古墳を中心に古代について、私生活も含めて語ります


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古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-2  作業中

5月17日実施の「古代のロマン・古墳をめぐる」は都合により、28日以降にアップします。
# by yumeoijyuku | 2012-05-17 21:14 | 古墳めぐり案内 | Trackback | Comments(0)

大阪城展望  2012.4.27~28

毎年の人間ドック受診で、大阪城近くのホテルに泊まった。部屋の窓からの風景。

ドックの受診では胃の検査がカメラになったので楽になった。以前はレントゲン撮影の時ゲップを辛抱したり、身体をグルグル回したり、揚句にバリウムが残らないように下剤を飲んだりで、苦労していました。


大阪城ホールで”KARA”の公演があった。開演は18時30分から。入場者はチケットがあってもグッズを買うために並んでいる、14時30分からグッズを販売しているが17時40分でも長蛇の列が続く。


翌朝の大阪城


パノラマ1:ホテルの窓から、中央上部に大阪城。その左はNHK大阪。手前は大阪城ホール。川は「第二寝屋川」で「大川」に合流して中之島を経て大阪湾にそそぐ。


パノラマ2:同上、右のビルは大阪ビジネスパークの西端に建つ京阪のクリスタルタワー。遠景は左から
大手前・天満方面~中之島~大阪駅南西の西梅田。

# by yumeoijyuku | 2012-04-28 23:04 | その他 | Trackback | Comments(0)

古代のロマン・古墳をめぐる・・その3-1

 古墳めぐりシリーズは3巡目に入りました。2005年4月以来77回を数え、奈良県下の大部分の古墳、大阪府の主要古墳他京都府、兵庫県の375基・群の古墳・古墳群を巡りました。現地講座に参加していただいた方々はじめ、ブログを閲覧していただいた方々に感謝いたします。

 シリーズの初回は古墳時代の始まりを画する桜井市纏向地区からとなる。引き続きよろしくお願いいたします。

 三輪駅を起点に先ず大神神社(おおみわじんじゃ)に行く。大神神社は古墳にあまり関係が無いが、三輪山と共にこの地方の古代を語るとき避けて通れない。御神体は三輪山そのもので正面の建物は本殿ではなく拝殿ということになる、御祭神は大物主大神。三輪山は聖域で「千古斧鉞を入れぬ神山」とされている。特に拝殿の山側、三ツ鳥居奥の禁足地は絶対不可侵の霊域になっていて入ることは出来ない。しかし施設の更新工事等偶然発見されたり数少ない調査で見つかった遺物が宝物収蔵庫に陳列されていて神社の生い立ちを語ってくれている。三ツ鳥居は三輪鳥居とも言われ拝殿と神体山を区切る神明型の鳥居三つを一体に組合せた鳥居で、拝殿からこの鳥居を通してご神体であるお山を拝むことになる。見学するには拝殿に向かって左手の参集殿で見学を申し出るとに案内してもらえる。


左:参道の鳥居。中:拝殿:。右:三ツ鳥居(明神型の鳥居三つを一つに組み合せている、撮影禁止でこれは模型)。


すぐ北にある狭井神社。左:本殿。右:由緒書、主祭神・大神荒魂神(おおみわあらみたまのかみ)。左奥に御香水があって飲むと御利益がある。

 狭井神社の前を西へ山の辺の道を行く。古の小川「狭井川」を渡り坂を上った所を左(西)へ行く。「山の辺の道」はここまでで、ここからは山の辺の道に並行した一つ西の道を行く。突当たりを右へ、またすぐ左(西)へ行きJR桜井線の手前を右に折れる。ここの左手JRの線路との間に果樹園があって「狐塚古墳」がある。削平されてしまっているが一片約40mの方墳と予想されている、石室の規模は全長17.3m、玄室長6m、幅2.6m、高さ3.2m。羨道長11.3m、幅2.1mで大きく県下でも有数の規模を誇る。玄室には水がたまっていて立ち入り禁止になっている。古墳時代後期のものとされていて石室の造りは明日香村の石舞台古墳に似ているので6世紀末から7世紀初めのものと思われている。石室内には、玄室奥壁に並行して凝灰岩製組合式石棺が1基、中央と入り口に2基分の破片があり、さらに羨道部には鉄釘が出土したので木棺が置かれていたと考えられる。横穴式石室でも4基も葬るのは珍しい。奥に残る蓋石は奥壁上部から覗ける。2枚で構成されていて、長辺の縄掛け突起は片側に2個づつ計4箇所連なっている。

