古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります
by yumeoijyuku
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明日香村小山田遺蹟5・6次現地説明会見学報告
2015.1.18日、明日香村の小山田遺跡第5・6次調査の現地説明会に行ってきた。その様子の報告。
1、近鉄「岡寺駅」からほぼ東へ走る県道多武峰見瀬線を石舞台の方へ行く。駅からすぐの国道を北へ行くと右手に「五条野丸山古墳」があるが、今日は寄り道せずに東へ向かう。15分そこそこで甘樫丘への道路標識があるのでそこを左に入る。すぐに左を見ると県立明日香擁護学校で今日の見学現場である。
2、翌日の新聞では見学者は8千人とあったが、昼前に行った時には10分も待たずに説明が聞けた。
左:説明風景。中:調査区の航空写真。右:付近の地図、甘樫丘の南西部端にあたる。
3、説明会資料では:古墳のものと考えられる堀割は東西に直線状に約48m検出された。右が北で貼石、底面には敷石、南面の板石積みは、古墳の墳丘下段北辺にあたる、とされた。なお、北の貼石・堀割の敷石の抜けたところは、近年の建物建設時のものとされた。
上:説明会資料より転載。
4、現地見学、見学通路が作られていて、間近で見学できた。
左:建設時の予想図。中:東から撮影。右:西から撮影、向こうの山は談山神社のある多武峰。
5、貼石の様子
左:手前が北、向こうに板石積み。中:結晶片岩。右:室生安山岩。
6、ここのすぐ西には終末期の古墳「菖蒲池古墳」がある。石室は一部破壊されていて、内部が見える。石室には家形石棺が前後に2棺あって、双方とも蓋の形状が家の棟を型どったような特殊な形をしていて有名である。石室が破壊されているので前棺がよく観察できる、蓋の手前は破損している。
左:石室の中の前棺。中:説明版。右:西の遠景ー奈良・大阪の境の山々、左・金剛山、右・葛城山
朱雀より一言:かなり広範囲に渡って整地、堀割造成されている。橿考研はじめ新聞で解説されている先生方は古墳ではないかとされている、また、和田萃先生や石野館長は居宅や構造物も指摘されている。朱雀は皇族の墓や宮であれば記録が残っていそうなものなので蘇我氏のものではないかと想像しています。甘樫丘には蘇我氏のものとされる「東麓遺跡」が知られており、この遺跡も蘇我蝦夷・入鹿が邸宅を準備していたものが、乙巳変で亡ぼされ、蘇我氏の痕跡まで消されたのではないかと思っています。
”写真はクリックすると拡大します”
1、近鉄「岡寺駅」からほぼ東へ走る県道多武峰見瀬線を石舞台の方へ行く。駅からすぐの国道を北へ行くと右手に「五条野丸山古墳」があるが、今日は寄り道せずに東へ向かう。15分そこそこで甘樫丘への道路標識があるのでそこを左に入る。すぐに左を見ると県立明日香擁護学校で今日の見学現場である。
2、翌日の新聞では見学者は8千人とあったが、昼前に行った時には10分も待たずに説明が聞けた。
左:説明風景。中:調査区の航空写真。右:付近の地図、甘樫丘の南西部端にあたる。
3、説明会資料では:古墳のものと考えられる堀割は東西に直線状に約48m検出された。右が北で貼石、底面には敷石、南面の板石積みは、古墳の墳丘下段北辺にあたる、とされた。なお、北の貼石・堀割の敷石の抜けたところは、近年の建物建設時のものとされた。
上:説明会資料より転載。
4、現地見学、見学通路が作られていて、間近で見学できた。
左:建設時の予想図。中:東から撮影。右:西から撮影、向こうの山は談山神社のある多武峰。
5、貼石の様子
左:手前が北、向こうに板石積み。中:結晶片岩。右:室生安山岩。
6、ここのすぐ西には終末期の古墳「菖蒲池古墳」がある。石室は一部破壊されていて、内部が見える。石室には家形石棺が前後に2棺あって、双方とも蓋の形状が家の棟を型どったような特殊な形をしていて有名である。石室が破壊されているので前棺がよく観察できる、蓋の手前は破損している。
左:石室の中の前棺。中:説明版。右:西の遠景ー奈良・大阪の境の山々、左・金剛山、右・葛城山
朱雀より一言:かなり広範囲に渡って整地、堀割造成されている。橿考研はじめ新聞で解説されている先生方は古墳ではないかとされている、また、和田萃先生や石野館長は居宅や構造物も指摘されている。朱雀は皇族の墓や宮であれば記録が残っていそうなものなので蘇我氏のものではないかと想像しています。甘樫丘には蘇我氏のものとされる「東麓遺跡」が知られており、この遺跡も蘇我蝦夷・入鹿が邸宅を準備していたものが、乙巳変で亡ぼされ、蘇我氏の痕跡まで消されたのではないかと思っています。
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by yumeoijyuku
| 2015-01-24 10:48
| 現地説明会、講演会