古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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斑鳩に眠る貴公子達:講演会



8月3日、奈良・平群町「平群史蹟を守る会」主催の講演会があった。
講師は前園実知雄先生
演題は「斑鳩に眠る貴公子達-藤ノ木古墳と御坊山古墳群の被葬者-」
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平群史蹟を守る会はS45年当時開発で取り壊される危機にあった、「烏土塚古墳」(現在国の指定文化財)を守るために設立され、その後見学会、後援会他活動を続けられている。

前園先生は橿考研在籍中に藤ノ木古墳調査を担当され、その後も研究を続けられている。現在奈良芸術大学教授。現在愛媛県東温市にある生家の法蓮寺住職でもある。今日は夏休みなので愛媛から来られた。
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1、藤ノ木古墳は今まで種々報告されていることに加えて次のことがわかった。
①公園整備のための調査で円墳であることが確定した。このことは記録にあるような「陵=天皇陵」ではない。
②石室の石積みが上部より下部の石が小さい部分があって、雑に設計変更された可能性がある。
③石棺の造り、副葬品では大刀は見事なものであるが、他は沓を始め作りが雑で急いで作った可能性がある。
④遺体2体は共に血液型B型で一人は20才前後の男性で、一人は成年(20~40才)男性であろうとされた。時期は6世紀第4四半期と特定できる。当時男同士を組んで埋葬することは忌嫌われていた。

2、587年4月用明天皇が死ぬと6月になって蘇我馬子は先帝敏達天皇の皇后炊屋姫尊(後の推古天皇)と諮って、次期天皇候補の一人穴穂部皇子(あなほべのみこ、欽明天皇の子)と皇子と仲の良い宅部皇子(やかべのみこ、宣化天皇の子と言われている)を殺させた。別の記録ではこの二人は兄弟であるとも言われている。

3、藤ノ木古墳の西約250mにある3基からなる御坊山古墳群は住宅団地建設で消滅してしまったが、一号墳の石室には三人分の人骨が互いに頭部を逆にしていたとの証言がある。三号墳は横口式石槨(現在、橿考研付属博物館の中庭に展示されている)内に陶棺内に棺長より長い一体の十四五歳の少年の人骨が首を折り曲げた形で埋納されておりいずれも異常な埋葬である。副葬品も含めて埋葬時期は七世紀半ばを下らない。

4、「日本書紀」によると643年11月に蘇我入鹿が聖徳太子の遺児山背大兄王一族を滅ばしている。「上宮聖徳太子伝補闋記」によると「男女23王が罪なく殺された」とある。

 以上のことから、藤ノ木古墳の被葬者は穴穂部皇子と宅部皇子。御坊山古墳群には山背大兄王一族が葬られた可能性が高い。もちろん確定的ではない、前園先生は最後に演題の「被葬者」に“像”を付加するように言われた。

この公演の内容は2006年12月に藤ノ木古墳の公園整備に先立って前園先生が新泉社から出版した「藤ノ木古墳―斑鳩に眠る二人の貴公子―」をもとにされている。


公演後藤ノ木古墳を訪問した、今年春公園化が完成後初めての訪問となった。

全景:右は南東角から、左は以前から置かれている石棺のレプリカから北を望む。
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羨道入口はドアで閉鎖されているが、ガラス窓から羨道部の見学通路と石室、石棺がのぞける
右はその導入部。
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「朱雀の夢ものがたり」参照
  奈良の古墳めぐり・・その23:近鉄文化サロン現地学習 H19.10.18
  藤ノ木古墳の全貌展:H19.10.25
by yumeoijyuku | 2008-08-04 12:31 | 古墳