古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-39

朝日カルチャーセンター現地講座 

摂津の古墳② 宝塚市の古墳  2011.8.18

今日は兵庫県宝塚市の古墳をめぐる、宝塚市はご存じ宝塚歌劇で有名。人口は約226千人で兵庫県では7番目の都市である。
阪急宝塚線山本駅から北方の丘陵に向けて、歩いて約20分で長尾山を切り開いて開発された山手台住宅地の入口にある「山手台南公園」につく。途中近道があるが119段の階段を上るので、暑い時期には少しきつい。

公園に接して山腹に築かれた「長尾山古墳」前方後円墳がある。以下大阪大学考古学研究室、宝塚市が実施した2010.10.16の現地説明会による。
この古墳は大阪大学が調査を続けており、2008年からは宝塚市と共同で調査を行っている。今回の調査で、
①4世紀初頭にさかのぼる最古段階の巨大な粘土槨を検出した。長さ6.7m、幅2.7m、高さ1m以上。
②国内でも10指に入る大きさと言う。残存状態は極めて良好で希有の事例としている。今後このような状態のよい(盗掘無し、陥没が見られるが粘土で全体が覆われている。)粘土槨は出てこないだろうと説明されていた。
③墳丘北側のクビレ部が検出され、以前検出されている南側と合わせて古墳の規模が、墳丘長約40m、後円部径25m、前方部長15m、2段築成の前方後円墳と確定した。
④粘土槨は立派なもので、小規模な古墳にいち早く最新の埋葬施設を取り入れており、被葬者は大和政権との間に密接な政治関係を結んだ猪名川流域の有力豪族と考えられた。

墳丘からは大阪市内、千里山方面が一望できる丘陵の最先端にある。

 長尾山古墳の調査説明会の詳細についてはこのブログの「2010.10.16長尾山古墳発掘調査現地説明会を」参照されたい。

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長尾山古墳、左:公園を背に後円部から前方部を見る、中:前方部から後円部を見る、右:南に視界が開ける。

ここから一度丘陵を下って、西の山本台住宅地へ向かう。先ほど通り過ごした階段のあたりから長尾小学校の裏に回り込んで、西に向かう。途中からは阪急電車の北の住宅地を西へ行くことになる。天神川の手前にある天満神社とその東の稲荷社との間の駐車場の山際に「天満神社古墳」が開口する。石室は全長8.5m、玄室長3m、幅1.8m、高さ2m、羨道の長さ5.6mの両袖式。
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左:天満神社、中:ここの右手の駐車場の、右:山側に古墳が開口している。

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天満神社古墳、左:石室奥壁と右側壁、右:羨道から玄室を見る。

天神川を西へ渡り、道なりに西へ行き信号を渡って、住宅地の中を右手に行くとすぐに右手に入る道があって「巡礼街道」の標識がある。ここに「中筋山手東古墳」とあるので、そちら(北)へ行く。少し歩くと住宅地が途切れるあたりの山手に「中筋山手2号墳」がある。といっても住宅(ここのお宅では2号墳石室の清掃を自主的にしていただいていて、今回気持ちよく見学できた(感謝))の裏手の狭いところに2号墳が(南に開口する。小円墳で全長8m、玄室幅1.5m、高さ2.5m)。そこから現在宅地造成中の区画の西の縁を北へ回り込んだ林の中に3号墳がある、これも小円墳で全長7m、玄室長5m、幅1.2m、高さ2.5m。探すのに一苦労する。
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中筋山手2号墳、左:開口部、中同左、右:石室。

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中筋山手3号墳、左:墳丘、右:開口部。

中筋山手1号墳へは先ほどの案内標識のあったところまで戻って、右(西)へ中山駅に向かって行き、、辻ヶ池をすぎたあたりで、駅の手前の2車線道路を右(北)へ、だらだらした道を600mほど上ると中山台住宅地の手前で左手に古墳のある小公園がある。

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中筋山手1号墳のある小公園で昼食中にセミが鳴いていた。普段と声が違うのでさがしてみると「アムラゼミ」だった。大阪ではあまり見かけないが、この辺りではまだ「クマゼミ」と共存しているようである。

 1号墳は径15mの円墳で、南に横穴式石室が開口。全長7.6m、玄室幅2~1.5m、高さ2.2m、石室の扉は施錠されていて中に入られない。
 これ等の古墳は中筋山手古墳群を形成しており六世紀末~七世紀初頭の築造と思われる。宝塚市の山中には群集墳的な古墳が分布している。