狐塚古墳。左:石室上部。中:玄室奥。右:蓋石、2枚一組。

 集落の中を北に進むと、左手に小さな神社があって、この中に「弁天社古墳」が有る。墳丘は無く石室だけが残った感じで一見無造作に大木の根元に大きな石が置いてあるように見える。羨道部に凝灰岩を刳り抜いた家形石棺がある。石棺が覗けるところは石室奥壁の上で、玄室の石棺は無かった。

弁天社古墳。左:社。中:石棺、玄室上部より。右:説明板。

今来た道をさらに北へ行くと集落のはずれの左手に「茅原大墓古墳」がある。前方部を北に向けた前方後円墳で全長86m、後円部径約72m、高さ8m。前方部は長さ10m、幅29m、高さ2mと小さく帆立貝式である。手前の池は周濠の名残といわれている。後で行く東田の4基の古墳よりは小ぶりで定型化しており時期的に下るものと見られている。
墳丘は果樹園のために改造されているが、元来は3段の帆立貝式前方後円墳である。2011年の調査では墳丘東部のくびれ部から「盾持人埴輪」が出土して話題になった、古墳の外縁部に置かれ辟邪の役を持つ。古墳時代中期(4世紀末ころ)のものとされ、奈良盆地東南部で3世紀代から続く大型古墳の系列の最後に位置づけられている。この地方でそれまでの200mを超える巨大前方後円墳は造られなくなって、奈良盆地北部の佐紀古墳群や河内地域に移り、当時の政権内における勢力変動を反映しているとされている。2012年の調査では前方部北東側で周濠を横断する形で渡り堤を検出している、水位調整や墳丘への立ち入り用とされた。

茅原大墓古墳。左:墳丘。中:デレビドラマ(浅見シリーズ)撮影隊が来ていた。。右:説明板。

 箸墓へは道なりに行って突き当る所を右(北)へ行くと巻向川を渡って国津神社の前へでるのでそこを左(西)へJR桜井線の踏切を渡って行くと箸墓古墳の後円部に出る。そのまま行くと古墳の西手に拝所が有る。さらに北へ回りこむと周濠の名残の池が有る、今は潅漑用になっていて箸墓の美しい姿を映して景観を整えている。箸墓は全長280m、奈良県下第3の前方後円墳で後円部径157m、高さ25m。前方部幅140m高さ15mを測る。大型古墳の草分けとされている。墳丘がよく見える平坦部にあってその優美な姿を誇っている。後円部の径と高さが前方部よりも大きい古い形で、特に前方部がバチ型に開いていて前期古墳でも古い形を持っている。2008年8月27日の毎日新聞夕刊によると、桜井市が箸墓の前方部南角の西を調査したところ、周濠跡が見つかっている。前方部の外側に幅60~70メートルの周濠が造られていた可能性が高い。この周濠は墳丘の周りを包み込む形の内濠の外に前方部を底辺とする馬蹄形の内堤あってその外側を外濠が囲んでいたと思われている。

左:箸墓古墳、北より。右:昼食後のひと時。

 箸墓から戻って先ほどの踏切を渡り巻向川沿いに行くと慶運寺がある、本堂のすぐ裏に慶運寺裏山古墳の両袖式石室が開口して残っている。墳丘は削平されて墓地になっている。上の墓地には天井石が露出している。寺の入り口付近には刳抜式石棺の身に仏像が彫られて残っている。

慶運寺裏山古墳。左:開口部。中左:玄室。中右:刳抜式石棺(出土地不明)の身に仏が彫られている。右:説明板。

 慶運寺のすぐ西にホケノ山古墳がある。全長90m、後円部径60m、前方部幅40mで周濠をもつ前方後円墳。墳丘の一部に貼石が復元され廻りが公園になっている。2000年4月8日に行われた現地説明会によると、埋葬施設に特徴があり国内では前例の無い「石囲い木槨」(槨=かく、棺を入れる箱)ということである。木棺を安置した木の部屋の周囲に川原石を積み上げて石囲いを作り、その上部は木材の天井、さらにその上は最終的に積石で覆う構造をしていた。

左:前方部東南角から。右:説明板。

 ホケノ山古墳から道なりに北へ行く、突当たりを右に行き新池の手前を左(北)へ行くと、突き当りの右手にある小高い山が珠城山で3基の古墳が知られている。1955年に今のJR桜井線巻向駅を造るに際して土を採取するときに、偶然石室の羨道部が開口して発掘調査が実施されたという。この古墳は1号墳で横穴式石室が後円部に築かれ南に開口している、凝灰岩の組合せ式箱形石棺が残っており、県立橿原考古学研究所付属博物館の庭に展示されている。墳丘には稲荷社がって鳥居が建てられている。すぐ西に接して2号墳がある、3基の内で一番大きく全長75mで西に面する前方後円墳である。更にこの西に3号墳があったが宅地化により消滅している。これら3基の古墳は纏向地区の北端に位置するが、この地区の他の古墳と比べて築造時期が明らかに新しく6世紀後半と考えられている。

