古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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橿考研友史会例会参加報告 10.02.21

2月221日は橿考研「友史会」例会で平群町の古墳を案内してもらった。

10時近鉄生駒線「平群駅」集合、橿考研附属博物館の千賀先生の案内で出発。
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まず三里古墳で千賀先生の解説、上部中央でマイクを持っている。奥に設えている棚は紀州でよくある棚とは目的が違うので紀氏との関係は疑問視されている。紀州のものはもっと上部にあって、結晶片岩製の脆い構造を補強する役割がある。

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左:長屋王墓左と右:吉備内親王墓

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ツボリ山古墳、左:墳丘と右:石室・・・石室には刳抜式家型石棺が残っていた。奥に石棺の胴部が破壊された底と、これも破壊された蓋が奥に落ち込んでいる。手前にも胴部の底だけが残っていた。

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ツボリ山からの展望。平群の各古墳は見晴らしの良い好位置を占めている。

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西宮古墳のある平群中央公園へ。竜田川沿い歩く、遠景は矢田丘陵、この東は斑鳩町。

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左:西宮古墳での説明。右:墳丘に残る貼り石

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剣上古墳墳頂、向うは生駒山

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井文字川沿にある旧石床(いわとこ)神社、現在の社はここの北に移っている。高さ約6m、
幅約10数m。古墳に使われる花崗岩はこのような岩を切り出して使われる場合が多いという。

柿塚古墳、烏土塚古墳では石室に入った、柿塚古墳は石室の開口部が狭く出るときが難儀で苦労していた、朱雀は何回も入っているので柿塚、烏土塚共に入室は控えた。
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烏土塚古墳前方部、向うの公園の左手に西宮古墳が見える

この後、メンバーは竜田川の東、矢田丘陵麓にある椿井宮山塚古墳、宮裏山古墳を回るが、パスした。
 
今回の主眼は平群谷の古墳はまず5世紀中葉から後半にかけて剣上塚古墳が築かれる、新興勢力による平群谷の開発が、このころから開始された。

これに続く①椿井宮山塚古墳→勢野茶臼山古墳(三郷町にある)→柿塚古墳。②烏土塚古墳→宮裏山古墳→西宮古墳。③ツボリ山→大谷古墳(三里古墳北方約500m)の3つの系列があってそれぞれ平群谷の族長が勢力を拡大する画期を示しているということであった。

特に烏土塚古墳は立地の良い地点に前方後円墳を造ることができ、石室も桜井市越塚古墳、狐塚古墳と同類のもので地域的な広がりを持っており、6世紀後半の時期に平群氏が勢力を持ってきた証であるという。
by yumeoijyuku | 2010-02-22 16:59 | 現地説明会、講演会