古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


by yumeoijyuku

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奈良の古墳めぐり・・その2-13

近鉄文化サロン 現地学習 09.06.18
奈良市最北端柳生の里の古墳へ

 5月はインフルエンザ騒動で中止となったので順延して6月18日に柳生の古墳を巡ることになった。奈良市の北東、柳生方面へ奈良県最北端の古墳訪問と武芸の里柳生観光を兼ねて出かけた。バスの都合で近鉄奈良駅に30分早く集合して9時40分発のバスで大柳生に向かう。都心を離れて山道に入り、30分ほどで円成寺の入口に当たる「忍辱山」のバス停を通り、そのまま山道を走ると開けた集落に出る。ここが大柳生町で、すぐに「大柳生口」のバス停となる。

 大柳生の集落の北から西へかけての山の広い範囲に多数の古墳が散在する。ほとんどが 10m前後の円墳で横穴式石室を持ち開口しているものもある。この中で民家の庭先に1基ある「岡田氏宅前古墳」を見学した後、山間部に開口する古墳に向かう。

 この地区には尾根伝いに北西の須川町に抜ける競馬道と言われる古道がある。この始点あたりに開口した古墳があるので見逃せない。大柳生の信号のある交差点を北に須川から加茂へ向かう県道を行くと、間もなく左手に田んぼが奥まで続いている所があってその次に左斜めに山へ入って行くコンクリート舗装の狭い道がある。これを入ってすぐの右手にこんもりした古墳が目に付く。競馬道1号墳で「オクノガワの塚穴」とも言われている。羨道が少し長いが中に入れる。
上:競馬道1号、玄室より羨道部を見る。下:見学を終えて
奈良の古墳めぐり・・その2-13_e0080110_2141170.jpg

奈良の古墳めぐり・・その2-13_e0080110_2145624.jpg


 次は天井山古墳群に向かう。大柳生から柳生へ向かう広い道路ができているのでこれを歩いてゆくと10分程で大柳生小学校前のバス停がある。左手の小学校に向かって入ると右に畦道のような細い道がある。このすぐ先の忠魂碑が天井山1号墳で、この前の小道を進むと、曲がって民家の庭先を通って行き青い瓦屋根の家の下に出るので、ここの階段を上って庭先を左へ迂回する形で山へ入る。この家の裏を回るようにしてゆくとすぐに小さい古墳がある。ちょうど3~4軒ある端の家の裏に当たり、民家の方(西南)に向かって横穴式石室が開口している。子供なら楽に入れる程に開口しており、覗くと奥まで見える。天井山2号墳で、戦時中(昭和十年代)防空壕に使用していたといい、当時は小皿の破片等が沢山あって子供の頃おもちゃにしていたと以前聞いたことがある。この頃はまだ須恵器の破片が残っていたようである。

 開口部が見つからず探していると、すぐ前の家の方から「他人の家の裏山で騒々しいが、一応声をかけるのが礼儀ではないか」とたしなめられた。遅まきながら了解を得て、古墳の開口部も教えていただいた。近くの「奈良市立青少年野外活動センター」の駐車スペースを借りて昼食の後、バスで最終目的地の柳生に向う。
 
 「柳生」のバス停から少し戻り、笠置へ向かう県道を北へ行き柳生小を越えたあたりで西に行き、川を渡って行くと右手に製材所が有って「東海自然歩道」の案内標識があるのでそこの小道を右に上って行くと、茶畑のはずれに「塚穴古墳」があって説明板がある。これによると柳生石舟斎宗厳はこの古墳の刳抜式家型石棺を取り出して手水鉢として使っていたらしい。そのため石舟斎と号したと伝えられている。後期古墳の横穴式石室が開口しており石材も露出している。この塚穴古墳は奈良市すなわち奈良県最北端の古墳と言う事になる。
左:内部から、右:塚穴古墳は茶畑のはずれにある
奈良の古墳めぐり・・その2-13_e0080110_217341.jpg


 これで今日の古墳めぐりは終了となるが、バスの便が少ないのでこの後は柳生の里を見物して、時間調整した上で帰りのバスに乗るとよい。今日は途中で夕立に会い雨宿りをしながらの「柳生の里」散策となったが、開園中の「花しょうぶ園」、家老屋敷、柳生陣屋跡など思い思いに訪ねた後バスで帰途に就いた。近鉄奈良駅まで約1時間。
by yumeoijyuku | 2009-06-19 20:58 | 古墳めぐり案内