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中筋山手1号墳石室。

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中筋山手1号墳、左:開口部、中:説明版、左:突き当りの林が、古墳のある西林公園。

 中山寺白鳥塚古墳は安産腹帯で有名な中山寺の山門を入り参詣客に混じって本堂に上る大階段下の左、手水場の所を左手に入り大黒堂の手前の右に墳丘があって開口している。寺伝では仲哀天皇の皇后大仲姫の墓とされて陵墓級の管理がされていて、玄門の柵が施錠されているので玄室へは入れない。
 墳丘は円墳または方墳。石室全長15.2m、玄室長6.0m,幅2.5m,高さ3m以上、羨道長9.2m、幅2.0,高さ約2.5m。播磨型竜山石製刳抜式家型石棺がある、身部長1.8m、幅1.07m、高さ0.96m、蓋部長1.9m、幅1.15m、高さ0.5m。石棺の構造から7世紀初めから中ごろのものと思われる。
 中山寺の「鐘の緒」は、女性の大役である出産の無事安泰を祈る霊跡として信仰されてきた。幕末には中山一位局が鐘の緒を受けて明治天皇を安産してからは、「安産の寺」としても有名になっている。安産腹帯では奈良市の「帯解寺」も有名。

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中山寺、左:山門、右:この階段(エスカレーターもある)を上って左手に行くと、右手に古墳の開口部が見える。

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中山寺白鳥塚古墳、左:この先すぐの右手に開口部、中:石室と石棺、右:説明版、もう一つあるが字が薄れていて読み取れない。

 今日の最後の中山荘園古墳へは中山寺の山門の前の道を西へどんどん行く、人家の中の道をしばらく歩き、前方右に蔵池があるところの手前を右の山手に向かって入る。ライオンズマンションの左手に小さな公園があって階段を昇ると国指定史跡「中山荘園古墳」がある。墳丘からの展望は尼崎方面・大阪湾が望める。
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古墳へ

宝塚市のホームページ抜粋「7世紀中頃に築造されたと推定される、当時の天皇陵と共通する八角形の墳丘を持つ古墳である。天皇陵以外の数少ない八角墳のなかでも全体像が明確で遺存状況も良好であり、飛鳥時代の墓制を考える上で重要な遺跡である。
 発掘調査で古墳のまわりを石列が八角形にめぐり、南側には、お祀りをしたと思われる施設があることがわかりました。この古墳は飛鳥時代(7世紀中ごろ)に築かれたと考えられています。当時の天皇陵とも共通する八角形の墳丘で、全体の形が明らかな数少ないものとして、古墳の変化を研究する上で大変重要であり、国の史跡に指定されています。
 昭和58年(1983年)3月に集合住宅の建設に先立ち発掘調査を実施。古墳の規模は径約13m、高さ約2.6mで墳丘は円墳状を呈し、周囲の外護列石が八角墳を意図した多角形です。
 主体部は横穴式石室で、玄室部はやや持ち送りになっており、幅約1.3m、奥行き約3.4m、高さ約1.3m。石室内の床には全面に板石が敷かれ、この中央部にベンガラによる赤色顔料が見られ、この場所に木棺があったと考えられます。古墳の築造時期は7世紀の第二四半期前後であると考えられます。
 八角墳は中尾山古墳や段ノ塚古墳、天武持統合葬陵等、天皇陵クラスの古墳が多く、築造時期も7世紀の第3四半期ごろに出現すると考えられてきましたが、近年群馬県や広島県、東京都などで八角墳と見られる古墳が見つかっています。
天皇陵など律令国家成立期の八角墳化については中央集権国家の成立過程で作られたとする論拠が主流ですが、その他の地方豪族が多角墳を作ることの意味は明確ではなく、今後の研究に待つべき点が多くあります。」
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中山荘園古墳、左:石室からの遠望、右:遠望、南に広がる。

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石室、左:石室、奥壁に表面を平らに仕上げた、大きな石を使っているのは終末期古墳の特徴。右:床には敷石が残る。

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左:墳丘裾部。中:発掘当時の墳丘、右:平面図、

 帰りは先ほどの蔵池のところをそのまま西へ行くと、すぐに阪急宝塚線「売布神社駅」に出られる。
by yumeoijyuku | 2011-08-21 16:14 | 古墳めぐり案内