古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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大和の古墳めぐり・・その2-20

朝日カルチャーセンター 現地学習 10.01.21

孝元天皇陵から甘樫丘へ

今日は近鉄「橿原神宮前」を基点に東へ、甘樫丘~水落遺跡~飛鳥寺~亀形石~山田寺をめぐる予定であったが天気予報が外れてコース変更を余儀なくされた。

橿原神宮前東口を出て東へ、「丈六」の交差点からは阿倍山田道で、この道は山田寺から桜井へ向い北上する上ツ道となる。15分ほどで右手に石川池(剣池)の土手が見えるのでそこを右に入り、階段を上ると水面の向こうに第8代孝元天皇陵と治定された山が見える。孝元天皇は実在すら疑われている天皇で、御陵もあいまいなまま治定されている。ここには古墳時代中期と推定される3基の小円墳があって、元禄年間に垣根で囲まれ整備されたと言う。いずれにしても天皇陵の主流である前方後円墳でもない古墳に、関係の無い実在の不確かな天皇の名前がつけられている。

ここの住宅地の中を通って東に行き、和田池を過ぎると豊浦の集落になる。592年、女帝推古天皇が豊浦宮で即位して飛鳥時代の幕開けとなる。この頃は蘇我馬子が全盛の時代で自分が即位させた崇峻天皇が、思うようにならないと分かって592年に殺してしまい、推古天皇を即位させる。

豊浦寺からすぐ東南が甘樫丘となる。甘樫丘山上の展望台からは北西に畝傍山、二上山さらに北に耳成山、香具山そして東から南にかけて飛鳥一帯の展望が開ける。この景色を眼下に弁当を広げると楽しさも一入である・・・ハズが一時止んだかに見えた雨が勢いを持ちあげて降ってきた、このため甘樫丘登頂はあきらめて麓の休憩所で早い昼食となった。昼食後は別の雨宿りの一行が来るので休憩する暇もなく場所を開けて出発した。

飛鳥川を渡ると明日香村飛鳥に入る。水落遺跡のそばに飛鳥村の資料館があるので入って見学した。水落遺跡については日本書紀に斉明6年(660)、中大兄皇子がはじめて漏剋(水時計)をつくり、人民に時を知らせるようにしたとなっている。この水時計を据えた時計台の遺跡が、飛鳥寺の西方のこの地であると言う。一方、この遺跡は時計ではなく近くの石神遺跡に有った噴水への給水施設であるとの説もある。礎石の堅固な構築は水の重量に耐えられるように設計されたものと言う。1994年にはここの南東で導水路と見られる石組み溝が発掘されている、溝の幅、深さとも約50センチ。

この遺跡の北東一帯は斉明天皇が造営したと伝えられる石神遺跡とされている。1993年には7世紀中頃の四面に庇の付いた大規模な掘っ立て柱建物跡が見つかり、飛鳥時代の迎賓館と言われる石神遺跡の中心となる建物と見られた。2007年には先ほど通ってきた山田道の延長上で7世紀中頃の道路跡が発掘されている。2009年2月には迎賓館の門らしい建物跡も発掘されている。そして奈文研では石神遺跡の範囲を東西130m、南北約180mとほぼ確定した。

次は南に向い飛鳥寺に行く。途中「入鹿の首塚」がある。乙巳の変で刎ねられた入鹿の首が飛んできた所と言われていて、鎌倉時代末に供養のため五輪塔が建てられている。飛鳥寺は仏教公伝(538、552年が有力)後最初の寺院である。礎石を用い、屋根には瓦を葺くという全く新しい建造物が出現した。当時の建物は平安時代末期の塔の消失以来全て消失している。当時のものは飛鳥大仏と呼ばれる釈迦如来坐像の頭部と右手の一部が残っただけで、飛鳥大仏のその他の部分は当時の様式どおりに復元されたものである。造営は586年に蘇我馬子が物部守屋を滅ぼしたときに「勝つことができれば寺を建てると」請願したことに始まると言う。落慶法要は21年後の推古天皇14年(606年)に行われている。

飛鳥寺の東のバス道を南に向かい亀形石に向かう。亀形石は万葉ミュージアムへの進入路となる村道建設に先立った調査で発掘された。2000年2月、石段のある飛鳥時代の石敷きのある広場が見つかったと明日香村教育委員会から発表された。亀形石見学は有料なのでパスして酒船石に向かった。
酒船石・・・雨天のため今日のコースで唯一の写真となった。
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また近くの飛鳥池は江戸時代に造られた溜池で、1991年に池底から現れた7世紀後半から8世紀初めにかけての貴金属ガラスなどの工房群である。ここに奈良県が「万葉ミュージアム」の建設を計画し1997年から発掘調査が行われた。飛鳥時代最大の生産規模を誇る工芸品のコンビナートと位置づけられた。これらの発掘調査から貴重な遺跡と分かって、万葉ミュージアムの建設地変更の運動が行われたが、現在そこには県立万葉文化館が建っている。

万葉文化館に至って昼からは小振りだあった雨が激しくなってきた。時間が有れば山田寺まで足を延ばす予定であったが、今回の古墳めぐりはここで打ち切ることにした。「古墳めぐり」の歴史で初めての事態となった。

この後有志でここから奈文研の飛鳥資料館までの間にある八釣古墳群に行くことになった。実は朱雀も知らなかったが会員の方に教えてもらったもので、次回からはコースに入れることにした。
八釣マキト古墳1号墳(移築復元)
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説明版
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帰途、近鉄京都駅での「せんと君」、見慣れたのか違和感が無くなってきた。
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by yumeoijyuku | 2010-01-22 21:53 | 古墳めぐり案内