古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


by yumeoijyuku

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奈良の古墳めぐり・・その2-16

近鉄文化サロン 現地学習 09.09.17

橿原神宮から新沢千塚へ

今回は橿原市にある古墳をめぐる。まず橿原神宮に向かう。しかし目的は深田池南古墳群、橿原神宮の参道を左(南)へそれると深田池があってその南の林に古墳群があるが、実態はよく分かっていない。
 次に新沢千塚へ行こう。深田池を西へ出て南へ近鉄南大阪線の踏切を渡ってすぐ右(西)へ行く。橿原神宮西口駅を右に見て、しばらく歩いて歩道のある道路を左(南)へ行くと左手の丘にボコボコした感じの千塚が見えてくる。まもなく橿原市千塚資料館があるので先ずここで勉強してから千塚を見ることにしよう(入場料100円)。丘陵北端部、千塚資料館付近の通称千塚山地区に立地する約350基の古墳を「史跡 新沢千塚古墳群」に国が指定している。古墳群全体としては広い範囲に590基あまりの小古墳が確認されている。5世紀前半からで、6世紀後半まで約150年間続く。他の群集墳の時期より約半世紀早い。築造時期の早いものは木棺直葬、後期古墳で横穴式石室は全部で18基と少ない。
 
千塚の中を行く
奈良の古墳めぐり・・その2-16_e0080110_23384351.jpg


史跡指定地内は遊歩道が整備されていて歩きやすく、説明板も整備されている。1962年からの調査で有名になった。126号墳は5世紀後半の古墳群形成の最盛期に築造されたと見られていて、割竹形木棺が直葬されていた、中からガラス製の椀と皿、金製の耳飾、金・銀製指輪、金銅製帯金具、冠飾りとみられる竜紋のある金製方形板、青銅製熨斗(ひのし)など朝鮮半島や中国大陸、中近東主にサマルカンドとの関連を伺わせる品物が出土した。これらの古墳群出土品の主なものは東京国立博物館に有って出土地にはレプリカが展示されているだけである。

126号墳の前で
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一部復原されている上:横穴式石室。下:墳頂に内部の石棺の位置を示してある
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千塚を散策した後は宣化天皇陵へ向かう。新沢千塚から東西に走る県道を東へ行き、案内に添って右(南)へ入ると宣化天皇陵(ミサンザイ古墳)となる。前方後円墳で周濠が残っているが東側は改変されていて鳥屋池となっている。古墳時代中期後半の築造とされ、539年に没した宣化天皇とは時期的なずれがある。宣化天皇は継体王朝本命の第29代欽明天皇が即位するまで中継ぎの役割を担った。
宣化天皇陵
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橿原ニュータウンの古墳と益田の岩船
次は橿原市の南部近鉄吉野線の西部に広がる橿原ニュータウンの西の山際にある小谷古墳に向かう。この古墳は新沢千塚古墳群の範囲に位置し、方墳あるいは円墳であったと考えられている。巨石を用いた両袖式の横穴式石室で、玄室は羨道より一段高くなっていて、明日香村の岩屋山古墳と共通している。玄室には蓋があき、傾いた状態で家形石棺が残されているが、墳丘には石室を取り巻いて鉄柵があって錠がかかっている。出土遺物はないものの、石室の形状から終末期に築かれた古墳と考えられている。
小谷古墳
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橿原ニュータウンを南北に貫通する通りを南に行くと、右手の住宅街が途切れたあたりの山手に益田岩船への上り口がある。坂を上るが時間はそれほどかからない。県史跡益田岩船は、頂部平坦面の中央には東西方向に幅1.6mの浅い溝があり、その中に一辺約1.6m、深さ約1.3mの方形の穴が彫られている。用途については弘法大師の益田池の顕彰碑の台座、古墳の石槨(せっかく)、占星台、拝火教の祭壇などの諸説があるが飛鳥の酒船石同様はっきりした事は判らず、謎の石造物である。
上:益田の岩船。下:説明版
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今日の最後は沼山古墳になる。益田岩船のすぐ南、白橿小学校の東向かいにある近隣公園内にある。北東に丸山古墳、少し南には明日香村の牽牛子塚古墳、鑵子塚古墳がある位置にある。

上:石室入り口。中:石室内。下:説明版
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径約18mの円墳で横穴式石室は片袖式で花崗岩を積み上げている、6世紀後半の築造とみられている。石室には錠がかかっていて中に入れない。帰りは岡寺駅で解散。
皆さんに馴染んでいただいた「近鉄文化サロン 奈良の古墳めぐり」は今回で終了します。今後は別の形で引き続き古墳案内を続けるのでご安心ください。
by yumeoijyuku | 2009-09-18 00:01 | 古墳めぐり案内