古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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韓国・栄山江流域の古墳を巡る旅参加報告1/9

 2013.05.25日、出発・関空→釜山→光州

はじめに:今回の訪韓目的は韓国南西部の全羅北道、全羅南道を流れる栄山江流域に散在する前方後円墳と、あわせてこの地域の史跡をたずねることである。旅行計画は主催した「㈱国際交流サービス」によるもので、ご案内・解説は滋賀県立大学教授田中俊明先生による。

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①左:国際線へ。中:搭乗手続き。右:搭乗ゲートへ。

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②左:搭乗機。中:離陸。右:淡路島北部、上は明石海峡。

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③左:小豆島北東部。中:岡山県玉野市・剣山、上部(北)は岡山市。右:右手は中海、島は大根島、左下は宍道湖・松江付近。

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④左:洛東江、右方向に釜山市街がある。中、右:釜山・金海国際空港着。


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⑤左:入国。中:空港建物。右:西へ出発。


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⑥左:高速道路を西へ「順天」を目指す。中・右:途中の田園風景、日本の田園によく似ている、田植え時期もほぼ同じ。

1、順天雲坪里古墳(順天市西面雲坪里)・・・山の中段にあって、2号墳(半径約20m)の墳丘は中心部は盛土状に残っているが他は削平されて畑になっている。墳丘には10基以上の土壙墓の終わり頃のものが残っていた。2号墳のすぐ下に1号墳、上約100mのところに3号墳がある。いづれも円墳。
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① 左:2号墳、畑になっている、左の小高いところが墳丘残存部。中・右:2号墳から少し登ったところにある1号墳、見晴が良い。

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② 左:2008年に発掘調査を担当した順天大学校博物館の李東煕先生(中央の野球帽)に説明してもらった。中:遠景、手前に鉄道、向こうに高速道路が走っている、すぐ左手に西順天インターチェンジがある。右:釜山からソウルまで5日間お世話になった観光バス、ガイドは案内のため全コースを事前に実地調査していた。

2、潭陽聲月里月田古墳(潭陽郡古西面)・・・東西主軸、西に開く前方後円墳で単独で存在する。大部分は盛土によって造成されている。1986年の調査で、墳丘長40.5m、後円部径23m、高さ5.1m、前方部幅16.7m、高さ3.3m。前方部幅16.7m、高さ3.3m、くびれ部幅15m。発掘調査はされていなかった。
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① 左:後円部より墳丘南面。中・右:後円部、北東から右手前方部

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② 左:前方部西から、古墳南面。中:前方部調査中、シートもかかっておらず立ち入り禁止にもなっていない。右:栄山江。

◎参考<前方後円墳の主は誰か>
・在地首長説:5世紀の末から6世紀のなかばにかけて、栄山江流域で百済領有化が進むなかで、それを全面的に受け入れることに抵抗のある在地の勢力が、倭の勢力とも通じていることを可視的に表現したのが、倭の墓制に通じる前方後円形古墳の築造であった。・・・滋賀県立大学教授田中先生他日韓の研究者
・倭人説:被葬者は独立的に割拠した勢力ではなく、土着勢力の権勢と対倭、対大伽耶攻略のために、王侯制のような支配方式の一環として百済王権によって、一時的に各地に派遣された倭系百済官人である。・・・韓国慶北大学朴天秀教授他日韓の研究者

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2013-06-24 13:44 | 現地説明会、講演会