれぞれのブロック化と同様に近畿もそれだけでまとまっていた。箸墓になると地域内のものではなく全国的である。箸墓は卑弥呼が生前から計画していて、死亡した250年前後に造られた。

白石先生:岸本先生と同じである。纏向の古墳は祖形としてとらえる、弥生の最終段階である。三角縁神獣鏡の研究からも政治連合を象徴する前方後円墳が出現したもので、箸墓が卑弥呼の没後260年前後に後継者によって造られた。

金関先生:弥生式土器を使うか水稲耕作かで弥生の区分は異なる、文化史的時代区分は地域によって時期てきな傾斜がある。

論点②邪馬台国はどこか。

岸本先生:大和である、そしてそれは纏向である。遺跡が見つかっていないが、発掘範囲が5%にも満たず少なすぎる。

白石先生:同意。九州には大型古墳が無い。政治連合によって古墳が造られた。大和の古墳が大きく他は小さい。そしてその時代は邪馬台国の時代である。その邪馬台国は大和にあった。九州説は成立しない。また、九州勢力東遷説があるが九州の土器が大和では出ていない、首長たちが手ぶらで来たとしても大衆が生活用品を携えないことは考えられない。

石野先生:大和である、纏向には大型建物が出ていないが、細い柱でも大型建物はできる。邪馬台国は過疎地であった大和に作りやすかった。

光谷拓実先生は年輪年代法の権威で、奈文献で33年間研究され退官してから総合地球環境学研究所客員教授。年輪の暦年パターンを標準化されていて出土した木製品の実年代判定に貢献されている。
また、光谷先生は今日の午前中の講演で初発情報として、(香芝市下田東遺跡で08年4月に発見された)「コウヤマキの板で出来た縄掛け突起付きの木棺材を『年輪年代法』で鑑定した結果、西暦430+α年~449+α年頃のものであることが分かった」と発表された。
by yumeoijyuku | 2009-02-16 22:43 | 現地説明会、講演会