古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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大和の古墳をめぐる・・その2-32

朝日カルチャーセンター 現地講座
平群谷の古墳

今日は奈良県西北部竜田川を中心とした平群町の古墳をめぐる。平群谷は生駒山地とその東に北から張り出した矢田丘陵に挟まれた、竜田川に沿った南北に細長い盆地で生駒市の南に位置する。

竜田川は古来もみじの名所として知られており、小倉百人一首にも歌われている。
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは  在原業平
あらしふく み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり  能因法師

ただし、紅葉の名所はもっと下流、斑鳩町の国道25号線竜田大橋を中心に南北一帯、三室山あたりとなっていて県立竜田川公園がある。

竜田川駅南の道を西へ行くと住宅地の中の右手に小山がある。これが烏土塚古墳で、西側から回り込んで行くと登り口がある。玄室棺の側面をよく見ると斜格子文が線刻されているというが石棺は風化しており、かすかに認められる程度である。6世紀中頃とされるこの時期には平群谷、斑鳩を含む平群地方では最大のものでこの地域の首長墓に位置づけされている。
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左:北に西宮古墳のある中央公園。中:開口部。右:後円部にある説明板
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組立式石棺

烏土塚古墳への登り口から釣池を迂回して北側の道路に出てから、西へ向かう。田圃の間を通り丘陵に差しかかったあたりの左に柿塚古墳がある。この古墳は石室が開口している、入口が狭く入りにくいが石室は完全な姿で残っていて、持ち送りがきつく玄室幅3.2mに対して天井幅が1mとなっている。また左片袖式という珍しい形をしている。
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左:石室にある石棺の部材、蓋材が落ち込んでいる。床面は土砂でかなり埋まっている。中:玄門部、左肩袖。右:南に開口する羨道は、かなりの土砂で埋まっているので、出入りに苦労する。

剣上塚古墳へは柿塚古墳から北へ井文字川を渡って行くが途中「石床(いわとこ)神社旧社地」に寄って行こう。ここには崖面に露頭した磐座が有る。ここを流れる井文字川一帯は花崗岩の巨石が露頭しており、烏土塚古墳石室材、西宮古墳の石室・貼石石材に使われていている。
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鳥居の後ろ右手上に巨石が露頭している

ここから北へ剣上塚古墳に行く。径約23mの円墳で横穴式石室を採用する前段階と見られる横口部が付く竪穴式石室で、中央部に刳抜式木棺の痕跡があった。5世紀中~後半のものとされ、新興勢力による平群谷の開発がこのころから始まったと考えられている。
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剣上塚古墳墳頂から東の矢田丘陵を望む

西宮古墳は平群中央公園の南に保存されている。西宮古墳の巨大な花崗岩で作られた石室は、明日香村の岩屋山古墳の石室の系列に含まれるもので、一段と整備、単純化されていて、桜井市の艸墓古墳と同じころかやや遅れた時期に推定されている。3段築成墳丘の2段目に開口する、羨道の天井石最端部には扉の施設があったとされていて、羨道は外部まで露出していたと考えられている。竜山石製の刳抜式石棺の身が残っていて、外面の上下に帯状の凸帯が彫り出されている。7世紀中~後半のものとされる。
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左:開口部。右:開口部、天井石最端部
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左:石棺、上部の凸帯がよくわかる。中:玄門部。右:奥壁

次は矢田丘陵西辺部の古墳に行く。竜田川を渡って向かいの「道の駅」のところで国道を横断して東へ入る。先ず椿井宮山古墳に向かう、常念寺の裏手、椿井春日神社の鳥居が目印になる。畿内でもごく初期の横穴式石室と見られていて、奈良では最も古い時期の石室の一つに入る。埋葬者の立場を考える上で、大陸から移入されたばかりの石室の構築法が採用されている意義は大きい。阪神地震で石室の石が一部落ちたので今は石室には入れない。
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左:鳥居の向こうに開口部が有る。右:説明板。
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左:説明板の左奥が開口部。右:開口部、狭いので石室奥をのぞくのは難しい。

今度は山沿いの道を水路に沿って北へ向かい三里古墳へ行こう。この道が平群バイパスと交差する手前に古墳への標識が有る。石棚を持つ古墳は紀ノ川河口の岩橋古墳群にその分布の中心があって、平群には平群座紀氏神社があって紀氏との関係が考えられている。ただし、一方では三里古墳の石棚は低い位置にあって構造材として機能していない、また紀氏が平群谷に居住したのは奈良時代以降という見解も出されている。
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左:羨道部と玄室。奥の低い位置に下側に石棚が見える。右:説明板

長屋王墓と吉備内親王墓へは先ほど来た水路沿いの道が平群バイパスを横断した先の右手にある。長屋王墓は平群町の調査で全長約45mほどの西向きの前方後円墳と判り「梨本南2号墳」と名付けられている。6世紀前半。吉備内親王墓も計20mの円墳である。ちなみに、天皇・皇后の墓は「陵」、親王・内親王は「墓」と呼ばれていて、誰のものか分からないが皇室関係者と思われるものは「陵墓参考地」とされている。
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左:長屋王墓へ。中:狭い公園が有って「長屋王御陵公園」となっている。右:吉備姫墓

最後のツボリ山古墳へは近鉄生駒線を渡って南へ行き、平群東小学校の手前で竜田川を渡って右岸を下り、中央公民館のところを右(西)へ行くと住宅地の間に古墳がある。石室のプランが烏土塚古墳との共通性が見られ、石棺は西宮古墳と近いとされ、両者の間の時期の築造とされている。
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ツボリ山古墳石室

平群谷の主要古墳を見てみると、まず剣上塚古墳、玄室の上部をドーム状に積み上げる構造の石室が宮山塚古墳から柿塚古墳へとつづく。6世紀後半には烏土塚古墳、ツボリ山古墳そして一番新しい西宮古墳が造られ大型石室が採用される。これらに併行して三里古墳、宮裏山古墳が造られている。

帰りは平群町役場のところを東へ行き、近鉄平群駅からとなる。


烏土塚古墳、西宮古墳の写真は以前に撮影したものを使用した。

<写真はクリックすると拡大します>
by yumeoijyuku | 2011-01-23 20:19 | 古墳めぐり案内