左:石室開口部。中:玄室。右:説明板。

 次はいよいよ纏向地区へ向かう、先ず珠城山古墳の前の道を戻る形で西へ行くそのまま西へ国道169号とJR桜井線を越える。このあたりの南、JR巻向駅の西側で3世紀中頃かそれ以前と考えられる大型建物跡とそれに位置や軸線をそろえた建物が東西に計4棟の跡が出土した。桜井教育委員会の現地説明会資料(2009.11.14、15)では「このように複雑かつ整然とした規格に基づいて構築された建物群の確認は国内でも最古の事例となるもので、これまでに判明している弥生時代の大型建物などとは完全に一線を画する構造を持つものである。・・・我が国の国家の形成過程を探るうえできわめて重要な意義を持つものといえる。」としている。

 さらに西へ、纏向団地を過ぎて行くと県道を渡った先に纏向小学校があってこの付近に4基の古墳がある。いずれも帆立貝形の前方後円墳で古墳発生期のものとされている。
まず小学校手前に石塚古墳がある。円墳のようであるが前方後円墳であることが分かっている。全長93m、後円部径62m、前方部幅45m。実際それまでは円墳でないかと思われていたが、1971年に小学校の新築事前調査によって90mを超える帆立貝式の前方後円墳であることが判明した。1989年にも調査が行われ、前方部が三味線のバチ形に開いた全長約90mを越える前方後円墳と分かった。くびれ部の周濠から纏向3型と呼ばれる土器が出土し3世紀後半とされるが、1971年の調査では3世紀はじめを示す纏向1型の土器が出土。さらに周濠から見つかった檜の板は年輪年代測定法で西暦175年前後と判定されて3世紀前半の築造ではないかとの見方もある。
 小学校の右手(北)には勝山古墳がある。古墳の東側を除いて勝山池と呼ばれ灌漑用の池に囲まれていて周濠の名残と思われている。全長100m、後円部径60m、前方部は幅20mと極端に狭い。

左:石塚古墳。中:石塚古墳説明板。右:勝山古墳(東北より)・・周濠部は大きく改変されている。
説明板には「(墳丘墓)」と添え書きされていて、古墳時代初頭の古墳とするか弥生時代末の墳丘墓とするか議論が分かれていることが書かれている。

 小学校の西へ回り込むと矢塚古墳がある、矢塚古墳も一見円墳のように見えるが、古墳の南側が前方部で、くびれ状の曲線も観察できる。全長96m、後円部径64m、前方部幅40m。

 矢塚古墳から南に「東田(ひがいだ)大塚古墳」が見える。この古墳は矢塚、石塚、勝山古墳と同じ時期に築かれた古墳と思われている、全長96m、後円部径64m、前方部幅30m。
今まで見てきた4基の古墳はホケノ山古墳も含めていずれも90m~100mの帆立貝式の前方後円墳で前方部の縦軸長さが後円部の半径にほぼ合致し、前方部が極端に短く後円部がやや縦長の卵型をしている、前方後円墳が定型化する前の段階のもので、石塚古墳と同時期に短期的に同じ企画性の下に築造されたものと思われている。このことはこれらの古墳は数世代に渡り大規模な墳墓を造り続けられる権力が纏向地域に有った事が明らかであるとされている。(2008年6月の桜井市教育委員会と県立橿原考古学研究所の発表によると、東田大塚古墳は全長120mとされた、これはいままで纏向型古墳が後円部と前方部の比率が2対1と合わないので別の型式があったのではないかとされた。2008年3月6日、毎日新聞)

東田大塚古墳。左:墳丘。中:墳頂の三等三角点、標高72.98m。右:説明板。

 ここの東の山麓から西へかけて約1km、南北500mに広がる区域は纏向遺跡といわれている。この遺跡には石塚古墳などの古墳と南の箸墓古墳、ホケノ山古墳とその周囲の古墳が含まれる、現在の地名ではJR巻向駅を中心とした辻、太田、巻野内地区が中心地と考えられる東田、大豆越、草川、穴師、箸中と言った範囲が含まれる。


 桜井市は纏向遺跡を売り出している。左:巻向駅にある看板。右:拡大・・発掘調査によって駅のホームのすぐ北西から出土した柱跡から復元した中枢施設。

# by yumeoijyuku | 2012-04-19 23:32 | 古墳めぐり案内 | Trackback | Comments(2)
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