古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


by yumeoijyuku

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奈良の古墳めぐり・・その2-9

近鉄文化サロン 現地学習 H21.1.23
  大安寺の杉山古墳から垂仁天皇陵へ 

 今日は第3木曜日の日程を23日に変更して大安寺の光仁会(癌封じ笹酒祭り)に合わせて古墳をめぐった。桜井市の吉備池の南東隅から「百済大寺」と推定される寺院金堂の基壇が見つかって、その後百済大寺跡であることが確定された。百済大寺はその後移築と共に名前も高市大寺→大官大寺→大安寺と変わって現在に至る。
『続日本紀』には光仁天皇が73歳で崩御された後、その子の桓武天皇が翌年光仁天皇所縁の大安寺で天皇の一周忌を行ったとあって、これを引き継いで「光仁会」がおこなわれている。この1月23日と6月に「癌封じ笹酒祭り」がおこなわれる。
奈良の古墳めぐり・・その2-9_e0080110_23127100.jpg


 朝一番の寄り道から本題の古墳めぐりに戻ろう。先ず大安寺北方の旧境内にある何面した前方後円墳杉山古墳に向かう。墳丘は一部崩れたところがあるがほぼ原形が残っている。この古墳の前方部には窯跡がある、平窯で6基確認されている。いずれの窯にも製品が残っていなかったが8世紀後半以降のもので大安寺に使用された瓦を作ったものと思われる。全長120mの前方後円墳で前方部幅、後円部径共に約80m。周濠の名残の湿地が残る。円筒埴輪片、葺石が確認されている。この古墳公園の入口扉は月、水、金は閉じられていて入れないが今日は鍵を開けてもらった。
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 大安寺バス停へ戻る途中の北側に「墓山古墳」がある。全長約80mの前方後円墳で周濠も有ったらしいが今は墓地になっていて古墳自体形状をとどめていない。
大安寺のバス停から南に行くと桂木団地の入口となるがここを左(東)に入りすぐのところに野神古墳がある。5世紀後半から6世紀にかけての頃の古墳で、墳丘が相当破壊されているが前方後円墳の可能性もある、竪穴式石室には阿蘇ピンク石を使用した刳抜式家型石棺が残っている。

 次はいよいよ垂仁天皇陵へ向かう。一旦JR奈良駅まで戻り「学園前駅」行きに乗って近鉄「尼辻駅前」で降りる。近鉄「尼ヶ辻」駅を西に越えてから南へ「歴史の道」を行くと垂仁天皇菅原伏見東陵(宝来山古墳)となる。全長227m、前方長118m、後円部径123m。美しい姿は近鉄電車からも良く見えていて朝夕電車から眺めている人も多い。
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垂仁天皇は天理市に御陵がある崇神天皇の子で、景行天皇の父に当たる。また皇后の日葉酢媛は佐紀陵山古墳に比定されている。日葉酢媛が亡くなり葬るに際して殉死の習慣を止めるために野見宿禰の発案で初めて埴輪を用いたとされる、ただし日本の古墳からは殉死が行われた形跡は認められていない。

次は今日の最終目的地「富雄丸山古墳」に向かう。近鉄「尼辻」の先ほど渡った踏切の道を西に向かう、道なりに西南の方向にどんどん2kmほど行くと「第二阪奈道路」に突き当たるのでその手前の側道を左(西)へ行く、さらに1.5kmほど行って富雄川を渡ったあたりで左手を見るとアンテナ塔があってその向こうに小山がある。これが富雄丸山古墳で、西側は奈良市の西部生涯スポーツセンターの球戯場、テニスコートになっている。田の畔を行くとバス道にでるので右手に行って林の間にある墳丘への階段を上ると一周できる。古墳上へは登れない。周りを擁壁と金網に囲まれて保存されているが径86mとかなり大型の円墳である。

 京都国立博物館に「富雄村丸山古墳出土」とされる銅鏡4面、有鉤銅釧1、合子2、鍬形石2などが収蔵されているが、近くに同じように呼ばれる古墳が有ってどちらのものか判別できていなかった。1972年に宅地開発に先立って調査が行われて遺物の中に鍬形石片が見つかった、これは鍬先部の破片で京都国立博物館所蔵の鍬形石の欠けた部分に合わせるとピタリ一致した、これによって他の遺物の出土地が確定した。一片3cmほどの小さな断片が大きな成果を挙げることとなった。

 本日の古墳めぐりはここで終了となる。すぐ下にバス停があるので帰りはバスで近鉄富雄駅へ帰るとよい。

「若草台中央」バス停、後は富雄丸山古墳
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by yumeoijyuku | 2009-01-24 23:17 | 古墳めぐり案内